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[短編]二月の国

  二月は硝子(ガラス)で できている。

誰も わけ入ることも、誰も 立ち去ることもできない、雪と氷と音楽の透き通った国。
凍った街の凍った通りに立ち並ぶのは、硝子でできた家々。
住んでいるのは子どもだけ。
ひとりに ひとつずつ、寝室と居間とささやかなキッチンのある家があり、どの家にも鉱石ラジオが置かれている。
そこが二月の国だ。

ラジオをつけるとノイズが交じる。
それはダイヤモンドダストが降る音にもにて、クォーツェ達は硝子ごしに笑いあう。
ーねえ、これは氷が降る音?
ーそれとも、ラジオのくしゃみ?

子ども達は皆よく似ている。
肌は透き通って白く、髪の色は白から半透明、瞳は灰褐色、細い躰も小さなくるぶしも皆お揃いで、顔立ちばかりが少しづつ違う。名前は誰も彼もがクォーツェ。


光が透過する。
硝子の部屋の内側で、隣り合った部屋のクォーツェが互いの楽器を持ち寄り、音楽を奏でる。
右側の部屋の子どもはライアーを、左の部屋の子どもはショームを鳴らす。
このとてもとても寒い、二月の国では、楽器はそのもてるうちでいちばん控えめで優しい音でしか響かない。
ラジオで覚えた、耳慣れた音楽をなぞる。

ーねえ、その子は楽器を弾かないの?
ショームを吹くクォーツェが、ライアーを弾くクォーツェに訊ねた。
ライアーのクォーツェの傍らには、彼と同じ顔のもう一人の子どもがいた。
ーこの部屋にはね、楽器はこれひとつきりなのさ。
彼は答えた。
ーそれに、きっとこの子は迷子なんだよ。
ーああ、それできみの家にずっといるんだね。
ーだって、ほらこの子の髪は紫だもの。
ー瞳だって紫だ。
ーこんな子どもは見たことないよ。
ーでも、顔はきみにそっくり同じだよ。まるで鏡に映したみたいに。
ショームのクォーツェに言われ、ライアーのクォーツェはきまり悪そうに微笑んだ。
ーでも、彼は僕等とは、違うだろ。
それから二人のクォーチェは、互いの顔を見合わせて、くすくすと笑いあった。
紫色の子どもは、ひとり丸椅子の上に膝をかかえた。

向かいの硝子の家からはチェンバロの音が、その隣からは小太鼓の音が聞こえ始め、それらは幾重にも重なり合い、やがて街を繋ぐ一つの旋律になった。
硝子の屋根を透かして、陽は降りそそぐ。家々の硝子が光を受け、乱反射し、街そのものが光っているようだ。硝子の箱の中の楽隊たち。凍った通りを音楽は流れていく。
その部屋の、硝子の床には二つの影。淡い灰色と、ラベンダー色の影。
紫色の子どもは、迷いこんだ旅人のような心持で、音楽を聴く。

❄︎

夜にはきまって雪が降る。
すると森の方から冬のケモノがやって来る。
クォーツェ達は、みな冬のケモノを怖がっている。
ー大丈夫。お父さんたちとお母さんたちが、僕等を守ってくれるからね。
クォーツェ達は互いに、なぐさめあってそれぞれの家のベッドにもぐりこむ。

街の境には透明な壁があって、冬のケモノはそれを越えて入ってくることができない。
透き通っているのに、それはとても高く硬い壁だった。
冬のケモノが、硬い皮膚を鎧うた大きな躰でぶつかろうが、鋭い爪で掻こうが、吹雪の息を吐きかけようが砕けることはなかった。
ーお父さんたちとお母さんたちが、あそこで守ってくれている。
いちども会ったことも見たこともない大人たちの守護のもと、クォーツェ達は星のない夜を眠るのだ。

ーねえ、あの赤く見えるのはなに?
クォーツェはもう一人の子にきいた。
ふとんを頭からかぶり、目だけだしている。
もう一人は硝子の壁を透かしてみえる、街はずれをうろつく赤い光を見た。
ー冬のケモノの真っ赤な喉笛だよ。大きく口を開けているんだ。
ーいやだ、僕こわいよ。
クォーツェの頬を涙がつたって、真っ白いシーツに零れた。
ーだいじょうぶだよ。
ベッドの端に腰掛けて、彼は言う。
ーほんとうに?
ーだいじょうぶ。きみは僕が守ってあげる。
ーきみは?
ー僕は大丈夫。だってきみがいるもの。
ーでも、僕は・・・
ーいいから、おやすみ。僕はずっと起きているから。

森の木々を縫って射し込む朝の光が、朝靄で柔らかく屈折する。
冬のケモノは森の根城に帰ってゆく。

クォーツェが目覚めると、もう一人はいない。
お風呂から水音がする。
クォーツェが覗くと、硝子の浴槽に浸かった紫色が、
ーよく眠れたかい?
と尋ねる。クォーツェはこくこくとうなづいた。

ーきみはいつまで、そうやって浸かっているんだい?
彼はぬるくなった湯をかきながら、
ーこうしていれば、躰から色が抜けて、僕もきみたちみたいになれるかな。
ーさあ、分からない。
クォーツェは彼のために着替えを持ってきてやった。
ーでもそうなったら、きみらしくなくなるね。
ー僕らしいって何?
彼は不思議そうな顔をする。
ー僕には、家もないし、楽器もないよ。

