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たぶん食べもの

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即興の散文。食べもののことを書きがちだけど、食べもののことがまったく書かれていないときもあります。
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記事一覧

上京して20年以上経つが、はじめてパジャマを買った【7/22】

「寝るときには、ちゃんとしたパジャマを着るのがいいんですよ。」 今年のはじめごろ、この言葉を立て続けて3回くらい聞く機会があった。 なんでも、パジャマとは、寝るときの状態をいちばんに考えて最適化された衣服だから、どうやったって寝心地がばつぐんに優れているのだと。寝心地が優れていることは安眠につながっていて、安眠は健やかな毎日につながっていて、だから私たちは、就寝時はパジャマを着たほうがいいらしいのだ。 あまりになめらかな理屈なので、納得感はとてもあった。 だけどその話

むかし住んでいた場所にエモーショナルを感じないのは、自分にエモを感じてないからなの……?【6/11】

前からぼんやり謎に感じていたのだが、私はむかし住んでいた場所に対して、エモーショナルな気持ちになったことがとても少ない。 10年間住んだ街にある、毎日のように通っていたセブンイレブンに久々に行ってみても、セブンイレブンだなぁという感想以外の感想が生まれてくれないのだ。 とはいえ記憶力は悪いほうではないと思う。保育園のころの記憶もけっこう明確だ。いまだ、お遊戯会のせりふが覚えられなくて先生に怒られたこともハッキリと覚えている。ちなみにオズの魔法使いの劇だった。 私は「声が

天気に心を支配されたくないけど、雨には敵わない【6/3】

あらゆるすべてをポジティブ変換するには限界があるなぁと、雨の音を聞くたびに思う。 だって、雨がいつになっても好きになれないのだ。人生で一回も好きになったことがない。いや、マラソン大会の前にだけ都合よく「雨よ降れ!」と祈ったことはかろうじてあったかな。 でも、基本的にはなるべく空には晴れていてほしいのだ。年々、雨音を聞くと反射的にすーんと肩が垂れがちになっているし、雨が降ってきた途端からもう、私の心のシャッターは垂直にシュッと降りる。速いのだ。落ち込むのには1秒もかからない

中野坂上の交差点で「瞳をとじて」を熱唱していた彼【5/26】

中野坂上に住んでいたころ、駅前の交差点ですれ違った人が忘れられない。 彼は、大きな声で平井堅の「瞳をとじて」を熱唱していた。声は、ちゃんとお腹から出している感じの澄んだ声。裏声もしっかりと出ていて、すれ違った程度で確信できるくらい気持ちよさそうだった。 時間は確か夕刻ごろだったと記憶していて、私以外にも多くの人が行き交っていた。彼は、周囲の様子をあえて気にしないようにしているのか、それとも本当に気にしていないのか。 どっちなのかはわからなかったけど、やっぱりどうにも気持

ひっそりしてられる場所の必要性【5/14】

ゴールデンウィークが終わったとたん家のまわりの緑が青くなった。もりもり、もりもりと道路にはみ出し己の生命力を見せつけてくるのを、かっこいいなという気持ち40%、虫が飛び出てこんようにという気持ち40%、特にいうことないという気持ち20%くらいで見守っている。 木々のにおいが気持ちよくて、木々からぴょんと出た白い小さな花のようなものからもやさしい香りがして、くんくんかぎながら道を歩くだけで楽しい季節の到来である。 今年の初夏はなるべく太陽を浴びている。少し前までは、太陽を浴

台湾のごはんの味はやさしくて、やさしくておいしすぎた【5/12】

GW付近、台湾に行ってきた。 冬のある日の深夜、「うああああああああああ」って頭が錯乱して衝動120%で取ったチケットでそのまま旅に出た。15年ぶりくらいの台湾。 成田発、台北桃園空港着。台北数日。そのあと特急に乗って高雄着。高雄数日。高雄から台北まで新幹線で戻って、台北松山空港発、羽田着で戻ってきたという感じ。 むろんたのしく、かなりおいしくもあった。食べるごはんというごはんがなにもかもうまい。台湾には、やさしい味のもの、ちょっと尖っているが概ねやさしい味のもの、もっ

目黒川のあたりで愛犬のにおいがする【4/30】

夜。会社を出て、アイスを買いにコンビニまでの道を歩いているときにふと、脇にある目黒川のあたりからチャッピィのにおいを感じた。チャッピィとは、実家にいたころ飼っていた柴犬の血が混ざった雑種の小型犬だ。 チャッピィはいつも外にいた。当時は今ほど酷暑じゃなかったためか、外で犬を飼う人がまだ結構たくさんいたのだ。ホームセンターでは、三角屋根の犬小屋がそこそこ幅をきかせていたように思う。隣の家の犬も、隣の隣の家の犬も、斜め前の犬も、みんなみんな外で飼われている犬だった。 家のまわり

