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女子と語学力(3) 〜ネイティブと 話せたらすごい! それだけで〜

自分が教わった、中学校、高校の英語の先生たちは、ほとんどが女性だった。彼女たちは、どこか、英語の先生であることを誇らしそうにしていた。

自分にとっては暗黒の中学生時代に唯一、異色とも言える、男性の英語の先生がいた。その先生は、通勤ラッシュの東京の地下鉄内で、ごく僅かな量で大量の何の罪もない人々を死に至らしめたり生涯にわたる後遺症を残したほどの、毒ガスを、白昼堂々撒くという、世界の犯罪史上、類をみないほどの深刻かつ凶悪な「テロ事件」を起こしたカルト宗教団体の教祖であった人物に、顔が非常に似ていた。

その事件が起きた日、友達と3人で、ディズニーランドという夢の国に行った。東京からそこそこ離れた場所にある地元から、夢の国ディズニーランドに行くということで、数か月前からわくわくし、カレンダーに大きく丸をつけて、その日を待った。当時の自分にとっては、まるで海外旅行に行くくらいの大イベントだった。ローカルな電車だとは感じてはいなかった、1時間に3本しか便のない「上野行き」の電車に乗り(むしろそこが世界の中心であったが故に、その電車が地方都市の、東京都内とは比べ物にならないほど本数の少ない電車なのだと考えたことはなかった)広大な荒野のようなところを走る、白い車体に青い線が入った電車と、その他複数の電車を緊張しながら乗り継いで、本当は千葉県にあるのに堂々と東京と名乗っている、東京ディズニーランドに行ったのだった。

今のように、SNSやtwitterも、ジョルダン乗り換え案内、google mapなど全く存在しない時代。親は心配していたかもしれないが、昭和の名残がまだある平成の時代の独特のゆるさの中、私と友人は、緊張しながらもちゃんとディズニーランドに到着し、その日1日を、思い切り楽しく過ごした。後から毎日のように面白おかしく流されていた報道によれば、教祖の指示を言われるがままに実行した人々はのきなみ高学歴であることが社会に衝撃を与えていた。受験勉強をせっかく頑張っていい大学に進学した人たちがそんな残酷な事件を起こすなんて、と、何か「暗記中心、試験対策中心の勉強にばかり励んだが故の最悪な末路」のように感じられる報道は多かったように思う。

まさかその後の日本の方向性に多大な影響を与えるような大事件が起こっているなどとは全く思っておらず、呑気に、ディズニーランドを楽しんだのだと思う。その日、テレビのニュースで事件を知った親が、そんな日に東京方面に出かけて行った私と友人が無事かどうかを心配して、帰宅時にはものすごく心配そうな青い顔をしていたことは、うっすらと覚えている。

今でも記憶にある、中学校では珍しかった男性の英語の先生は、凶悪なテロ事件を起こした宗教団体の教祖に顔が激似だった。教祖が髪を短く切って、少し浅黒い肌にしたような雰囲気だった。その先生は、当時小さな街で初めて見る欧米人だった、英語の授業を補助する役割の「AET」と呼ばれる、アメリカ人と思われる「金髪碧眼の」スミス先生(仮名)と「英語で」会話ができることに、絶大な自信を持っていた。私は、レンタルビデオやテレビの洋画番組で見るアメリカの映画以外で、アメリカ人を見たことはそれまでなかった。実際に存在するアメリカ人は、それまでの人生の中でスミス先生(仮名)だけだったので、とてつもなくかっこよく見えた。自分にとって、映画で見るアメリカという国は、あらゆる意味で日本よりも進んだ国であった。そんな国からやってきたスミス先生(仮名)と「英語で」話せるなんて…!先生、すごい!と純粋に思っていた。しかし、その先生は、日本の地方都市の中学生の自意識過剰で尖りきった気持ちをざわつかせる、どうにも寒々しい先生だった。


彼は中学校の1年間、自分の担任の先生であったのだが、そのクラスは、絶望的なほど誰もが仲が良くない、バラバラのクラスであった。先生は、その事実から目を背けた過ぎたのか、学校内での合唱コンクールでクラスで歌うこととなった歌の楽譜についていた薄い緑色の表紙に、「◯年◯組は、何百回にも渡る練習を重ねて、素晴らしい成績をおさめました!」というような、もはや虚言に近いコメントを、コンテストの結果が一切出ないうちから、印字していた。

日本の犯罪史に残る「尊師」に似ていた彼は、あまりにも仲が良くなくて何をやってもバラバラ、運動会も周回遅れで最下位、普段の授業のテンションも激しく低く、誰もかれもが「このクラスはつまらない」と思っていて、その空気が濃密な濃度でクラスを覆っている、そんな状況が耐えられなかったのか、現実で起こっている事実を無かったことにしていた。その「無かったことにする」かつ「素晴らしい成績をおさめた」という虚言を印字するというウィットにとまない対応方法には、何か恐ろしさすら覚えた。ちょっとした面白おかしい冗談のつもりだったのかもしれないが…そんなことを書けば書くほど寒々しく…どういうセンスなのか、よくわからなかった。

そんな絶望的なクラスを率いる、宗教団体の教祖にクリソツ(←死語)であった先生は、英語のネイティブスピーカーであるAETのスミス先生(仮名)と英語で会話ができることを、授業中に、聞いてもないのにうわごとのように嬉しそうに度々話題にしていた。

私は純粋にその先生を凄いと思った。

英語ができるということは、たとえ麻原彰晃にものすごく似ていて、クラス運営に大幅にしくじっていて、すべての行事が地獄のようにつまらなく感じられるクラスを率いていても、その全てのマイナス要因を凌駕する圧倒的なパワーに満ちているように感じた。英語が「ネイティブ」の、「金髪碧眼」の、あの「かっこいい」スミス先生(仮名)と話せるなんて!!!

「ネイティブと、会話ができる英語力」…地方都市の中学生の自分にとって、その能力は、その他のマイナスな要因すらも吹き飛ばし、「英語が話せるすごい人」として君臨させることができる能力なのだと、その時は感じていた。

女子と英語力(4)に続きます…。

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