ライアーのクォーツェ、リュートのクォーツェ、チェンバロのクォーツェ、皆、自分の奏でる楽器が彼等の名前がわり。
西の坂の家、東の丘の家、目抜き通りの最初の家、皆、家の場所が彼等の名刺がわり。
もう一人の子には、それがない。

ーきっと、きみのための家と楽器が何処かにあるよ。
ー色があっても?
ー色があっても。
  
それから、クォーツェが眠れない夜は、彼はずっと起きて見張りを続けた。
彼が日がな一日、浴槽で過ごした後は、クォーツェは着替えを用意してやった。

❄︎

薄陽さす午後に、謐けさに満ちた通りを、紫色の子が横切る時、硝子越しにいくつものクォーツェたちの目が瞬いた。
彼が小さく手を振っても、応えるものはいなかった。

❄︎

ー音がする。
クォーツェは自分の胸の下に、掌を当てた。
ー何の?
ーわからない。わからないけど・・・。
クォーツェは自分の胸のどこか底深いところに、何かが結晶する音を聞いたような気がした。
ーここに、耳を当てて。
とクォーツェはもう一人に頼んだ。紫の頭を胸にぴたりと寄せたが、何も聞こえない。
ーねえ、きみ。
クォーツェは言った。
ー僕がお父さんとお母さんになったら、この家とライアーはきみにあげるよ。
ーおとなになったら、この家からきみはいなくなるの?
ーだって、おとなは街の中にはいないもの。みんな透明な壁のところに行くんだよ。
ーははは。
と彼は笑った。
ーきみみたいな怖がりが、壁のところに行くなんてむりだよ。だって、その向こうにはすぐ冬のケモノがいるんだもの。
クォーツェはおもしろくなさそうな顔をした。
ーなんだよ。せっかくきみに、全部をあげようと言ったのに。
ー僕はいいんだ。
彼はほほえんで言った。
ー僕はね、ここを出て探しに行ってみようと思うんだ。
ーなにを?
ーきみが言っていた、僕らしさが何処にあるのかを。

❄︎

鉱石ラジオが告げる今日の天気予報。
二月の国は 永遠に二月。
晴れて曇って雪が降り、そのくりかえしの中に閉じられる国。

ーさあ、今日はとてもいい天気だ。出かけよう。
彼は編み上げ靴の紐をしめなおした。
ーあてはあるの?
とクォーツェが聞いた。
ー北西の丘のいちばんたかい所にね、大きな湖があるんだよ。
ー丘の頂上にかい?
ーそう。そこは夕暮れになると紫色に染まるんだって。
ーよく知ってるね。
ーラジオが言ってたのさ。
ーでも・・・。ずいぶん遠いし、それに夜になったら冬のケモノがうろつきだすよ。
ーそうだね。でもその色は、きっと僕と同じ色じゃないかと思うのさ。ね、僕の言いたいことがわかるだろう。
ーでも・・・。
ーひとりでこの家に置いていかれるのが怖いのかい?
ーそういうわけじゃないさ。ただ、遠いから心配だなって。
クォーツのつよがりにくすっと笑って、彼は手を差しだした。
ー一緒に行こう。
と。


雪を被った森が、いつもより近くにあった。
二月の国でいちばん高い場所にあるその湖は、とうとうと水を湛えていた。
クォーツェともうひとりは、湖岸にそろって並ぶ。
さえぎるものは何一つなく、湖は黄昏を映して静かだ。
うす桃色の雲が湖面を流れ、刻々と移ろう空は、やがてあわあわと菫色に変わる。
菫色と紫の端境から、空と地はひとつづきになり青藍にとけようとする。

ー氷ってないんだね。
ーこの湖の向こうに、春があるからね。
ー春?
目を凝らしても、向こう岸ははるか遠く、何があるのかわからなかった。
ー僕等の知らない季節だよ。
ー知らない季節があるの?
ーきっと。きみの色は、次の季節までつながっている色だ。

汀に佇むクォーツェが、解けるように透明になってゆくのに二人は気がついた。
輪郭を失いながら、空気に溶けまじるように広がってゆく。
ークォーツェ、きみ。
ーおとなになるんだ・・・
ーお父さんたちやお母さんたちみたいに。
ーきみは、向こう岸へ行くんだよ。
もう一人はうつむいて首をふった。

その時、冬のケモノが息を殺して近づいてきた。
ーだいじょうぶ。きみは僕が守ってあげるよ。
とクォーツェは言った。
その躰は、高く硬い壁になり、もう一人とケモノを隔てた。
ケモノは唸るが、クォーツェを越えてはやってこれない。
ーきみは?
ー僕は大丈夫。だってきみがいるもの。
ーでも、僕は・・・

鏡映しになった言葉が、二人の間でさざなみになって、広がってゆく。

「アメジスト」

と彼は言った。

クォーツェが名付けた、この世界で唯一触れた人の名前。
受けとることができるのは、名のない彼だけ。

ーきみは僕が守るよ。

湖の水面を蹴って、アメジストは走り出した。
冬のケモノもクォーツェも、紫色に染まる世界の切岸でゆらめいた。
羽より軽い彼の躰は、水面に微かなさざなみをたて駆けた。
閉ざされた二月から、新しい季節へ、新しい名前で。
何処かへいざなわれ、世界線を越える。





カーテン越しの喧騒で、朝をむかえる。
街にみちる自動車の音、人の声。
六畳の部屋の壁際に、立てかけられたエレキギターが僕の楽器。
ピックに書かれた名前が、僕の名前。
胸の中には、深紫の水面を揺らして伝わってくるきみのーーー。

読んでくれてありがとうございます。