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海外で子育てをしてみて

海外に住んでいるとあれこれ言われる。
すごいですね
たくさん旅行ができていいですね
大変でしょ
この辺は通常だが、「海外に住んでいるならお子さんがバイリンガルになっていいですね」という言葉は苦笑する

日本でしか住んだことのない人は、海外に住む=英語がぺらぺらになると思うのだろう
そして続けて言う
「私は日本にずっといたから、英語がしゃべれないんですよ」
もしかしてまだ昭和でしょうか?と嫌味の一つも言いたくなるがやめておく

海外に住めば確かに発音はよくなる
が、バイリンガルになるかどうかはご家庭次第
親子して膨大な努力の結果である
その量は、日本の学校で勉強している子の軽く2~3倍は超える

週に1度、土曜日に授業が行われる日本語補習校に通う子どもたちの学習は過酷だ
平日は現地校もしくはインターナショナルスクールに通っているから、2つの学校に在籍することになる
複数の学校に通うことだけでも、負担が大きいことは誰でもわかるだろう

週に1度しか授業がないから、その分恐ろしい量の宿題が出る
私は割と勉強してきた方だが、それでも小学生でこれほどの宿題をしたことはない
冬休み2週間の間に、国語と算数のドリル合計100ページなんてざらだ
それを親子でバトルしながらこなしていくのだ

親だって子供が遊びたいのはわかっている
せっかくのびのびとした海外にいるのだ
可能な限り遊ばせてやりたい
でも、現実にはこなさなくてはならない宿題が大量にある

アルファベット圏で育ってきた子供たちにとって、一番の難敵は漢字学習である
そもそも26字でなんでも表示できる言語と比べて、ひらがな・カタカナと複数の形式がある日本語は、彼らにとって不可思議だ
その上、漢字にいたっては覚えても覚えても、次から次へと新しい文字が増えてくる
なんなんだ漢字って?
こんなに数を使わなければ言葉にならない日本語はバカじゃないのか?
そんな疑問が生まれてくる子もいる

なかには海外で生まれた子、1-2才で海外に渡った子がいる
そんな子にとってのふるさとは、今住んでいる国である
現地人と遜色なく現地語を流暢に話し、完璧な発音、読書は現地語の本、日記も現地語である
日本の学校に通ったことのない彼らにとって、日本はおじいちゃんおばあちゃんが住む国という認識だ

だからいくら説き伏せても、間欠泉のように不満がふきだす
なぜ日本語なんてやらなくてはならないの?
ここは日本ではないのに、日本語を勉強する意味がない
補習校で漢字のできなさをクラスメートに笑われ、時には悪気なく先生から「なんでできないの~」などとからかわれる

ハーフのお子さんはもっと深刻だ
子供自身が補習校が好きならばよいだろう
だが、家で使うのは現地語がほとんどだから、補習校の授業についていけなくて脱落していくケースが多い
いくら親が日本語を身につけさせようと思っても、子供が拒否反応を起こしてしまう
親戚からは「土曜日まで子供を学校に通わせるのは虐待だ。すぐにやめろ」
と非難される
そんな中で補習校の勉強を続けられるのは、子供自身の努力と、親の忍耐力・たゆまないサポートのおかげである


たまには人種差別を受けることだってある
中国人・くさい・きたない・うんこと言われる
知的ではない現地人の母親が、自分の子供に向かって「もっと言ってやりなさい」とけしかけたりする
わずか小学生の子が、こんな目にあう可能性があるのが海外だ

大人なら、海外に来たとたん赤ん坊並みのできなさに落ちこむ
言葉ができない
幼稚園児や犬でさえわかる現地語がわからない
小学生に言葉が話せないとバカにされる

バスや電車の乗り方も調べなければわからない
幼稚園からのお知らせも辞書や翻訳機能を使わないと訳せない

乗っている電車が突然運休になって、見知らぬ駅に降ろされたら大変だ
振替輸送はあるのか、それはどこから出発するのか、治安が心配だから暗くなる前に家に帰れるのか、不安はつきない
わからないなりに職員や親切そうな現地人につたない言葉で話しかけ、なんとか切り抜けていく

このように日本で当たり前のように大人としてスムーズに暮らしていたのが、いきなり戦闘能力0になるのが海外生活だ

それも知らず想像することもできず、海外に住んでいいわね?
帰国子女になるから英語がぺらぺらでいいよね?
海外に住んでいれば何の苦労もせずに語学が身につくものね?

ならばやってみろ
やれるものならやってみろ
自分の想像力と努力の至らなさを環境のせいにするような人間にできるわけないから

ちょっと他人にきついことを言われたくらいで「こんなこと言われた」と騒ぐ人間が、異国に来て上記のような目にあって耐えられるのか?
自分の子供が同じ目にあって対処できるのか?

ヨーロッパには、内戦により命からがら逃れてきた難民が大勢いる
親や親戚と離ればなれになり、お互いの安否もわからず不安なままやってくる
避難した国ではテロリスト扱いをされ、収容施設前でデモや火災騒動が起こる
それを小学生や中学生のうちから経験する子が多数いるのだ
サポートは必要だろうが、ヨーロッパから見れば日本の格差社会など格差のうちに入らない

私はヨーロッパに来れて良かった
井の中の蛙にならなくてよかった

人にはそれぞれのバックグラウンドがあり、時には信じられないほど過酷な経験をしている人たちがいて、おのおのの人生を歩んでいる
そこに想像をめぐらせることのできる機会をいただけて良かった
日本に住みながらも賢明な方ならば自力で可能だろうが、私のような凡人は経験なしには身につけられなかっただろうから

私はこれからもヨーロッパで生き、子供たちを育てていく
与えられた機会を最大限に活かして


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