見出し画像

未知なる冒険を海に求めて - 『Raft』

毎日せせこましいオフィスでくだらない書類仕事なんかしていると、自由と冒険への渇望はいや増してくる。こんなねじくれた生き方、生き物らしくないという思いが膨らむ。

人間とはまったく不自然な生き物だ。月に旗を立てられるのに、未だに殺しあいをやめられない。ネットワークで繋がっても、孤独と分断は深まるばかり。それに比べて、海はいい。海は無慈悲で、平等で、正しい。人間の貧弱な想像力ではとてもかなわないほど大きく、広く、まさに自然そのものだ。無限の大海原へ漕ぎ出せば、もっと生き物らしい生き方ができるんじゃないか……。

なので、ここ数週間、俺は夜な夜なイカダに乗って海を漂流することにしている。これはSteamで配信されているゲーム『Raft』の話だ。

四畳半イカダ大系

このゲームを始めると、ラフなTシャツ姿でイカダの上に放り出される。周りを見渡すと、水平線が360度を囲んでいる。画面左下には飢えと渇きを示すゲージがあって、これを放っておくと遠からず死が訪れるのは明白だ。

そういうゲームだから当然ではあるけれど、自分が文字通りの漂流者であることを自覚すると、急激に不安になってくる。現代人の軟弱さが情けない。そしてこの不安に拍車をかけるのが、4畳半もなさそうなイカダの狭さだ。一人用としても小さめなのに、3人でマルチプレイを始めた俺たちは"立って半畳寝て一畳"を地でいくことになった。沖合ド真ん中まで来て東京の住宅事情か?

狭小住宅

しかも、『Raft』ではプレイヤーはなぜか常にサメに付け狙われている。こいつはひどく厄介だ。漂流している物資を取りに海へ飛び込もうものなら全力で噛みつきにくる上に、ただでさえ狭いイカダを執拗に嚙んで破壊してくる。武器を作って撃退することもできなくはないが、一定時間経つとリスポーンして再び襲ってくる。いっそサメの形をした呪術と言われた方が納得できそうなお邪魔キャラだ。

DEEP BLUE

忙しさを楽しむ

海水を蒸留して飲み水を作り、簡素な釣り竿で釣った魚を焼いて食べる。己の飢えと渇きを癒し、当座の命を繋ぐ。サメにイカダが噛まれていたら攻撃して追い払う。壊された部分の修理も急務だ。リソースはカツカツで、あちらを立てればこちらが立たず……。

『Raft』の開始直後は自転車操業でとにかく忙しくて、それが楽しい。これはサバイバル系のゲーム全般の醍醐味といっていいだろう。もっとリアル志向なゲームだと体温やメンタルに至るまで綿密に維持しなければならず段々かったるくなりがちだが、『Raft』のステータスは飢えと渇きとHPのみに絞られており、カジュアルに楽しめる範囲にうまく収まっている。空腹に耐えきれず、友人を掻っ捌いて肉を喰らうようなハメにならなくて本当に良かった。

釣りが楽しいゲームは名作

俺はいつも3人で『Raft』を遊んでいるが、面白いことに漂流生活での役割が自然と分担されていった。漂流物の収集に勤しむスカベンジャーと化した友人A。集めた資材でイカダを改造するTOKIOリスペクトな友人B。俺はといえば、もっぱら釣りと焼き魚ばかりする太公望だ。各々の好むプレイスタイルが重なり合わず、かつ大した協調性もなかったおかげで、そこには奇妙なチームワークが生まれていた。

足るを知るのはつまらない

他のサバイバル系ゲームと比べて『Raft』が変わっているところは何かといえば、それは海を漂っているという点だ。何を当然のことを、と思うかもしれないが、これはつまり、プレイヤーは自分の意志に関わらず動き続けている・・・・・・・ということである。当たり前すぎて気付きにくいが、これはかなり画期的な発想だと思う。

たいていのサバイバル系ゲームでは、ある段階で農耕や牧畜による自給自足が可能となり、プレイヤーは野兎の肉を求めて日がな一日山を駆けずり回ったりしなくてもよくなる。自給自足の実現は大きなやりがいをもたらす到達点であるが、しかし、サバイバルの面白さが下り坂にさしかかる場所でもある。

というのも、自転車操業からの解放は、ステータスやリソースを真面目に管理しないと死ぬという原初的なスリルを奪ってしまうからだ。その上、農業による余剰の生産はしばしばプレイヤーを土地に縛り付け、未開拓地を探検するモチベーションを奪ってしまう。なにしろ、危険を冒さなくても腹が満たせるのだから、定住生活をしない積極的な理由が存在しない。

裏を返すとどうだろうか?現実とゲームの相違点──土地の生産力のばらつき、人口の集中と増加、身分の不平等、統治者とその写し身アバターたる徴税人等々──こそが、人類を終わりなき領土拡大に駆り立てているともいえないだろうか。

漂流は旅となる

プレイヤーは安定した生活を求めてやまないが、それは皮肉にもプレイヤー自身を冒険の楽しみから遠ざけてしまう。『Raft』はこの問題を解決するため、海を漂流させることで”常に冒険している”というシチュエーションを生み出した。それに加え、本作は手に入る資源の種類が普段の海上と時折発見できる無人島で大きく分けられており、どちらかだけでプレイが完結できないようになっている。

暮らし向きを良くするため、帆を張って舵を取り、積極的に移動し続けようというモチベーションが上がる。マップがないというのは一見不便だが、水平線の向こうにぼんやりと見える無人島との出会いを唯一無二にしてくれる素敵な仕様でもある。錨を下ろして島に足を踏み入れる瞬間、そして錨を上げて島を離れる瞬間に感じるワクワクはいつも新鮮で、ちょっとだけルフィの気持ちが分かったような気がする。こうして、漂流は旅路となり、生存戦略は冒険奇譚へと変化していく。

エンジンの真横にベッドを置く異常レイアウト

……こないだ、俺たち3人の漂流者は座礁した客船を発見し、その中をくまなく探索した。突然変異した大ネズミに悪戦苦闘しながらも攻略を進め、ついには念願のエンジンの設計図を手に入れた。エンジンはおそろしく燃料を食うのがネックだが、これで風任せの漂流ライフともおさらばだ。我々はついに近代的な航海を始められる、かもしれない。

やっぱり、海はいい。海は無慈悲で容赦ないけれど、未知と冒険とサメがある。『Raft』は、狭ッ苦しい土地に縛られて汲々と生きるだけが人間じゃないということを思い出させてくれる、旅情に満ちたゲームだ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?