光とガラスたち。
私のことを社会的な立場で言うのなら
フルタイムのパートで働く普通の主婦であり
舞台装飾を手がけるアーティストであり、ヨガも教えています。
noteでは、社会のなかで感じていることを綴っていきたいと思います。
べつい ちあき
*
光を表現したガラスのオブジェ。
私が作る作品は いつも いつも
明るい時間にも、夜の時間にも
どちらの時間も、楽しめる作品を創ってしまいます。
この世界に散りばめられた沢山の美しい色彩。
実際に目で感じる世界には、かなわないけれど・・・
みんなに見せてあげたい。
この世界の美しさを・・・
何を作っても
仕上がった作品たちは、明るい太陽の光で輝き
その素材たちが、それぞれの素材感を活かしあえる作品に仕上がります。
素材の違うパーツが、どこに配置されても他の素材のパーツたちと
ぶつかりあうことなく、作品が仕上がります。
夜の暗闇が訪れる時間には
照明の力を借りて、昼間に魅せることのない輝きが浮かびあがってきます。
私が作っている作品なのですが、
私自身が光を愉しんでいますから
仕上げるのではなく、仕上がっていきます。
まわりの方は、アーティストの私のことを
派手な音楽業界にたずさわる私として
憧れの眼差しで、見てくれることが多いのですが
自分ではアーティストだという自覚がありません。
「物作りが好きな人」ぐらいかな?
どの職業も《ほんとうのわたし》ではありません。
私を取り巻く外側の「条件」は私ではありません。
私は作りたい物を、あらかじめ想定して作ることが出来ないために、
結果というゴールがいつも見えません。
なので漠然とした
" 作品の仕上がりを想定できないゴールの見えない中 " を
模索しながら、いつも製作し続けます。
ほとんどの方は、作品の仕上がりをイメージ出来て
そこから逆算して作業に取りかかるようですが
私には逆算するということが全くできません。
どういうことなのかも、フィーリング的にわかりません。
ただ ただ …小さなガラスタイルを床に並べて…
どうすれば次のガラスタイルが、より美しく見えるのか?
そのことしか頭にないのです。
この事も、私らしいこと。
目の前に誰かがいなくても、私の中にはたくさんの人を感じられるから
その方々を想っている…そんな瞬間が、しあわせなのです。
ガラスで出来たタイルは
キャンディみたいで、艶があって
氷みたいに見える角度で
光の色彩が変化するタイルです。
キラキラしたタイルを、ただ眺めている中にも
たくさんの方の顔が浮かびます。
ガラスの中に浮かぶ方たちへ
まだ出逢っていない方たちへ。
どうやって・・・どんな形で光を届けてあげよう。
ただ光にかざして
眺めているだけの私ですが
ひとつ。ひとつのパーツにはとてもこだわります。
私に関わってくれる
みんなが楽しみにしてくれているから
パーツひとつを選ぶにも妥協をすることがなくて、どんな小さなパーツを選ぶことにもベストを尽くそうとします。
誰かを想う想いの上に立っていること。
それが私が感じている人生のしあわせだから・・・
円形の板のまわりには、枯れたドライフラワーと
グラデーションの美しい
流れる動きのある孔雀の羽をつけました。
生命というものを表現したかった。
枯れたドライフラワーでも、私にとっては生きています。
生きていることと何も変わりはないと感じるのです。
その葉っぱの流れるラインに、相性の良さそうな軽い孔雀の羽を見つけました。
過去の作品ですが
私の全力を注いだ光のオブジェとなりました。
ゆっくりとしたスローペースではありますが、作品に向けた想いを綴っていきたいと思います。
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