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【初めての共同脚本】 文化の違い、視点の違い、ぶつかり合い。

こんにちは!映画専攻としてアメリカの大学で留学中の者です。

今はDirecting(監督)の授業をとっている最中で、年末が近づくにつれて学期末課題に取り組み始めています。

この学期末課題では基本的に一人当たり一本ずつ監督して作品を仕上げるのですが、もし誰かと共同で監督したければそれでも良いということだったので、私はクラスメートとペアになって共同で映画を監督することにしました。

私はもともと自分一人で何か作るつもりでしたが、この学期末課題が始まる直前に仲の良いクラスメートから「日本人としてアメリカで生きる人物の姿をテーマにした物語を作りたい」と言われ、彼の情熱を見て提案を引き受けることにしました。

まず最初にこの課題に関して取り組まなければならなかったのが、脚本の共同執筆でした。

これが、なかなか大変な共同作業の始まりでした。

自分の個人的な体験の共有

まず私たちは物語のアウトラインを考えるために、自分たちの持つパーソナルな声を探すことから始めました。家族と国境を超えて離れ離れで暮らすことへの不安、外国人としての困難などを彼とたくさん共有しました。

また、私は決して間違った日本文化の描写をしたくないと彼に伝えた上で、彼の提案するアイデアに対して「それは文化的に違う」とか「それなら良いと思う」とかなり頑固に説明しながらブレインストーミングを進め、私たちは1時間以上にわたって話し込みました。

そしてその日にとったノートを彼は持ち帰り、脚本のアウトラインを作って私に送ると言うので、週末に彼からの連絡を待っていました。そして週末、彼から送られてきたアウトラインを読んで私は愕然としました。

物語が面白くないとかそういうのではありません。私が共有した体験に関する要素が皆無だったのです。

「日本人(/外国人)としてアメリカで生きる体験について書きたいと言うから私の個人的な経験を話したのに、このアウトラインだと主人公が外国人であることがあまり関係なくなってしまっている」と思いました。(実際に彼にもそう伝えました。)

そこから、私たちは物語の軌道修正に入っていきます。

日本人らしさの勘違い

彼の送ってきたアウトラインや、彼が日本について話す様子から見えてきたのは、彼が描きたかったのは「外国人として生きる体験」というよりも、むしろ「日本」という国が持つエキゾチックな"雰囲気"の方なんだろうな、ということです。

そもそも、私のクラスメートは日本人ではありませんし、日本に行ったこともありません。彼は日本文化を好きだと言ってくれますが、彼の思い描く日本とは所詮外国人がイメージする日本でしかありません。

「俳句をボイス・オーバーで使いたい!」とか、「黒澤明の映画みたいな雰囲気で・・・」とか言われるたびに私は変な気持ちになりました。「この日本人が作った音楽、クールだと思う。僕達の映画で使えるかな?」と言って送られてきた音楽はごく普通の日本の伝統的な音楽でした。彼にとっては珍しい曲に聞こえるかもしれませんが、私にとっては普通の古い音楽です。

「ラストシーンで主人公の親が電話で『愛してるよ、いつも頑張ってるの知ってるからね』と言うのはどうだろう」って言われた時は「日本人は普通、そういう言葉をダイレクトに言わないからリアリティに欠ける」と説明しなければなりませんでした。

もちろん、日本に住んだことのない彼が日本文化に対して浅い知識しか持っていないのは当たり前です。しかし、問題点は彼が日本を知らないことではなく、彼が自分の知らない世界のことを書けると最初に信じてしまったことです。

私からすれば自分の故郷の文化をロマンティサイズ(本当の姿よりもロマンチックに描くこと)されたり、センセーショナライズ(変な形で誇張)されたりするのはなかなか嫌な気持ちになります。たとえ日本人が主人公の物語だとはいえ、日本の文化を不自然に前に押し出すことを私はしたくありませんでした。

日本の外で生まれ育った人達にはクールでエキゾチックに見えるかもしれない日本という国も、日本人である私から見ればただの故郷です。彼が日本文化への誤ったイメージを膨らませるたびに「日本文化をそんなふうに表現したら不自然になるよ」と言って、彼を現実世界に引っ張り戻すのはなかなか体力を消耗させられる体験でした。

現在の段階

これら上記のことは全て1週間のうちに起こったことなのですが、なんとか軌道修正を重ねて今はお互いの納得できる脚本が完成しました。

彼のアウトラインに満足できなかった私は、彼のアイデアをいくつか取り入れながらも自分なりのアウトラインを作成し、脚本の下書き(初稿)を彼に送りました。教授からもアドバイスをもらいながら、彼が書き足しや書き直しを行い、なんとか私たちが共に納得できる脚本が完成しました。

辛抱強く私の要望を聞いてくれる彼にはとても感謝していますし、助言をくれた教授にもありがたく思っています。

学んだこと

私がこの体験を通して学んだのは、他者の物語を描くのには限界がある、ということです。

映画制作の勉強をしていると、「自分にしか書けない物語とは、自分にとってパーソナルな物語だ」という意味の言葉を何度も聞きます。裏を返せば、「自分の知らない世界について描くのには限界がある」ということだと私は解釈しています。

例えば黒人差別を受けるのがどんな気持ちかというテーマを扱った物語を白人が書くのは限界があるでしょうし、女性として生きるのがどんな感じかを男性が描くのにも限界があります。ダンスの経験がある人は、ダンスの経験がない人よりもリアリティを持ってダンサーの物語を描けますし、コンビニでアルバイトをしたことがある人はコンビニでアルバイトをしたことがない人よりもずっと良いコンビニ店員の姿を描けると思います。手塚治虫が「ブラックジャック」を描いたのも彼が医者になるための勉強をしたことがあるからでしょうし、スピルバーグが「シンドラーのリスト」を作ったのも彼自身がユダヤ系だからでしょう。

それはやはり、当事者にしか見えない世界があり、当事者にしか分からないことがこの世の中にはたくさん溢れているからです。自分のよく知らない世界を描こうとすることは、なかなか難しい行為です。

しかし逆に言えば、自分が他の人よりも詳しい事柄を扱うのは、ストーリーテラーとして大きな強みになります。まさにポンジュノ監督がアカデミー賞で言ったように「The most personal is the most creative. (=最もパーソナルなものこそ、最もクリエイティブなもの)」なんだと思います。

アメリカ人男子である私のクラスメートが、私の書いた初稿を受け取るまで日本人の女の子の物語を描くことができなかったのも当たり前です。

彼が日本文化や私個人の体験をセンセーショナルに描こうとするたびに、私にとってその描写は嘘に見えるのです。私自身にとってリアリティを感じられる物語を作ることが私のゴールだったので、私と彼が違う路線を走っていることに気が付くたびに彼を引き止め、彼を説得し、同じ解釈を共有する必要がありました。

今はなんとかお互いに同じ路線を走っている状態だと感じることができていますし、毎日一生懸命に撮影準備にとりかかっています。

これからまたさらに忙しくなるだろうと思っていますが、彼も私も共に誇れる作品を作りたいという気持ちに変わりはないので、一緒に頑張っていくつもりです。

長くなってしまいましたがここまで読んでいただいてありがとうございました。 

それではまた!

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