決して【ゲーム=悪】ではない②

コロナ禍でにわかに叫ばれる現代病を学ぶ、ネトゲに悩む妻申見アキです。
前回の記事のつづき。

今回はゲーム音痴が決定的にゲーム離れする話。


さて、前回私に初めて与えられたゲームであるコロコロカービィ。文字通り手に汗握ってやり込んだが、一度エンディングまでクリアしてしまった後はすぐにプロフィール帳作りや友達とのプリクラを撮ったりするのに勤しんだ。子供の放課後のトレンドというのは、大人が思っている以上に目まぐるしく変わるものである。

寒い冬に雪が積もれば友達と雪合戦、暑い夏休みは親子共に気心の知れた(←重要)友達の家で集まる。ゲームキューブやプレステ2、コントローラーを繋げられる限り出してくれる親もあり、交代で遊んだ。

もちろん私はゲーム音痴。ぐりぐりするアナログパッドを使いこなせず、フィールドを走れば植え込みや壁に突っ込んでいく。マリオカートをすれば亀の甲羅を見舞われて方向感覚を失い、そのまま逆走をしてることにかなり後で気付く。ファイナルラップをトップ選手の2周遅れでゴールへと向かう。
ひとりぼっちの気まずいノロノロマシン猛レース。ケンケンだってとっくに笑い終わるだろう。

そしてこの頃、私たちの話題や自由時間がゲームだけにならなかった最大の転機が訪れた。
当時は知らなかったが、イギリス文学が日本でにわかに流行したらしく、あのハリーポッターシリーズ最初の三作が日本に上陸した頃だった。
当時読んだ方はわかると思うが、子供が読むには見た事がないほど分厚く、挿絵も極端に少ない。そんな児童書はなんだか大人っぽく感じた。

主人公のハリー達と年齢がほぼ同じな事もあり、「ハリーポッターと賢者の石」を等身大で楽しんだ。初めて触れる魔法の世界に魅了され、まさに寝食を惜しんでかじりつき、なんと1日半で読み終えたので家族を驚愕させた。繰り返し読み、ダーズリー家に毎度イライラし、百味ビーンズを想像しては咽せ、魔法使いのチェスでロンに惚れたりした。
そんな調子だから「もしかしたら何かまかり間違って、私のもとへホグワーツから入学許可証を引っ提げたフクロウが窓に現れるかもしれない!」と本気で思った。おめでたいマグルである。

…いつしか手垢まみれのゲームボーイとコロコロカービィは机の引き出しにしまわれたきりになった。


やがてもういくつ寝ると夢見るマグルは中学生になり、
やる気に満ち溢れた熱血女性教師率いる、憧れの吹奏楽部に入った。今ではブラック部活として抵触しかねないようなガチゴチの練習スケジュールに身を置き、品行方正であることの大切さを学んだ。

勉強面では苦手な算数が数学という怖いモンスターに進化してしまい、勉強に部活に模試に英検に荒れたクラスに…とやらなきゃならない課題がパンパンになった。
良く見積もっても旬のウニくらいしかないわたしの脳味噌に「ゲームをする」という選択肢は入る余地もなく、時間と共にきれいさっぱり忘れていった。


③へ続く。(次で最後)

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