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 天国があるとはあまり思えない・・・それでも生まれてきてよかった

 息子が時折、死んだらどうなるの?というような質問をしてくる。宗教観に疎い自分としては「死んだら天国がある」とは、とても言えない。「天国」と聞いても、何やら、ドリフのコントの志村けんやいかりや長介が演じる、頭に輪っかをつけた天使のようなものが浮かんでくる。高木ブーが雲の上でウクレレを弾いている。あれは雷様だから、神様ではないが。

 かといって「死んだら、何も残らないよ、ただただ灰になるんだよ」「時々とてもちっちゃい缶ビールやスーパーで買ったお供え物が供えられたり、スーパーの入り口に売られている安っぽい花が墓石の前に飾られるんだよ」と言うのも、悲しい。墓石に「夢」とか「絆」とか書いたりする昨今の風潮も、なんだかとても寒々しい。

 よく知らなかったが、葬儀はとてつもなく高いらしい。高齢化が進む今、火葬場が飽和状態で人が焼けないらしい。葬儀屋のためにある死。焼けずに冷やされる遺体。身近な人が亡くなった失意の中で全ての運営をしなければならない家族。本人がいなくなってもやめられないサブスクリプション。本人確認が取れないから解約ができない。

 今でも覚えているのが、祖父の葬式に突然やってきた議員。生涯一度も祖父と面識はなかったのに、誰よりも最初に声高に弔いの言葉を放った眉毛の太い男性と、そのことに異を唱えることなどできない、地方都市に暮らす祖母。

 盤石で絶望的なシステム。

 生きること、死ぬことを考えた時、日本のそれはとても安っぽく思える。マニュアルにあふれるライフイベント。人生の重要な出来事を、消費のチャンスだとみなして商売にし続ける、徹底的な虚しさ。人々のライフステージ、全てを商売にする、その悲しさ。

 生きること、死ぬことに対しての、言葉を私は全然持ってこなかった。誰からも教わった記憶がない。ただただ、物を買うばかり。競争ばかり。日本の物は安くなる。ビールは薄くなる。ストロング・ゼロは強くなる。カントリー・マアムは小さくなる。激昂する人は増え続ける。女性や子供、気の弱い人、言い返せない人を周到に狙ってキレる人たち。絶対に負けない人に思い切り売る喧嘩。

 この滅びつつある日本社会のシステムを、必死に耐えて、生きた先に、一体、何があるのか。息子にかけられる言葉が自分にはない。死んだ後に、天国があるとは、とても言えない。お金を稼げば幸せなのか、タワマンに住めば幸せなのか。窓から花火が見えれば幸せなのか。富士山が見えれば幸せなのか。部長になったら幸せなのか。

 虚しさが溢れるこんな日本に生まれてきた息子。この先の日本に明るい要素は見えない。どうしてこんな世の中に生まれてきたのか?長時間youtubeを見るため?
 
 それを疑問に思うこともきっとある。

 だからこそ、息子が生まれたことが自分の人生において、最大の幸せであると、言葉にして、伝えることにしている。

 自分の幼少期には、誰からも、そんなことを言ってもらえなかった。自分によく似ている息子にその言葉をかけることで、傷つけられた幼少期を、新たに生き直しているような気持ちになる。

 子供の頃、「生まれてきたことがそれだけでいい」なんて、到底思えなかった。他人より、優れていることがなければ生きている価値などない、そう思い込んでしまっていたから。

 私に酷似している息子は、なんとなくその言葉を聞いている。空気がピンと固まって、息子が、聞いてくれていることは、なんとなく、わかる。

 いつかもし、生きていることがとてつもなく辛いと思ったとしても、その言葉を思い出してもらえるように。

 安くなり、衰退し続ける日本で、生きていくのも、それはそれで楽しいこともあるのだと思う。

 人生をまっとうした先に、神様がいて、天国があるとはどうにも思えないけれど、あるとは思えない天国で、頭に輪っかをつけた志村けんや、いかりや長介に会えたら、楽しそうではある。

 それまでにウクレレを練習しておいて、一緒にウクレレを弾きたいと思う。

 以上です。

 

 

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