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人生のピークはどこにくるといい?学生時代じゃ悲しすぎるね…!

さて、思いのほか、「30歳になってお互いに独身だったら結婚しよう」と言い合っている男女についてのエントリー(https://note.com/nesugi/n/n4b4436512135)がよく読まれているので、これに関連して、ずっと書こうと思っていたが、書きそびれていたことを書きたい。

「30歳になってお互いに独身だったら結婚しよう」と言い合っている男女は、20代の後半時点では、恐らく、とても、輝いている。どう考えても見た目(等)が、素敵であろう。そうでなければ、こんなセリフは言われない。

私は言われたこともないし言ったことはない!飲み会でもシャレにならん。絶対に誰にも言えなかった!言ったらどうなるか・・・海が割れたかもしれない。

これを言い合っている男女は、間違いなくそれまでに恋愛経験がちゃんとあり、誰からも見向きもされないような、宅八郎(※古い)みたいな感じの人たちでは、ないであろう。(注・ググったところ、宅八郎は奥様もお子様もおり、今はちょっと精悍な雰囲気になっておられました!)

私は思春期の頃、比較的、宅八郎に近い外見をしていたと自覚している。髪の長さがとても中途半端で、対人恐怖があったので、挙動不審で、さらにストレスのせいか、髪を自分で抜いてしまう癖が小学生の頃にあり、そのため毛量が少なかった。さらに団地の風呂場が過酷な環境であったために髪を洗うのが一苦労で、毎日はシャンプーをしていなかったために、髪が脂でしっとりとしていて(読んでいて不快になった方いたらごめんなさい!)かなりタッキー(滝沢秀明ではなく、宅八郎の「宅」部分をタッキーと「活用」させている)であった。

あの頃の自分の雰囲気は、触るもの皆傷つける内面、外見を兼ね備えていた。

「30歳になってもお互いに独身だったら結婚しようよ」という言葉は、それを放って「ギョエー!(ドラえもんがネズミを見た時の発言)」と思われない、という自覚、自信が男女双方にないと成立しない、そんな、やりとりなのである。

自分のコンプレックスが原因なのだが、お受験のシステムに批判的なことを書いたり、卒業した学校名をうわ言のようにつぶやく人への疑問を書いたり、東京生まれであることに対して不遜なプライドを持ってしまっている一部の人々への疑問などを書き続けてきた。しかし、こういったシステムは、必ずしもすべて意味がないとは言えないとも、重々、承知している。

自分自身を突き動かしてきたもの、それは、今いる場所から、なんとかして抜け出したい!もっと、良い環境のところに行きたい!というような想いだった。その感情に「上下」は間違いなくある。ペーパーテストの成績、受験の結果による学歴、住む場所、職歴、収入、その後の立ち位置。「下」から「上」にいくための手段と努力。

はちまきを締めて頑張る。サザエさんにおける、カツオ風。勉強しなさいカツオ!ネエサン!イテテ!そういえば、花澤さんは不動産屋の娘である。子供の頃、やはり家が裕福な人々は、割と堂々としていた(態度がデカかった)ことを思い出す。

集団の中で「下」に居続けるのはつらい。

人生の多感な時期の9割くらいの記憶が最下層だったという認識のもと、生きている自分が、いつまでもその感情を払拭できないという事実が、「下」だと扱われたと自負してしまうことの、ネガティブな影響を、十分に体現している。

「イケてる」と思われたい。

有名企業に勤めて、お金を稼いで、美しい奥さんが欲しい。

お金持ちで、優しくて、疲れたときには肩をマッサージしてくれて、癒してくれるようなパートナー(いにしえの人気ドラマ、アリー・マイ・ラブの中で語られたアリーの理想の男性)と出会いたい。

そういった情熱の大切さは実感している。

アリー・マイ・ラブの中でアリーを演じていたキャリスタ・フロックハートは、ハリソンフォードと結婚した!

そうはいっても、日本における受験や企業内のポジション、年収などの「上下」には多大なる問題点があると思う。

それは、絶対に誰にとっても「ピーク」のような時代が生まれてしまい、そのピーク時は、10代の多感な時期の初期、あるいは「内定」をとった21、22歳、あたりに来てしまう、ということである。その後運良く良い立場で働き始めても、なにがきっかけでそのルートから転がり落ちるかは分からない。人生100年時代である。残りの70年以上が下り坂は、キツい。

受験に関して言えば、(自分は経験していないが)中学受験が重要な地域であった場合、10歳頃から勉強を始めたとすると12歳、13歳で結果が出て、その後の人生を決めてしまう、と思い込んでいたら、もし80歳まで生きたとすると、「人生のピーク」の時期が早く来すぎてしまうのではないか、という問題を感じるのである。

もちろんその後の社会的立場がずっと上昇していける人もいないわけではないだろうが、「海山商事(©️サザエさん)の課長になる!そして部長になる!さらには役員!ならずんば死!」などと思ってしまったら、ほとんどの人は、なれないわけで、ずっと「ああ・・・俺は課長にすらなれなかった・・・」と思ってしまう。

就職した組織において、ずっと辛酸を舐めてきた私にとっては、学生時代の思い出がかなり濃厚で、あの頃の自分は輝いていた(注:自称)のに一体今の自分はなんなんだろう、というような思いがずっとあった。高校、大学が楽しすぎ、その学生時代がピークで、その後は地べたを這いつくばるような経験が続いてしまった。忘れていた幼少期のコンプレックスとそれに付随した過去の記憶にさいなまれ、恵まれている(ように見える)人のことが羨ましかった。

その後、長きにわたり、瞑想をしたり、カウンセリングを受けたり、いろいろな働きかけが功を奏して職場環境が改善されたりしていき、今は、「今が人生で最も楽しい」と心から言える。

「コンプレックスはアートなり」という名言をもとに国内外で活動をする、今日本で最も素晴らしい(ねすぎ調べ)愛知県出身の4人のガールズバンドである(ガールズバンド、という表現はあまり似合わないが便宜上そう言わせていただく)CHAIの言葉にも四十路を過ぎて励まされ、「コンプレックスはアートだったのか!」と目から鱗である。2023年、CHAIのライブ@恵比寿ガーデンホールは、素晴らしかった。

もし今、人生のどん底にいるような気分の人がこの文章を読んでくれていたら、本当に伝えたい。狭い世界における上下にそれほど意味はないと。底の底にたどり着いたら、あとはひたすら上がるだけだと。

だからとにかく、なんとか毎日をやり過ごしてほしい。20年前の自分にも、伝えたい。youtubeを見て、映画を見て、お笑いを見て、音楽を聴いて、そして、なんとかやり過ごしてほしい。上も下もないと。ジョン・レノンも、そんなようなことを多分言っていたよと。


 


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