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死ぬほど美味しい - 『ザ・メニュー』

どちらかといえば、俺は自炊派だ。

得意料理はカルボナーラ。牛乳も生クリームも使わず、卵と粉チーズを混ぜ合わせたソースで仕上げるローマ式だ。このレシピで一番大事なのは火加減とタイミング。決して強火にしてはいけない。チーズは溶けても卵が固まらない適切な温度をうまく保ちながらじっくり加熱し、麺とソースと具の入ったフライパンをかき混ぜ続ける。加熱が短すぎるとチーズが溶けず水っぽくなるし、長すぎると卵が固まってそぼろ状になる。チーズと卵、油脂と水分とが完全に調和するのは、ほんのわずかな儚い瞬間だけだ。その瞬間を見逃さずにフライパンから中身を取り出すと、そこには理想的なカルボナーラが出来上がっている。

この料理には無駄がない。食べられない部分や無用な飾りもない。シンプルな材料で出来た、シンプルな料理。食べられるためだけにあるもの。美味しさのためだけにあるもの。俺はカルボナーラの分かりやすさを愛している。

映画『ザ・メニュー』に登場する怪物シェフもまた、きっとそういうものを愛していたのだと思う。

※この先では、『ザ・メニュー』の完全なネタバレを行う。読み進めても一向にかまわないが、覚悟を決めることだ。

食べるサイコスリラー

太平洋岸の孤島を訪れたカップル(アニャ・テイラー=ジョイ、ニコラス・ホルト)。お目当ては、なかなか予約の取れない有名シェフ(レイフ・ファインズ)が振る舞う、極上のメニューの数々。 「ちょっと感動しちゃって」と、目にも舌にも麗しい、料理の数々に涙するカップルの男性に対し、女性が感じたふとした違和感をきっかけにレストランは徐々に不穏な雰囲気に。 なんと、一つ一つのメニューには想定外の“サプライズ”が添えられていた… 。果たして、レストランには、そして極上のコースメニューにはどんな秘密が隠されているのか?そしてミステリアスな超有名シェフの正体とは…?

公式サイトより

予告編すら見ず前情報がほぼゼロだったので、『ザ・メニュー』はちょっとダークな『深夜食堂』みたいなものかと思っていた。しかし蓋を開けてみれば、これはもう『注文の多い料理店』ミーツ『ミッドサマー』とでもいうべきハードコアな映画だ。宮沢賢治がどう思うかは分からないが、アリ・アスターなら本作を笑って観るような気がする。

前に『ボイリング・ポイント』を観に行ったときも俺は似たような勘違いをしていたのだが、最近は美食モノに見せかけた別ジャンルの映画が流行っているのだろうか。食べるラー油が一時代を築いたように、食べるサイコスリラーも定番ジャンルになるのかもしれない。

レストランにおける人間関係にフォーカスした『ボイリング・ポイント』とは異なり、『ザ・メニュー』はそのタイトル通り料理や食そのものに重きを置いた映画だ。一品運ばれてくるごとに、物撮りされた料理とその名前が時間をかけて舐め回すように映される。レイフ・ファインズ演じる超一流シェフ、ジュリアン・スローヴィクが手がける数々のメニューが場面転換の役割を果たし、映画の進行をも支配するというわけだ。超高級レストランのメニューが次第に不穏で異様なものへと変わると共に、美食映画はサイコスリラーへと変貌する。

本作の前半に登場する料理はどれも美味しそう……というか高級そうだ。レモンキャビア──これが実際なんなのか俺はよくわからない──と泡っぽい何かがあしらわれた牡蠣の前菜に、近海で採れた新鮮なホタテと海藻の盛り合わせ。ニコラス・ホルト演じる美食家のタイラーはスローヴィクの大ファンであり、彼の美しい料理を一口食べるだけでむせび泣きすらしている。まるで美味しんぼの世界だ。

舞台となる孤島のレストラン『ホーソン』に招かれた他の客も、めいめい料理を楽しんでいるように見える──ただ一人、アニャ・テイラー=ジョイ演じるマーゴを除いては。

俗物はみんな死ぬ

ホーソンに招かれた客は、端的に言ってどいつもこいつも俗物だ。IT企業で財を成した成金野郎、酷評がウリの料理評論家、自分の作品を愛せない落ち目の映画俳優とマネージャー、若い女と不倫している富裕老人とその妻……。彼らはみんな金持ちリッチであり、スローヴィクの言葉を借りれば『普通ではない方々』、そして『奪う者テイカー』である。

彼らは身なりこそいいが、どこかうざったくて不愉快だ。料理の値段をわざわざ口にしたり、わけの分からない比喩で悦に入ったり、グルメ番組MCの予行演習をしてみたり。富裕老人の夫婦に至っては、メニューに使われた食材をたった一つ挙げることすらできなかった。これまで何度もホーソンに通って、究極の料理をいくつも食べてきたはずなのに。要するに、彼らが求めているのは高級レストランに来たというステータスだけで、誰一人として料理を味わうことそのものを目的としていないのだ。

何言ってんだテメーはよ

サイコスリラーの摂理として、こうした俗物はみんな死ぬ。スローヴィクが手塩にかけて作り上げた至高のメニューの一部として、彼らは見事に死ぬ。どういうメニューかは見てのお楽しみだが、とにかく素晴らしいカタルシスが得られて胸のすくような思いだ。

