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家事よりは パワハラの方が ありがたい~花を飾る花瓶もなかった~

後ろに道はない?前にもない?別に今後の女性のことを考えたことはなかった。ただただ、ひたすらに、チームプレーでこちらにノリでいやがらせをしてくる男性たちの背中を蹴り返したいと思っていた。それは小学生の頃からずっとやられてきたことだったが、当時は彼らの背中を蹴り返せなかった。明らかに意図的に辞めさせようとしてくる高学歴マッチョ男性からの攻撃をいかにかわして居続けるか、そのことそのものが目標になっていき、私はあらゆる友人、相談機関、カウンセラー、時にはとても残念な相談窓口に相談しまくり、世界中のドキュメンタリーを視聴しつつ虐げられる人々の声を聞き、毎日、小さな録音機を持ち歩いて録音を続けて日々を送った。急に呼び出されて、明らかにいやがらせのようなことを言われることは日常茶飯事だったのだ。

結果的に、土俵際ギリギリのところの激ヤバな状況を10回ほど切り抜け、生き延びてしまった。キャリア志向などかけらもないし、今もない。後輩の女性ために道を作ったなどとも全く思っていない。しかし、私が土俵際で塩をまきまくりふんばったことで、旧態依然とした組織だった残念な職場においては、今は心身の調子を崩して長期に休んでも、戻ってくる人が普通にいられる雰囲気に変わった。あらゆる映画やお笑いを見続け、本を読み英語と中国語を学び続けたことで、今は職場の中にも、外にも、いろんな居場所ができた。

どうしてここまで必死にハラスメントに耐えたかと言うと、私は家事が本当にできないので、家事だけはしたくない、と思ったからだった。仕事も家事もしたくないが、どちらかといえば家事の方が嫌なのだ。メンタルに上下があると、朝が起きられないので、家事はとてもとてもつらい。私の業務を管理してくれる人がいないと、私は何もしないのだ。家事は無給だが、パワハラはお金がもらえるのだ(!)。そして、就職活動のことを調べれば調べるほど、女性の正規雇用の枠がどれほど狭いかをリアルに知って、辞めたら二度と正規の仕事には就けないと確信したので、とにかくひたすら居続けることにした。かなりキツいことを言われても、「※意見には個人差があります」と脳内に思い浮かべると大抵のことは平気だし、何より私は兄と母による外見に関する暴言を多感な時期に受けて育ち、親友は日常的に隣の席の男子から局部を触られていたし、暴走族に殺されかけた知人がいたり、サイゼリヤとガストとバーミヤンしかない地方都市で育ったので、ほとんどの人たちは彼らよりも優しいし、東京で暮らせるだけで幸せなのだった(!)。都内にも治安の悪い場所はあるだろうので、地域差はあれど、今住んでいるところは大変に治安がよく、少なくとも金属バットでぼこぼこにされる不安はないし、自転車に並走してくるオッサンに痴漢に遭わなくて済む。積み重ねたキャリアのなせるわざである。仕事上は何かを積み重ねた実感はまるでないが、とりあえず幸せである。

そして仕事を続けてきた一番の大きな理由は、体育会系マッチョ男性が開く私の送別会に絶対出たくない、それが理由だった。送別会が本当に嫌だったのだ!自分を辞めさせたいと思っていた男性が開く送別会に出て、「今までありがとうございました」と書かれた色紙を渡され、花束を持って電車に乗りたくなかったのだ!私は、花束も大の苦手なのだ!花を飾る花瓶もないし(Ⓒ電気グルーヴ)!

大学まで一生けん命勉強をして必死に就活をするも、仕事が大変過ぎて女性が主婦になったとする。自分の母親のように、地方都市の団地で主婦になっても、超大手企業に勤める男性の元で主婦になっても、預金残高や住む家のグレードや子女の進学先や日々の話題や老後資金は著しく異なるとはいえ(老後資金に関しては本当にうらやましい)、毎日朝ドラや「あさイチ!」を見たり、「ミヤネ屋」を見たりしながら、育児に明け暮れ、掃除や洗濯をし、ごはんを作るという生活は変わらないわけである。

窓から見える風景が素敵な「区」なのか、私の地元である、たまに洪水が起きた堤防沿いの川とエロ本が落ちていた土手か、夜中に聞こえてくる暴走族の音色の有無やプライドのよりどころの違いはあるとはいえ、あんなに就活を一生懸命やって必死に大手企業の内定をとった多くの同級生や先輩、後輩の女性たちが結局・南極・主婦になっていく、という実態は、今はそんなものよね、と思えるし、むしろ主婦になっている人たちがいかにレアかも知っているので、純粋にうらやましいけれど、大学卒業後、数年の時期には、とても衝撃的であった。

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