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5月の窓11月の椅子◇7&エンディング◇

<7>なんでもない日/恵都

台所のオーブンから香ばしい匂いが漂い、テーブルの上に飲み物や手の込んだサラダや薄焼のピザが並ぶころ、ヘッドライトの光が窓から差し込んだ。

なかなか暮れない夕暮れが夜に変わったことに気がつき、恵都はカーテンを閉めた。
外では鴻池さんのアウディとトヨタの2ドアクーペが並んだその後ろ、ギリギリ敷地にねじ込むように軽トラックが停まった。

「ども。邪魔っしまーす」開けっ放しの玄関から入ってきたのは、三津丸直人ことなんでも屋のミツマルとプロダンサー志望の凛の2人だった。

「凛ちゃん今日もかわいいねー」

恵都がハグして出迎え、ついでにマスク越しにキスすると、背後のミツマルがうらめしそうな顔をする。

「まだ付き合ってないの?」

凛に耳打ちするように顔を寄せれば、ミツマルの視線が付いてくる。恵都に反応を面白がられていることに気づかないミツマルは、眉根を寄せて何か言いたげに口をパクパクさせている。

「ないない!付き合うならかわいい系の女子って言ってんのに、オッサンしつこいから」

凛の身も蓋もない言い方に、ミツマルは顎が外れそうなほど口を開いた。
誰かに似てる、と恵都は思った。

「俺はまだオッサンじゃなーい!23だ!」

腕を振り上げた仕草でピンときた。

「あ、銭形警部だ」

「え?俺が?……こら待てルパ〜ン!」

まるで似てないモノマネをしながらリビングに入ったミツマルは、鴻池さんの存在に気がつき縮こまった。

「ちょっと俺、いつものカッコで来ちゃったけどまずかったかな?」

ペンキのついたツナギの腹を引っ張りながら小声で凛に聞く。

「いまさらでしょ」

素っ気なく返して凛は行儀良く鴻池さんにあいさつをする。
チェリーピンクの長い髪をハーフアップにしてお団子を2つこしらえている。上はオーバーサイズで下はショートパンツ、真っ直ぐ伸びた脚はつるりと白い。
男の子2人と聞いていた鴻池さんだったが、ポカンとすることもなくもう何を聞いても見ても驚かないと決めたのか、流れるようにあいさつを返した。
凛は鴻池さんが少しずれた横に、ちょこんと座った。

ミツマルはしどろもどろなので、理玖が代わって紹介をした。
「ミツマル君はこの家、リフォームするとき手伝ってくれたんです」

「それ以後タダ飯ぐらいなんです」

と恵都が言えば、バツが悪そうに「お手伝いします」と言って台所に入って行った。

「そういえばいつになったら、マーク・ロスコの模写完成するの?壁がずっと寂しんだけど」

皿とグラスを用意していたアヲに催促され、「すみませんまだです」と台所からUターンしてベニア剥き出しの壁の前に立った。
リビングの奥の壁にはリアルスケールのロスコを飾りたい。アヲのアイデアに皆賛成したが、ずっと後回しにされていた。
ミツマルは腕組みして睨んだあと、腕を広げてサイズを測っている。
「ここに直に描いてもいいっすか?」

「直に?」
「いいんじゃない?」
「急いでないけどそろそろ一年経つからさ」

理玖、恵都、アヲの声が順にミツマルの背に届いた。
最期の言葉に凜とミツマルが反応し、同時にハッと顔を見合わせた。

ちょいちょい、とミツマルが凛をとなり呼び、何やら示し合わせた凛がアヲを手招いた。

恵都と鴻池さんが目配せしあって首を傾げるその横で、凛はスマホとワイヤレススピーカーを出し床にセットした。
ノリのいい音楽がかかり凛がステップを踏み始めた。

「ああ!」っと叫んで理玖が唐突に眼鏡を掴んでやってくると、台所のカウンターの下に体を隠した。
おかしな角度で、浮かせて傾けた眼鏡をかけた頭部だけが恵都の方から見える。
何がしたいのか閉じた口をモゴモゴさせて天井を睨んでいる。

「何してんの?」

恵都が心配と興味半々で聞くと、一言「ズッケェロさん」と答えが返ってきた。
そこにミツマルがダンスに加わる。
凛と同じフリで、無表情に踊る。かなりシュールだ。
そこに何かを振り返ったアヲが加わって、盛り上がりを見せた。
ズッタンッと踏み鳴らすような振りを滑らかに踊ってるのは凜だけで、後ろの2人はついていくのが精いっぱいという感じが拭えないが、動きだけは揃っている。相当練習したのだろう。