しかし、マーゴだけは死なない。罪ある者に惨たらしい裁きが下され、無垢なる者がひとり生き延びる──これもまた、摂理である。

復讐のメニューを召し上がれ

マーゴは上流の金持ち連中とはまるで対照的な下賤の庶民であり、スローヴィクにとっては本来のメニューに存在しない異物だ。だから彼女だけは、高級料理を高級であるという理由だけで無条件に褒めたりしない。手の込んだ前菜を見ても、「牡蠣はそのまま食べるほうが好きなんだけど」とバッサリ切り捨てる。アニャ・テイラー=ジョイの意志の強い目つきも相まって、このマーゴという女性は痺れるほど魅力的なキャラクターだ。

ジャムやクリームだけが乗った一品、『パンのないパン皿』に評論家やタイラーがなにやら深遠な意味を見出そうとするのにウンザリ顔を隠そうともしないマーゴ。なにしろ彼女は腹をすかせている。魚介類が申し訳程度に乗っかった石ころやパンのないパン皿などは彼女にとって"食べ物"ではないからだ。

己の料理に手を付けないマーゴの姿は、スローヴィクの興味と共感を呼び起こすこととなる。他の客のような『奪う者テイカー』ではなく、マーゴは自分と同じ『与える者ギバー』なのだと看破するスローヴィク。事実、マーゴは娼婦であり、金持ち相手に春をひさいでたつきの道を歩んでいる。料理人と娼婦はどちらも、人間の原始的な欲望──食欲あるいは性欲──を満たすために客に奉仕する仕事だ。原始的だからこそ、これらの仕事はこの上なくリアルで、純粋で、本質的な価値がある。

けれど、マーゴ以外の客は与えられた価値をただひたすらに奪い、寄生し、貶めてきた。料理評論家はスローヴィクの料理を自らの飯のタネにし、あまつさえ他のレストランを自身の批評で廃業に追いやってきた。IT長者は不正会計で得た資本力のくびきでスローヴィクを縛り続けてきた。タイラーは味のネタバレばかり行い、料理を作る苦労を知ろうとしなかった。彼らは皆、高級料理という情報だけを食べ、味わおうとはしなかったのだ。食事で人を喜ばせようと精進し続けてきた料理人の感じる屈辱と無念がいつしか狂気に変わったとしても、決して不思議ではない。

救済のチーズバーガー

スローヴィクはたしかに怪物だが、彼のやることには一理ある。『ザ・メニュー』は与える者から奪う者に向けた鮮やかな復讐劇であり、価値に寄生する俗物たちに向けた痛烈な皮肉であるからだ。スローヴィクの狂気じみた道理は、この長く続くコロナ禍にこそ正しく証明される。

未曾有の困難に襲われてもこの世界が終わらずに済んだのは、モノやヒトに直接・・関わり社会を支え続けてきた人々──いわゆるエッセンシャルワーカー──のおかげである。ツイ廃のボンクラCEOのおかげでもなければ、広告会社の脂ぎった中間管理職のおかげでもない。いわゆる"資本"や"金融"は、世界を救ってなどいない。世界を救う奇跡を起こしたのはごく普通の人々コモン・ピープルである。まるで割に合わない奉仕であると知りながら、それでも彼らは己の道徳と良心に従い、為すべきことを為してきた。これは厳然たる事実であり、これに反論する人間は全て恩知らずの恥知らずだ。

命の危険の中でもモノを作り、ヒトを助け、すべての後始末をしてきた『与える者』たちなくして、我々は決して生きていけない。なのに、コロナ禍でエッセンシャルワーカーの価値が正しく見直されることはなかった。貧富の格差はコロナ禍で縮まるどころかむしろ拡大し、ミリオネアの数は過去最高に増えてしまった。上層の人間は下層から価値を絞り取り、さもなくば価値をでっち上げることに血道を上げている。そうして、本当に価値を生み出し与えてくれる人々はいつも蔑ろにされ、奪われ続けている。

……スローヴィクは、上流階級の虚栄心を満たすためにフェイクな料理を作り続けなければならないことに辟易し、絶望し、燃え尽きていた。彼にとって最期の救いとなったのは、マーゴが本物の料理を頼んでくれたことだった。

それは、セットで10ドルもしないチーズバーガー。インスタ映えするようなタワー型でもない安物ジャンクなチーズバーガーは、しかし、手にとって食べやすく、一切の無駄がない。バンズとチェダーチーズとパティ、少量のオニオンというシンプルな材料で出来た、シンプルな料理だ。食べられるためだけにあるもの。美味しさのためだけにあるもの。それを作り、マーゴから「ありがとう」の一言を受け取ったときにだけ、スローヴィクは人間味のある暖かい微笑みを浮かべていた。さもあらん、スローヴィクの料理に感謝を述べた客は彼女の他に誰もいなかったのだから。

俺は、金持ちを猟奇メニューで殺そうとは思わない。そこまで料理上手でもない。けれど、スローヴィクの気持ちも分からないではない。カルボナーラをかき混ぜているときの俺は、もしかしたらバーガーを作っているときの彼と同じ表情をしているのかもしれないのだから。

これ結局どう食べればよかったんだよ

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