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光とガラスたち。


私のことを社会的な立場で言うのなら
フルタイムのパートで働く普通の主婦であり
舞台装飾を手がけるアーティストであり、ヨガも教えています。

noteでは、社会のなかで感じていることを綴っていきたいと思います。


べつい ちあき

http://ameblo.jp/neshamasheli



光を表現したガラスのオブジェ。

私が作る作品は いつも いつも
明るい時間にも、夜の時間にも
どちらの時間も、楽しめる作品を創ってしまいます。


この世界に散りばめられた沢山の美しい色彩。
実際に目で感じる世界には、かなわないけれど・・・
みんなに見せてあげたい。
この世界の美しさを・・・


何を作っても
仕上がった作品たちは、明るい太陽の光で輝き
その素材たちが、それぞれの素材感を活かしあえる作品に仕上がります。

素材の違うパーツが、どこに配置されても他の素材のパーツたちと
ぶつかりあうことなく、作品が仕上がります。

夜の暗闇が訪れる時間には
照明の力を借りて、昼間に魅せることのない輝きが浮かびあがってきます。


私が作っている作品なのですが、
私自身が光を愉しんでいますから
仕上げるのではなく、仕上がっていきます。


まわりの方は、アーティストの私のことを
派手な音楽業界にたずさわる私として
憧れの眼差しで、見てくれることが多いのですが
自分ではアーティストだという自覚がありません。

「物作りが好きな人」ぐらいかな?


どの職業も《ほんとうのわたし》ではありません。


私を取り巻く外側の「条件」は私ではありません。


私は作りたい物を、あらかじめ想定して作ることが出来ないために、
結果というゴールがいつも見えません。

なので漠然とした
" 作品の仕上がりを想定できないゴールの見えない中 " を
模索しながら、いつも製作し続けます。

ほとんどの方は、作品の仕上がりをイメージ出来て
そこから逆算して作業に取りかかるようですが

私には逆算するということが全くできません。

どういうことなのかも、フィーリング的にわかりません。


ただ ただ …小さなガラスタイルを床に並べて…
どうすれば次のガラスタイルが、より美しく見えるのか?
そのことしか頭にないのです。

この事も、私らしいこと。

目の前に誰かがいなくても、私の中にはたくさんの人を感じられるから
その方々を想っている…そんな瞬間が、しあわせなのです。

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ガラスで出来たタイルは
キャンディみたいで、艶があって
氷みたいに見える角度で
光の色彩が変化するタイルです。

キラキラしたタイルを、ただ眺めている中にも
たくさんの方の顔が浮かびます。

ガラスの中に浮かぶ方たちへ
まだ出逢っていない方たちへ。

どうやって・・・どんな形で光を届けてあげよう。


ただ光にかざして
眺めているだけの私ですが
ひとつ。ひとつのパーツにはとてもこだわります。

私に関わってくれる
みんなが楽しみにしてくれているから
パーツひとつを選ぶにも妥協をすることがなくて、どんな小さなパーツを選ぶことにもベストを尽くそうとします。

誰かを想う想いの上に立っていること。

それが私が感じている人生のしあわせだから・・・


円形の板のまわりには、枯れたドライフラワーと
グラデーションの美しい
流れる動きのある孔雀の羽をつけました。

生命というものを表現したかった。

枯れたドライフラワーでも、私にとっては生きています。
生きていることと何も変わりはないと感じるのです。

その葉っぱの流れるラインに、相性の良さそうな軽い孔雀の羽を見つけました。

過去の作品ですが
私の全力を注いだ光のオブジェとなりました。

ゆっくりとしたスローペースではありますが、作品に向けた想いを綴っていきたいと思います。


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