見出し画像

士師記を学ぼう|士師記④

士師記17-21章 (人も部族もイスラエル全体も○○をおこなっていた?!)

 16章まで、民を導く士師が記されてきた士師記は、17章から、民たちに視点が移されます。


1.ミカとダン部族の人々


17:1 ここにエフライムの山地の人で、名をミカと呼ぶものがあった。

 エフライムのミカという人がいました。ミカは、自分で偶像と偶像をまつる宮をつくり、旅するレビ人を雇い祭司にします。
 信仰的なようですが、まことの神さまには背を向けて、自分の正しいと思うままに勝手に祭司を任命し、偶像礼拝(神さまへの背信)を熱心にしているのです。

18:1 そのころイスラエルには王がなかった。そのころダンびとの部族はイスラエルの部族のうちにあって、その日までまだ嗣業の地を得なかったので自分たちの住むべき嗣業の地を求めていた。

18:2 それでダンの人々は自分の部族の総勢のうちから、勇者五人をゾラとエシタオルからつかわして土地をうかがい探らせた。すなわち彼らに言った、「行って土地を探ってきなさい」。彼らはエフライムの山地に行き、ミカの家に着いて、そこに宿ろうとした。

 ダン部族の一部が、本来割り当てられた地を自分たちのものとすることが出来なかったので、自分たちの住むべき嗣業の地を求めていました。

 本来、割り当てられた土地を神さまに頼って、獲得するのが彼らのやるべきことでした。嗣業というのは、神さまから与えられた土地というのがその意味ですから、それを自分たちで決めるために5人を偵察に派遣すること自体、無謀で神さまを無視した行いでした。

 5人はミカの家に立ち寄り、ミカが勝手に雇った祭司から神さまの御心を知ろうとしました。
 そして、この祭司は、神さまに聞くこともなしに、

18:6 その祭司は彼らに言った、「安心して行きなさい。あなたがたが行く道は主が見守っておられます」。

 と答えています。聞く方も聞く方ですが、答える方も答える方です。

 最初から偶像の神を造って拝み、イスラエルの神さまから外れ、無視して自分たちの都合の良いことをまかり通していました。そのようなイスラエルの民たちの様子があからさまに描かれています。

 このあと、ミカの家の祭司は、条件のよいダン部族の祭司となります。
 ダン部族は、その後5人が調べた平和な町ライシを急襲して、奪い取り、そこを勝手に自分たちの嗣業とし、まことの神さまではなく、ミカの作った像を拝み続けるのです。

18:30 そしてダンの人々は刻んだ像を自分たちのために安置し、モーセの孫すなわちゲルショムの子ヨナタンとその子孫がダンびとの部族の祭司となって、国が捕囚となる日にまで及んだ。
18:31 神の家がシロにあったあいだ、常に彼らはミカが造ったその刻んだ像を飾って置いた。


2.部族の混乱


19:1 そのころ、イスラエルに王がなかった時、エフライムの山地の奥にひとりのレビびとが寄留していた。彼はユダのベツレヘムからひとりの女を迎えて、めかけとしていたが、

 19章は、始まりから不穏です。神さまに仕える働きをするレビ人にめかけ(側妻)がいるところから始まっているからです。

 この側妻が、ベニヤミン族のギブアで、無残な殺され方をしました。
 これは、部族は違っていても同じイスラエル民族の中での話です。
 このレビ人は、殺された側妻の肉体を12に切り分けて各部族に送り、事件の問題提起をします。

19:29 その家に着いたとき、刀を執り、めかけを捕えて、そのからだを十二切れに断ち切り、それをイスラエルの全領域にあまねく送った。
19:30 それを見たものはみな言った、「イスラエルの人々がエジプトの地から上ってきた日から今日まで、このような事は起ったこともなく、また見たこともない。この事をよく考え、協議して言うことを決めよ」。

