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人間なので、17年会ってなくてもいとこを覚えている【4/18】

先日、帰省した。5年ぶりくらいに父方の祖父と父に会った。泊まりがけで帰省したけど、祖父と父の住む家には泊まらず、駅前のホテルに泊まった。祖父と父の住む家には客用の冬布団がないのだ。

だけど、冬布団があったとしても私は泊まらなかったと思う。以前、一度だけ祖父と父の住む家に泊まったとき、父の飼っている犬に一晩中顔を舐めたくられつづけたことがあったのだ。本当に言葉のとおり一晩中で、おかげでほとんど眠れなかった。たしか夏、祖母のお葬式のときのことだ。

犬はかわいい。とてもかわいい。一晩中人間の顔を舐め続けていられる根気強さには胸を打たれた。でも夜は寝たい。それが正直な感想だった。

久しぶりに会った犬は、そのころよりも随分と年老いて、耳の聞こえが悪くなっていた。音が鳴っている方と別の方角を眺めながらガウガウ吠えている。私のことは「あなたは何者」って顔で眺めていた。

そりゃあそうだろう。この子の生きてきた15年のうち、私が一緒にいたのはせいぜい、無理矢理はりあわせても3日くらいなのだ。

父にとってこの子は家族で、この子にとって父は家族。でも、この子にとっての私は家族じゃない。どこかのようわからん誰か、なのである。

なのに、3日くらいしか会っていない癖に、私はこの犬のことを即座に特別な犬と言いきれてしまう。直接の関わりがほとんどないのに特別なのだ。

父に近況を尋ねるときは決まって「犬は元気?」と聞くところまでがセットだった。いつも気がかりだったのだ。父は毎日散歩に行っていると言っていた。学生に「かわいいですね」と褒められたと誇らしそうに話してくれたこともあった。

犬のおなかはむちむちしていた。たぶん結構太りすぎているんだけど、それすらかわいい。撫でたいと思ったけど、撫でさせてはもらえなかった。絶対に触れさせるまいという気概を全身に纏っているかのようで、これは太刀打ちできないと思った。

「家族は無理だとしても、友達になれませんか」と相談したい。けれど、それをどう伝えたらいいのかわからない。本当はすごく友達になりたい。


祖母のお墓参りに行った帰りに叔父と義叔母に会った。「あやちゃん」と呼ばれたとき、小さいころに呼ばれたときの声とあまりに同じだったことにびっくりした。小さいころの私が呼ばれているような気がした。

叔父と義叔母のなかには小さい頃の私に関する記憶があって、私のなかには、そのころの叔父と義叔母の記憶がちゃんとあるんだと思った。

そのあと、祖父と父と夕ご飯を食べて、祖父と私で瓶ビールを分けた。祖父が「母方の祖父とはビールを飲んだことはあったのか」と聞いてきたので、そこでふと母方の祖父を思い出して、母方の祖父を見送ったときの私は18歳で美術大学の受験を目前に控えていたことを思い出した。

そのころの記憶を辿ると、予備校の課題で、暗い赤色のアクリルガッシュばかり使ってしまうことがあったのを思い出す。母方の祖父の口から最後に出てきたものと同じ色。危篤の連絡を受けたのも予備校だった。

当時、母方の祖父と一緒に暮らしていた、一回り離れたいとこが私によくなついてくれていて、母方の祖父のお通夜からお葬式のあとまでずっとくっつかれていたことも思い出した。

受験のために英単語の勉強がしたかった私は、単語帳を全然開けずにちょっと困っていたのだけど、とりたてて優しくした記憶もないはずのいとこが、大人ばかりの親族のなかで一番歳が近い私に、やたらと懐いてくれることが嫌ではなかった。


久しぶりに肉親や親戚に会うと、そういえば私にも血縁者がいたんだったという新鮮な驚きがある。忘れていたわけではないんだけど、実際に会ってみると肌でびっくりするのだ。もしかすると、いくらなんでも帰省しなさすぎなのかもしれない。普段の暮らしにすっかり慣れたというのも大きい。

一回り離れたいとこは元気だろうか。もう随分前に、大学に車で通っていると聞いたことがある。だからきっと運転が私よりもずっとうまいんだろう。

もう17年近く会っていないのに、それでも気になってしまうことが、理解はできるのにどこかで不思議だ。

もうあのころの皮膚細胞は全部生まれ変わったし生えてる髪も全部違う。重さも肌の質も変わったしもう街ですれ違ってたとしても気がつかない可能性が極めて高い。

見分けすらつかないのに、感情がある。

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