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「シンデレラストーリー」だけじゃない? いま韓国エンタメに起きている変化

いま韓国エンタメ界では、痛快なシーン・セリフを清涼感に喩えて表現する「サイダー」というキーワードが席巻中。2010年代後半にウェブ漫画やドラマ周辺から始まり、広く使われるようになった流行語で、韓国ドラマ「ヴィンチェンツォ」をはじめ韓国ドラマには「サイダー」な展開が欠かせなくなってきています。

在韓歴17年の韓国語教育者「ゆうき先生」こと稲川右樹さんと、韓流ナビゲーター田代親世さんを迎えて、今回は「ヴィンチェンツォ」以外の韓国ドラマに注目しながら、韓国で起こりつつある「サイダー」ブームの理由を紐解いていきます。

▶︎「ヴィンチェンツォ」に散りばめられた“サイダー=スカッと爽快”な遊び 記事はこちら

稲川右樹(ゆうき先生)
滋賀県出身。現在、帝塚山学院大学准教授。専門は韓国語教育。2001年〜2018年まで韓国・ソウル在住。ソウル大学韓国語教育科博士課程単位満了中退(韓国語教育専攻)。韓国ではソウル大学言語教育院、弘益大学などで日本語教育に従事。近著『高校生からの韓国語入門』(Twitterアカウント:@yuki7979seoul
田代親世
韓流ナビゲーター。韓流番組・イベントのMCを始め、テレビ・雑誌、webなど幅広い媒体で韓国ドラマを紹介。公式サイト「韓国エンタメナビゲート」や会員制の韓流コミュニティ「韓流ライフナビ」を主宰している。韓ドラ視聴歴は20年以上。(Twitterアカウント:@tashirochikayo
ネトフリ編集部 岡田和美
欧米ドラマに韓ドラ、リアリティーショーまでいろいろ見る雑食。好きなネトフリ韓ドラ作品は「ヴィンチェンツォ」「キングダム」「Mine」など。
ネトフリ編集部 YJ コン
韓国生まれ育ち、日本歴19年のネトフリ編集部メンバー。しばらく韓国の作品を観ていなかったことから最新の文化と長い間距離を置いてしまっていたが、「愛の不時着」と「梨泰院クラス」をはじめとする、韓国ドラマブームの再来をきっかけに韓国の文化にリコネクト中。ネトフリで観れる推しの韓国ドラマは「秘密の森 S1」「ライブ」。 

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――前回に引き続き、「ヴィンチェンツォ」以外の作品のサイダーシーンにも触れていきましょう。「秘密の森」という作品です。

稲川右樹(以下、ゆうき) このドラマは、検察と警察がお互いに牽制し合いながらも一つの巨悪に立ち向かっていくストーリーです。
どちらの組織も内部が腐っているのですが、ぺ・ドゥナさん演じるハン・ヨジンという刑事、チョ・スンウさん演じるファン・シモクという検事はまともで、お互い自分の組織の不正を暴いていく。

ゆうきさんサイダーnote記事用.001

ゆうき 私が特に好きなのは、警察署長が未成年者に対する買春の容疑で逮捕されるシーン。逮捕に至るまで、警察署長は不正を隠そうと画策して被害者の女の子を殺そうとまでするんです。しかしその子が昏睡状態に陥ってしまい、目が覚めたところを警察署長が連れ去ろうとする。でも実は仕組まれたおとりで、最終的に女の子本人が登場。みんなが見ている前で部下に告発され、手錠をかけられるんです。

「ヴィンツェンツォ」は悪が悪を倒す構図が効いてますが、「秘密の森」は主人公が融通がきかないくらい真っ直ぐな正義なんです。主人公たちが信念を曲げず、不器用に悪に立ち向かっていくのがカッコいいし、希望が持てるんです。

――見守ってきた人にとっては「やっと!」という展開なんですか?

