親と子の対立
このテーマ、常にありそうな話
表面化されてるかどうかだけのこともありますね!
親と子の対立がなぜ起こるのか
人が意思を保つ以上、起きるでしょうね。
って思う
だいたい、難しいよね。
人間関係の背景にある個別事由それぞれあるし。親子関係の対立の数は、親子の数ほどあるでしょうし。
ただ、ひたすらに、親は、とか、子供は、とか、そういう話の視点では、考えず、しかない
お互いの甘えや、思い込み、信条の違い。生まれてきて積んできた体験、経験。
いろいろあるよね。
深度すら違うし。問題の深度。感じ方の深度。思いの深度。かけた時間の深度。かけたお金の深度。百万ドルかけても、そこに、価値を感じるかどうかは、人次第。それはかける方もかけない方も。
これについては、価値観の違いとかも言えるけどね。
明日生きていけるか?という視点で、原始的に進められないから、ややこしい。
けど、これが一つに解決の糸口かもとは思う。
生きてけるだけで幸せ
親子関係の対立を解決するための具体的な方法なんて、当事者でもない自分が大々的に伝えることはできない。
本人たちの苦しみ、理解もできないし、共感もできないから。もちろん、しようと、努めはするが、できないだろうな。
耳を切られた痛みはその痛みを知らないとわからないのと同じ。思いやることはできてもね。
ただ、糸口になるのは、生きられるだけでも、幸せじゃん!の見方に近づくこと、なんだろうな。
だから、誰かに何かしてもらったら、ラッキーだし、感謝です。
それは、親でも、子供でも、同じ。っ感じにしてくしかないのかなーと、考える。それはそれで、孤独だけどね。孤独の色は深くなるけど、対立はしにくくなる可能性は、あがる。
そして、もう一方でそれは、じゃ、殺すはとか、じゃ、死ぬわ、にも繋がる。
それを許容できる世界にすることは、難しいとは思うし、ダメなのかもだけど。
このへんはバランスなんだ!と、言ってしまえば、その通りなんだけど、それはそれで、どうかと思うくらい、痛み、凄いんですよ!もちろん自分もわからないけど、そんな気がする。
なぜなら、それで本当に人が死んでるから。物理的にも、精神的にも。
そんだけ、痛いんだと思う。
親子の対立にアドバイスできない
烏滸がましく、親子の対立についてのアドバイスを提案できない。
読者にとって役立つ情報になるかも、とか、追加したほうが良い情報持ってるわけじゃない。
そもそも、今回この話を描いた背景は、まわりで親子の対立があったから。
ただ、自分が当事者なら、淡白なルール作りして、解決をはかるだろうな。そこに想いが少ないからできることだし。それをかなりの確率で悪く言われることも知っているけど。
よくも悪くも、貝にこもれば、解決できることもある。
親子関係の対立が起こった原因、背景、解決策は、専門家の意見を聞くのもいい。そういう相談窓口もあるので。その答えを裏付けるような情報をネットで探してもいい。
でも、最後は当事者それぞれの心の置き方、使い方、時間の使う量の決め方、です。わたしは、原始論者でもないので、極端なことはしない。
今は、描いていて、心晴れてきたので、個別にシチュエーションを追加して、書くのはきついしね。
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