2ターン目に入ったところで、
「サマになるわァ」
と鴻池さんが感嘆の声をもらしので恵都もうなづく。凛のキレの良い動き、アヲの真剣な眼差し、ミツマルは……上背があるので見栄えだけはする。
よくわからないのは、必死に瞬きをこらえて呻いている理玖がいったい何をしたいかだ。

曲が終わり、ひとりだけ息があがってるアヲが
「若者にはついていけないー」
とダイニングの椅子に座り込んだ。

「俺、もう目が死んだ」
立ち上がった理玖の目は充血してる。
「ズッケェロさんナイス!」
ミツマルがポーズ付きで労うので、やはり元ネタのあるダンスなんだろうと思い恵都が聞くと、
「ジョジョ、作中のダンス」
とアヲが簡潔に答えた。
「楽しそうでいいね」
3人で集まって部活みたいに練習している様子を想像した。

「では!」
とミツマルがバカでかい声をあげた。
「何も用意出来なかったので、急遽ダンスでお祝いさせていただきましたがっ!」
せえのっ、と言えば凛の声が重なった。

「「恵都さん、アヲさん、理玖さん、ご結婚1周年おめでとうございます!!!」」

おおーとありがとうの声をあげ、祝われた3人と鴻池さんが拍手をした。

「おめでとう。そう、記念日だったのね今日。だからコーチ急いで帰りたかったわけか」

鴻池さんに言われた理玖は送ってもらった礼を繰り返すと、さっとグラスにビールを注がれた。
「私飲めないんだよね」
と、自分のグラスにはデカンタからレモン水をつぐ。
それぞれに飲み物が行き渡ったところで、恵都は「乾杯!」とグラスを掲げた。

だいたいいつもお腹を空かせているミツマルは、理玖に白米をよそってもらいながらテーブルの上のものを口に押し込んでいる。凛は音楽をかけながら、恵都相手に恋バナ。「あたしより可愛い格好をしないで」と言われ別れた彼女の話をしている。

「アリスのお茶会みたいね」
と呟いた鴻池さんに、
「そうですね、不思議の国に来ちゃいましたね」
とアヲが答えた。
「気が早くてびっくりしたけど、今日でよかったかも。3月ウサギのお茶会みたいだし」
「え、気が早いって何が?」
理玖が聞く。
「結婚1周年」
「今日でしょ」
「違うよ、来週」

理玖と恵都が、慌てたように壁のカレンダーを見上げた。
今日の日付が旗や花で派手にデコレーションされている。
「あれ……は?」

「不燃ゴミの日だよ。朝、集会所まで持って行かないといけないから忘れないように……」

「えー」

恵都と理玖から同時に悲鳴のような声が上がった。

「どうして記念日忘れるかなぁ」

呆れたようにアヲ。

「忘れるからアヲが書き込んでおいてくれたのかと」
「俺も……」

「ウケる」
と凛がまったくウケてない表情で言うその横で、鴻池さんはお腹を抱えてクツクツと笑っていた。

理玖の張り切った料理も恵都の常ならぬ早い帰宅も、招かれた人たちもきっかけは不燃ゴミの日。

「ああ、そうねそうね。今日は何でもない日のお祝いなのね」

鴻池さんは笑いをこらえながら言うと、グラスを傾けた。

「じゃあ、何でもない日おめでとう!」



◇          ◇            ◇


酔いが回ったのかソファのアヲが動かないと思ったら寝ていた。
恵都はお客が帰った部屋の明かりを少し落とした。
換気のために開けた窓から吹き込む夜風に甘い花の匂いがまじっている。

「アヲ寝てるの?」「うん」「珍しくない?」

理玖は薄い毛布を掛けてやる。

「早起きさせちゃったから」「そうだっけ?」「理玖は寝てたよ。髪乾かしてくれた」「俺だけじゃあなたの面倒みきれない」「3人っていいね」「そう」「私が死んでも独りにならないでしょ」「でも寂しいと思うよ」「そう」

恵都はソファに仰向けになり、アヲを踏まないように脚を延ばした。

「眠いの?」「ううん、ん」「…手?」

差し出された手に指を絡めてそのまま引き寄せるので、理玖は屈まなければならなかった。

「先のことは分からないね。でも、ひとり残して逝くのを考えたら、2人いてよかったって思うかもね……」

そう言って理玖は床に座った。手は繋がったままだ。

「生きてることも一緒だよ。いてよかったって思うことは、たくさんあるよ」

理玖の代わりがアヲではないし、アヲの代わりが理玖ではない。
私は欲張りなのかもしれないと恵都は思った。
欲張りで良かったと思った。

理玖が眠くなったと言っている。でもこのままでもう少しいたい。アヲの体が深く沈んでお腹のあたりにもたれかかってくる。
カーテンが風をはらんで揺れている。





◇Ending ◇
◇Imogen Heap  『Entanglement』

またどこかでお会いしましょう。




読んでくれてありがとうございます。