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中野坂上の交差点で「瞳をとじて」を熱唱していた彼【5/26】

中野坂上に住んでいたころ、駅前の交差点ですれ違った人が忘れられない。

彼は、大きな声で平井堅の「瞳をとじて」を熱唱していた。声は、ちゃんとお腹から出している感じの澄んだ声。裏声もしっかりと出ていて、すれ違った程度で確信できるくらい気持ちよさそうだった。

時間は確か夕刻ごろだったと記憶していて、私以外にも多くの人が行き交っていた。彼は、周囲の様子をあえて気にしないようにしているのか、それとも本当に気にしていないのか。

どっちなのかはわからなかったけど、やっぱりどうにも気持ちよさそうで、外で歌う鼻歌の気持ちよさの最大値とはつまり、彼なんだと思った。

あの日以来、有線で平井堅の歌が流れると、瞳を閉じて以外の歌であっても、中野坂上の彼を思い出し、自転車をこぎながら鼻歌を歌っている人を見かけたときにも彼を思い出す。いつか自分もあのくらい、熱唱してみたい。そんな憧れとともに彼を思い出すのである。

疲弊を癒す四天王は、歌と食事、睡眠、温泉だと思っているのだが、そのうち、もっとも野外でやるのに向いているのは歌である。とはいえ私たちは社会的な生き物なので、特設ステージを設けてもらった場合を除いては、なかなかそうもいかない。急に公共の場で歌い出したりできないのだ。

小さい声でならまだしも大きな声で歌い切るのは勇気がいる。できなくはないのかもしれないけど、いろんなことに蓋をしないと相当難しい。

誰かに気がつかれる可能性の高い場所で、誰かに気がつかれるくらいの声量で、急に歌を歌うことの難易度はとんでもなく高い。1000歩譲って、山手通りとか早稲田通り沿いあたりだったら、交通量が多いおかげで声がかき消されて、そこまでやばい感じにならないものだろうか。

中野坂上の交差点で、瞳をとじてを熱唱できてないうちは、私はまだまだ自制心という枠にしっかり収まりながら、社会的動物に見えるよう、必死に振る舞っているんだと思う。

追記
さっきラーメン屋で平井堅の歌が流れてきたので、彼を久しぶりに思い出しました

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