聖書の登場人物を学ぼう|サウル⑤
サムエル記上15章17-35節|サウル王、マレク人との勝利と不従順2
1.サウルの言い訳
サムエルはサウルに2つのことを諭しました。
イスラエルの諸部族として長である王としての重要な地位について、そして明確かつ具体的な使命を与えられて遣わされたかを思い起こさせています。
そして、サウルの取った行動の不従順であると指摘し、なぜこのような悪を主の前に行ったのかと迫りました。
サウルは、先の主張を繰り返し、自分は従順に使命を果して帰って来た、民が最上のものを殺さなかったのは、ギルガルで、サムエルの神、主にいけにえとするためであると答えています。
サウルの弱さは、他人が自分をどのように見ているか。また、民の言動を恐がるところにありました。そのために、見えない神さまを畏れることができなくなってしまっています。
2.家畜の犠牲よりも従順を
おそらく16節の《サムエルはサウルに言った、「おやめなさい。昨夜、主がわたしに言われたことを、あなたに告げましょう」。…》は、前の夜、神さまがサムエルに告げたお言葉の核心部分が、この22-23節でしょう。
サムエルの言葉は厳しいものでした。服従の伴わない生け贄は、神さまに喜ばれない。
神さまへの従順は、生け贄より優っています。
逆に神さまへの不服従や強情は、占いや偶像礼拝に等しい重罪となります。
そして神さまの言葉を退けたサウルは、もはや王位にとどまることは出来なくなったのです。
この聖句は、非常に有名な箇所です。また、聖書全体に貫かれている原則です。
サウルの次の王ダビデは《神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。》(詩編51:17)と、詩篇において自身の罪の告白をしました。
ここがサウルに欠けていた心です。
3.サウルの後悔
さすがのサウルも、権威ある祭司サムエルの厳しい言葉を耳にして、自分の罪と無節操さを正直に認めています。そして、《わたしと一緒に帰って、主を拝ませてください》とサムエルに同行してほしいと求めています。しかし、サムエルはきっぱりと断っています。
引き止めようと《サムエルの上着のすそを捕え》ると、その上着が裂けました。これは、王国が引き裂かれて、サウルよりも立派な彼の友に与えられるしるしである、とサムエルは言い、これが主である神さまの変らぬ御心であることを宣告しました。
何とか体裁だけは保たせてほしいというサウルの繰り返しの願いにサムエルは応じ、2人は民のいる所に行き、そこで主を礼拝しました。
4.アガグの寸断
《アガグはうれしそうにサムエルの所にきた。》アガクは釈放を予測して“うれしそうに”サムエルのところに来たのでしょう。しかし、
これは、モーセの時代以来アマレク人がイスラエルに行なったことを、今度は、アマレク人の中で行われる、とサムエルは宣言して、アガグを寸断しました。
サムエルは、神さまが15章2-3節で言われた命令を守らなかったサウルの後始末を行ったことになります。
5.サムエルの悲しみと
サムエルの悲しみ、ひいては神さまの悲しみが伝わってきます。ラマとギベアの間は10キロあまりですが、二人は会いませんでした。しかし、サムエルが死んだ後、二人が会うことになります。サウルが女の口寄せに頼んで、サウルがサムエルにやってきてもらうよう、頼むときです。
サウルにとっての最大の価値観は“体裁”でしょう。本来、祭司であり預言者であるサムエルから王として“油を注がれ”王となったのにもかかわらず、神さまやサムエルの指示通りに働かなかったサウルの弱点は、人の目を気にすることでした。結果、神さまやサムエルの目を気にすることよりも“人目”が大事になっていました。
私たちは、どこかの組織に属しています。国や自治会・町会、職場、家庭、サークル、習い事、教会。どの組織に属していても、本来、その組織のルールに従わなければ、組織自体のリスクの発生や損失となります。組織が健全で風通しの良い(人と人とが話しやすい)文化をつくり維持するには、ルールを理解し決められたことを守らなければ、サウルのような空回りの生活を送らなければいけなくなります。
ただ、人の上に立つ仕事は大変です。周囲も忠実で協力的でなければなりません。周囲の信頼と協力は、互いに共通したモノが必要です。あなたにとって、組織の一致に必要な共通したモノはなんでしょうか。
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