空の色(小説8)
僕は目が見えなかった。
世間の人はそれを障害と呼ぶけれど、僕はそう思ったことは一度もない。
それどころか、目が見えなくて良かったと思っている。
例えば、生活をしていて食事が一番の楽しみという人も多いだろう。僕は普通の人に比べ目が見えない分、他の感覚が研ぎ澄まされている。
ご飯の味と香りをより楽しんで食べることができるし、鳥の声に耳を傾け、服や布団の生地を敏感に感じることができる。
それに目が見えるのは良いことばかりではない。
なぜならこの世界は、戦争や差別、環境問題に貧富の差など目を伏せたくなるような問題であふれているからだ。
だから僕は目が見えないことに対して不満を持つどころか満足しているし、一つの個性だと思っている。
しかし、そんな僕でも親が口にした「今日の空はきれいだな。」という言葉を忘れることはできなかった。
空は青色だと聞いている。青というのは冷たいけどすっきりしている色らしい。
そんな色が見上げればあたり一面を覆っているというのだから少し気になる。
それでも僕は僕の世界を生きるだけだ。
病院へ行く機会が月に何度かある。僕は病院自体は嫌いではない。
街中にいると「目が見えなくてかわいそうだな。」と言った思いを道行く人からヒシヒシと感じる。
しかし、病院ではそんなことはない。どこかしら体が悪い人が集まっているため、みんなが僕に注目することがない。
それだけでなく、というよりもこちらの理由の方が大きいのだが、先生との会話が心地良い。
普通の人、特に世間一般的に優しいと言われる人と喋ると、どうしても「気を遣っている」というのがわかってしまう。
それに比べて先生は、僕のような目が見えない人と何人も話しをしてきている。
そのため、会話に余計な気遣いを感じることなく、スムーズに話すことができるのだ。
だから、僕は病院に行くのは嫌いではない。しかし、不満がないわけでもない。
当たり前と言えば当たり前なのだが、病院ではいつも僕の目のことについて話している。
「息子の目は見えるようになるのでしょうか?」
母親が先生に聞くたびに僕は少し憤りを覚える。目が見えるようになることの何が良いのか。
生活に支障が出るからと良く言われる。確かに自分の力だけではどうにもできないことはあるが、簡単な料理ならできるし、公共機関を使った移動もできる。
僕はもう子供じゃない、生活していく上で必要なことは一通りできる。
一度病院に来た時に、そのことについて暴れたことがある。
母親はもちろんのこと、先生や看護師、他の受診者までもが「目が見えるようになりたくない!」という病院に響いた僕の主張を聞いて、ざわつきはじめた。
さすがにまずいと思い、僕はそれ以上喋ることをやめたが、その時ばかりは目が見えなくとも、周りの困惑した表情を見て取れた。
それからしばらくの間は病院には行かなかったが、時が経つにつれ、また同じ頻度で通うようになっていた。
僕は、病院ではほとんど喋らなくなった。
僕の抵抗も虚しく目の手術をする日が決まった。
一応断っておくが、僕は目が見えるようになることが嫌なわけではない。
ただ、今のままでも十分なのだから必要性を感じないだけなのだ。
それに、目が見えないことを「不自由」だと決めつけ、何とかして治そうとするあの感じが嫌いだった。
手術したところで治るかもわからない。変にリスクを取るくらいならこのままでよかった。
そんな僕が手術を受けることにしたのは、こうも思っていたからだった。
「もし目が見えるようになった時に、目の見えない世界に戻りたいと思ったのなら、もう一度自分の手で目を閉じれば良い。」
手術を終えた僕は病室のベッドで寝ていた。目を覆うように包帯がぐるぐると頭に巻かれている。
上半身を起こし、深呼吸を一つする。足を布団から抜き、体を滑らせるようにしてベッドの縁に腰掛ける。
両手で後頭部を触り包帯の始まりを探す。
テープで簡単に留めてあるだけだった。僕はその包帯をゆっくりとはがす。
包帯を枕元に置き、そして目を開ける。
あの瞬間は今でも鮮明に覚えている。
窓の向こうに、どこまでも澄んだ青い空が広がっていた。
ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうなほど深く、自分という存在があまりにも小さく思えるほど広い。
見る者の心が洗われるような、一点の曇りもない景色がそこには広がっていた。
空を目に焼き付けた。
新学期、自分のプロフィールを作る時間があった。
将来の夢の欄に大きくこう書いた。
「宇宙飛行士」
僕はこの果てしない空に想いを馳せた。
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