もちろん納豆発祥の地は複数ある【4/24】

1年に1回くらいひきわり納豆を買うんだが、買うたびにびっくりしている。だって彼らはいつだって、歯でかみくだく前からくだかれているから。 そりゃそうだろうって自分でも思うが、1年に100回以上、ひきわられていないまんまるの納豆を食べているため、久しぶりに食べると驚く。わああ、くだかれている!と。そういえばこういうスタイルの納豆もあったわー!と。 で、ふとひきわられている理由を知りたくなり、「ひきわり納豆 なぜ」とキーボードを叩いてEnterボタンを押したところ、大きめの大豆

今期のドラマで少なくとも3人の登場人物が記憶を喪失している【4/22】

被るときは被るもんなんだな(しみじみ)。 というのがまず第一の感想だった。国土のなかに1億2千万人も人間がいたら、思考が1ミリも被らないほうが不思議。いや、ひとりひとりは別の人間だけど、同じ時代を生きていたら、似たようなことを考えることもそりゃあ、あるだろうよって気持ちでいる。 でもまさか、テレビドラマの題材がこんなにも被るなんて。 この件をねんのため、知らない人のためにちゃんと説明すると、いま、4月スタートで6月ごろに最終回を迎えるクールの連続ドラマのうち3番組におい

チョコザップに半年行ってない【4/21】

チョコザップに行っていないことを、週に2回くらい思い出すんだけど、週に1度も行かないまま1週間が終わっている。そんな暮らしを気がついたら半年近く過ごしていた。 この前友だちから電話が来た時にも「チョコザップには行ってんの?」と聞かれたので「行ってない!」と元気よく答えた。 ジムに通うと決心して結局行っていないというのは、よくあることではあるが、自分の持続性のなさを浮き彫りにする確かな証拠でもある。そう考えると、そこまで元気よく答えることではないんだろう。でも別に隠すほどの

道の歩き方が雑だと、毎日が発見の連続になる【4/19】

最近、自分の歩き方が雑だと気づいた。 ぼんやり歩いているともいう。周囲を見ているつもりがちゃんと見ていない。そのおかげで見知った道でも頻繁に新しい発見がある。 毎日が発見の連続だ、とか言うとなんかちょっとかっこいいけど、要は日々見落としがたくさんあるから、発見することが終わらないのである。 この前は、近所の人が寄り集まるような、個人販売もしてくれる卸問屋を見つけた。ちなみにこの街に住んでからはもう3年近く経ち、そのお店の前を100回くらいは通っている。 その場所のこと

人間なので、17年会ってなくてもいとこを覚えている【4/18】

先日、帰省した。5年ぶりくらいに父方の祖父と父に会った。泊まりがけで帰省したけど、祖父と父の住む家には泊まらず、駅前のホテルに泊まった。祖父と父の住む家には客用の冬布団がないのだ。 だけど、冬布団があったとしても私は泊まらなかったと思う。以前、一度だけ祖父と父の住む家に泊まったとき、父の飼っている犬に一晩中顔を舐めたくられつづけたことがあったのだ。本当に言葉のとおり一晩中で、おかげでほとんど眠れなかった。たしか夏、祖母のお葬式のときのことだ。 犬はかわいい。とてもかわいい

コンビニのセルフレジにすっかり慣れてきたのがこわい【3/6】

近所のコンビニがめきめきとセルフレジ化している。 その波は去年あたりからじわじわとやってきて、最寄りのローソンが数日の閉鎖ののちにまるごと全部セルフレジに切り替わったときには、心の準備のできていなさのあまり、「セルフかセルフじゃないかを選択することは、できないん……ですよね……?」と答えのわかりきった質問を店員さんに投げかけてしまった。 店員さんは「そうですね、申し訳ありません」と申し訳なさそうに言っていて、この人の責任じゃないことを口に出してしまったことを猛省した。

雪が降った日の夜は散歩がしたい【2/5〜6】

2月5日(月)はわさわさと大量の雪が東京に降った日。 16時ごろ、取材の帰り道、徐々に威勢よくなりはじめていた雪の降りっぷりが、家に着くころには横殴り気味になっていた。 傘をさしているのにコートが雪まみれになって、家に到着した途端からだがずっしり重い。雪のなか行動するのは普段の3倍くらい疲れる気がする。雪国の人たちのエネルギーってものすごいな。 とはいえ、ふかふかの雪を踏むなら今晩のうちしかない。あまり雪の降らない街に急に降る雪の軽さと白さは降った日の夜がピークなのだ。