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海外に…住む人たちの意見など…取り入れる余裕…日本にないかも…?批判だけされ悲しくなるだけ…?

 twitter(現:X)を一時期よく見ていたが、最近は、少しチェックしただけでも日本が滅びるようにしか思えなくなるので、なるべく見ないようにしている。

 自分がフォローしているライターや作家の方々は、海外(アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどの移住したい先、上位の国々)に住みながら、日本の媒体に文章を書くような(憧れの)仕事をされている方が多い。好きでそういう方々をフォローしているのだから仕方がないのだが、海外と比較した時に、日本はこういう点がまずいというような内容のつぶやきがとても多くなってタイムラインを埋め尽くしてしまう。

 日本の右傾化や、税金を使っているにもかかわらずどうしようもないことに費用が使われていることへの批判や、パワハラ・セクハラ・モラハラなど男女差別が横行していることに関する嘆き、男女の雇用機会の不均等ぶりや女性の社会的な立場の圧倒的な低さなどなどに関するつぶやきが多く、数時間見ているだけで、心の底から日本に絶望してしまう。

 私自身、2011年の東日本大震災の頃、Facebookやtwitter(当時はまだtwitterであった)で放射脳と揶揄される状態に陥った。福島の原発事故による、放射能の危険性を煽る記事をひたすらに掲載し続け、憂国のつぶやきを書き連ねてしまった。そんな苦い思い出があるのだが、Facebookやtwitter(現:x)は、自分の書いたものが、影響力を誰かに強く及ぼしているかのような錯覚を簡単に得られる麻薬のようなメディアである。自分と同様に「何者かになりたい(しかし、なれそうもない)」人たちのアクセスを集める圧倒的な中毒性があると思う。ジャーナリスト気取りになれてしまう。

 もちろん、この、noteだってライター気取りというか、作家気取りになりたいと思いたい私のような冴えないメンタルヘルス壊しがちな人々や、窓際サラリーマンたちの自意識を養分として栄える媒体であるので、致し方ないのであるが、「政治に関するSNS上でのつぶやき」には、どの程度意味があるのだろう、と思ってしまうところもある。SNSを見事に駆使して、第一次トランプ政権が誕生したという事実もあり、影響力は強くあることは間違いない。しかし、そもそも、少数派側である立場の人々はSNSで力を得られているのだろうか。若い世代向けのネット戦略によって躍進した政治家の、ラジオやテレビでのインタビューでのあまりの酷い対応が、twitter(現:x)上で大変な話題になり、国をあげた大喜利にまで発展し、ふかわりょうさんの見事なつぶやきには、さすが長きにわたり「五時に夢中」のMCを続けているだけのことはある!と、感動したものだったが、躍進した若き政治家の発言ぶりには衝撃を受けた。間違いなく、自分たちの世代が熱心に見てきた、テレビ、ラジオなどの媒体を、完全に無視しても問題ないということ、ターゲットにしていた若年層からの支持率および得票数は、「インターネット戦略を全力で行えばどんな人であっても高まる」ということを、これ以上ない形で、知らしめてくれたと思う。

 新聞やテレビでコメントしたい、自分の書いた文章を多くの人に読んでほしい、情熱大陸にいつか出演したい(「ザ・ノンフィクション」には出たくはないが圧倒的に面白い)という、この昭和生まれの人々が熱くたぎらせる欲望。Facebookで、政府を批判しても、その書き込みは誰にどう届くのか、なんだか、とても虚しい気持ちになって、冷めてしまう自分もいる。

 Facebookを含む、昭和世代がアクセスするメディアや新聞などの媒体、そして何より政治の世界、国政の世界はとてつもなく、くすんでしまい、できる限り関わりたくないと思わせるに足る魅力の無さである。その魅力の無さが生み出す、多くの人の無関心は、昭和世代の怨念を右傾化の方向にたぎらせる人たちにとっても、非常に好都合なのかもしれないということも、同時に感じるのであった。

 海外に住む人たちに批判をされても、その批判を、意味のある形にして日本を変えて行ける・・・そんな気持ちには、到底なれない日々なのであった。

以上です!

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