 そこで、イスラエルの人々がダンからベエルシバまで(つまり北から南まで、イスラエル全体で)、主の前に集まり、ベニヤミン族に制裁を加えるために集いました。

20:8 民は皆ひとりのように立って言った、「われわれはだれも自分の天幕に行きません。まただれも自分の家に帰りません。

 わざわざ、民は皆ひとりのように立ってと記されています。
 それは、ここまで、個人で、それぞれが自分の正しいと思うままに勝手に行っていたので、当然、部族ごとも思うままであって、イスラエル民族としての統制がとられていなかったということでしょう。

 部族間の対立もあったと考えられます。ですから、このあと、ベニヤミン族も他のイスラエルの民の制裁案に耳を貸さずに、イスラエルの内部紛争に発展しています。

 ベニヤミン族を除くイスラエル全体は、主である神さまにお伺いを立てからベニヤミン族との戦いに臨みますが、数の圧倒的有利を活かせずに二度敗北します。

 統率するリーダーがおらず、足並みがそろわなかったのか、神さまが数の優位で、彼らが誇り高ぶることのないようにされたのか、あるいは、ベニヤミン族を滅ぼし尽くさないようにとの神さまの御思いであったのかもしれません。

 しかし、ベニヤミン族への制裁は確かに主のみこころでした。

20:28 アロンの子エレアザルの子であるピネハスが、それに仕えていた――そして言った、「われわれはなおふたたび出て、われわれの兄弟であるベニヤミンの人々と戦うべきでしょうか。あるいはやめるべきでしょうか」。
主は言われた、「のぼれ。わたしはあす彼らをあなたがたの手にわたすであろう」。

 戦いが終わって、彼らは神さまの前に座り、声を上げて激しく泣きます。

21:2 民はベテルに行って、そこで夕暮まで神の前に座し、声をあげて激しく泣いて、
21:3 言った、「イスラエルの神、主よ、どうしてイスラエルにこのような事が起って、今日イスラエルに一つの部族が欠けるようになったのですか」。

 しかし、ここで根本的な問題に迫っていません。
 ここで、彼らは、士師記で繰り返されていることば、

21:25 そのころ、イスラエルには王がなかったので、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなった。

 この警告に応えるべき反省はしていなかったのです。

 彼らの間に人間の王はいなくても、王であり従うべきまことの神さまがおられたのです。
 これまで、モーセが神さまから与えられた律法をヨシュアが引き継ぎ、神さまの律法に従い、神さまを信頼し、信仰の戦いによって約束の地を獲得していく、つまり王なる神さまに従う信仰が士師の時代に崩壊してしまっていました。

 それは、ヨシュアのあとの士師の時代には、部族長や部族に割り当てられた、祭司に期待された働きであり、またそれぞれの一家の長に任せられていた役割でしたが、機能していませんでした。

 今回は、個人としてミカという人の問題、部族としてはダン族の問題、そしてベニヤミン族の問題から発展したイスラエル全体の問題を見てきました。

 個人も、部族も、民全体も、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこない、神さま無視して、社会全体が秩序を欠いています。

 しかし、希望もあります。聖書を読み進めると、今日の箇所でわずかに残されたベニヤミン族からイスラエルの初代の王サウルが立てられることを見ることができます。

 また、この後のルツ記では、イスラエルの民を統率するダビデ王のルーツが語られ、救い主イエス・キリストにつなげられていきます。

 神さまは、今もなお、憐れみを持って導いておられます。その証拠に、神さまは聖書の約束通りに、イスラエルの国を、同じユダヤの民、同じヘブル語という言語。そのままに1900年ぶりに復活させました。1948年のことです。


 今の日本もこの士師の時代と同じ、おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなっていた彼らの秩序を欠いた状況と変わらないのではないでしょうか。

 ひとり一人が神さまへ立ち返り、神さまとの関係をあらためて見直し、神さまのお言葉を指標として従い歩む時に、神さまは、ひとり一人を、またそれぞれの家庭を正しく導いてくださり、そこに必ずや祝福を与えてくださいます。


 また、そんな人々の国全体も神さまはあわれんでくださるに違いありません。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?