ゆうき ここに至るまで、すごく複雑なんです。組織には組織を守ろうとする人もいて、そこでの葛藤もあるんです。警察と検察はお互いに不信感が募っているので、刑事のぺ・ドゥナは検察である主人公への協力にも葛藤があって……。信じてきた上司に手錠をかけなくてはいけない人々の気持ちを思うと切なくもありますが、署長逮捕のシーンは悪いやつが気持ちよく倒される、「秘密の森」の中でも屈指の「サイダー」シーンだと思います。僕は非常にハマりました。

田代親世(以下、田代) 検察も警察も裁判官もマスコミも信じられなくない状況で、主人公が「自分たちの組織を信じたい」という思いを持って戦っていく、志の高さを感じる作品でした。表で見えていたものが最後にガラッと変わる演出も面白かったですし、巧みな脚本だと思いました。

YJ 10時間ぐらいコグマが続いた後のサイダーですよね。もし「韓国ドラマでおすすめの作品を教えて」と聞かれたら、絶対に選ぶ作品です。主人公のファン・シモクを演じるチョ・スンウさんをはじめ、俳優陣がすごい。チョ・スンウさんは、これまで感情豊かなキャラクターをたくさん演じてきましたが、ファン・シモクのような感情表現を最大限に抑えた役もできるんだと驚きました。

ゆうき ファン・シモクにチョ・スンウさん以外考えられないですよね。ぺ・ドゥナさんも、彼女以外考えられないキャスティング。

YJ 私の大好きなユ・ジェミョンさんも出ていますし。それからユン・セウォン役のイ・ギュヒョンさん。ネトフリ上でも彼が出演している作品は沢山あって、見るたびに演じるキャラクターの違いに毎度驚かされます。例えば、再婚後に死別した奥さんが突然生き返って混乱する若いパパを演じた「ハイバイ、ママ!」、ドラマにおける”障がい者”として新しいキャラクターを見せたと高い評価を得た「ライフ」、お金持ちかつソウル大出身のエリート薬剤師でありながら薬物中毒で服役中というキャラクターを演じた「刑務所のルールブック」は、あまりにも同じ俳優さんとは思えないギャップがあって、個人的に非常におすすめの3本です。

田代 ちなみにイ・ギュヒョンさんはミュージカル俳優でもあるので、歌も上手いです。

――田代さんおすすめの「元カレは天才詐欺師 〜38師機動隊〜」は、悪で悪をやっつけるストーリーですね。

田代 ソ・イングクさん演じるヤン・ジョンドが天才詐欺師、マ・ドンソクさん演じるペク・ソンイルが税金徴収課の課長。公務員と詐欺師が手を組み、税金滞納者に詐欺をしかけて税金を徴収していくストーリーです。正義だけでは悪に立ち向かえないから、タッグを組んで戦っていくんですね。

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田代 私が好きなシーンは、悪徳税金滞納者の回です。税金課の課長のペク・ソンイルはヤン・ジョンドに1回騙されるんですけど、「僕の詐欺師の力を、役立てませんか?」と持ちかけられて、手を組むんです。そしてヤン・ジョンドが詐欺師仲間を集めてチームを作り、悪徳滞納者に高額な土地を買わせる。契約を交わしたところでペク・ソンイルが出てきて「おまえは騙されたんだよ。二束三文にもならない土地に大金を払ったんだぜ」と言って、その後に「いくらいくらの滞納金を徴収しました」というセリフと共に音楽が流れる。ここまでずっとイライラしてきたので、サイダー具合が素晴らしかったですね。

ゆうき 流れている音楽は昔のポップスで「あんなに優しかった君がこんなに変わるなんて〜」みたいな歌詞。この1970年代のとぼけたメロディが、嵌められた側の慌て具合と絶妙にマッチしているんですよね。

YJ サイダーの演出がまるで「水戸黄門」のように爽快ですね。「ヴィンツェンツォ」が好きな方は、このドラマもハマると思います。

田代 どちらもチーム戦ですし、路線が似ていますね。詐欺師と課長のブロマンスがまたいいんです。

岡田和美(以下、岡田) マ・ドンソクさんは『新感染 ファイナル・エクスプレス』に出ていた方ですね。

ゆうき 彼が出てくると、それだけで安心感がありますよね。

田代 「元カレは天才詐欺師 〜38師機動隊〜」は2016年の作品ですが、このときからすでに「サイダーのようにスッキリする痛快なドラマだ」と言われていました。作中に「法は残酷だ。強いものには弱くて、弱いものには強い」というセリフが出てきますけど、いまの韓国がまさにそうなんでしょうね。視聴者もそう思っているからこそ、こういうドラマに熱狂するのだと思います。

韓国は「シンデレラストーリー」から「サイダードラマ」へ

――ここまで「サイダー」作品を語ってきましたが、なぜ「サイダー」というエンタメの形がいま人気なのか、みなさんのご意見を聞きたいです。いずれも「正義をいかに達成するか」がテーマだと思いますが、やはり最近の韓国の社会的な雰囲気に由来しているのでしょうか?

田代 今だけでなく昔から貧富の差は激しいし、「お金持ちばかりいい目を見ている」と庶民は思っているでしょうね。そうした政治がずっと続いていて、鬱憤がたまっている中でこうした作品が出てくると人気になる。韓国の人はドラマ好きだから代理満足というか、ドラマを見て満足したいんですよね。だから時々出てくるスカッとするドラマにみんな熱狂するのかなと思います。そのあたり、ゆうき先生はいかがですか?

ゆうき 本当にその通りで、社会的な閉塞感はすごくあると思います。1997年に起きたIMF(通貨危機)の頃までは「頑張れば報われる」と信じられてきましたけど、段々とそうではないとわかってきて、報われるのは最初から“金のスプーン”をくわえてきた富裕層ばかり……という不満が募り始めました。そのうえ、資産を持つ人びとは汚い手を使いどんどん搾取して肥え太っていく、一方で我々庶民は何をしても報われない。

ろうそく革命やセウォル号沈没事故も起こった2010年代はさらに拍車がかかり、「真面目に生きても報われない」というムードが社会的に蔓延。「88万ウォン世代」と呼ばれる、大卒でも正規雇用につけず低所得の20代が急増しました。こうした閉塞感をドラマの中だけでも解消したいという欲求はあったと思います。一昔前までは韓国ドラマというと、「恵まれない女の子の主人公が財閥と結ばれる」というストーリーが多かったと思いますけど、今はあまりないですよね?

YJ シンデレラストーリーから得られる理想体験が、信じられなくなったんだと思います。日々の辛さをファンタジーで乗り越える余裕さえなくなっている。正義に何も期待しないという「ヴィンツェンツォ」はそこにはまったのだと思います。

「正義なんて定義できないし存在しない、特権階級が正義を決めるのなら、悪をもって倒す」という「ヴィンツェンツォ」のラストの言葉はまさにそうだと思います。あのシーンは韓国でも物議を醸すほど残虐でしたよね。そこで「サイダーもほどほどに」という視聴者も多くいたでしょうし、「ガス抜き」と「魔女狩り」は表裏一体だという警鐘にもなったでしょう。そういった意味でも「ヴィンツェンツォ」は最後まで期待を裏切らない、語るネタを残してくれた作品じゃないかと。

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岡田 「秘密の森」のファン・シモクでさえ、脳に障害を抱えて感情がないから正義を貫けるんですよね。そこまでしないと、お金や権力欲などの誘惑に勝てないと庶民が思っているのだとすると悲しいですね。逆に「多少悪いことをしても、悪人は成敗してほしい」という新たな希望の見出し方といえるのかなと思いました。清廉潔白じゃなくていい、クズよりクズな奴を退治してくれればそれでいいと。

田代 あくまでドラマの世界で悪人が処罰されるのは気分がいいですけど、現実社会では意外と誤解が原因となって魔女狩りにつながることがあります。そこは、冷静な目を持ち続けたいとは思いますね。人間同士、裏のことまでは見えませんから。

YJ 韓国ドラマはサイダードラマばかりなのかというと、そうではないですよね。「韓国ドラマ=シンデレラストーリー」から「韓国ドラマ=サイダードラマ」になり、さらに他にはどんなジャンルが生まれているのか。また別の機会にぜひ深掘りしてみたいと思います。今日はみなさん、ありがとうございました。

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