Sheep

眠れないよもさんからのリクエストです


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失恋というのもおこがましい。

今日、気になっている男性と知らない女の子が相合傘をして歩いていた。私はその二人とすれ違ってしまった。たったそれだけのことであるから付き合っていると断定することなどできないのだけれど、その知らない女の子というのが明らかに私よりもかわいい。私と比べてしまうことこそが間違っているかもしれない。好みのタイプであるかどうかということなど関係なしに誰もがかわいいと口をそろえて言うだろう。


そのような子と一つ傘の下肩を寄せ合い歩いていたのだ。それだけならまだ恋によって盲目となったわたしはその美少女と戦う余地を残し、自分磨きだなんだと走り続けていただろう。

ところがすれ違った後振り返って見てしまった。

彼の持つ傘は女の子のほうへと傾けられ彼の肩が濡れていた。小さなことではあるが小さなことであるからこそ彼の心が垣間見えるような気がした。

私の心は簡単に砕けた。

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晩御飯の買い物をして家へと向かっていた。半ば放心状態の私の足取りは重く、家に着く頃すでに日は暮れていた。家の前の公園のあずまやで一人の男が座っている。おそらく大学生だろう。そんな見た目をしている。

彼女との待ち合わせでもしているのだろうか。雨の日なのにご苦労なことだ。


早急に彼女に振られ、足の小指をたんすの角にぶつけ、手の指を蚊に刺され、鳥に糞を落とされ、ガムを踏んでしまえばいい。



私は思いつくただ運が悪いだけとも思えるような不幸で一人座る男を呪った。

私は今、虫の居所が悪いのだ。

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家に帰ると私はピアノを弾いた。大学に入り一人暮らしをするとき、駄々をこねて家から持ってきたものだ。


私は大学に入ってからピアノを弾いている動画をYouTubeにアップしていた。羊のポシェットを肩から下げトレードマークのようにしていた。動画はピアノを弾くだけの動画だ。流行りの曲から懐メロまでいろいろ弾いていた。

その日私が弾いたのはクリープハイプ二十九、三十だ。

「いつか」も「だれか」もまだ来ていない私にはちょうどよかった。


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それから1か月ほどたったころ大学の友人とのランチタイムに今日の晴天とは似つかわしくない暗いニュースを聞いた。

私の中で大きな事件となった例の相合傘の彼らは付き合い始めたというのだ。

いや、付き合っているということを今日知っただけであの時すでに付き合っていたかもしれない。

それに私にとっての不幸はおそらく世間様からすれば単なる幸せなニュースで、一部の心が歪んだ人間を除けば誰もが祝っているだろう。


それなりに期間が空き、心の準備ができていたにもかかわらずこれだけ傷付くとは思ってもみなかった。

家に帰りまたピアノを目の前にする。


ピアノを弾き始めてすぐにやめた。

気分が乗らないというのはこんな気持ちだと初めて知った。楽しい時もつらい時も私はピアノを弾いていた。やる気がしないということももちろんあった。そんな時私は「やる気がしない」という気持ちをピアノで弾いた。

ところが今日はピアノを弾くことすらもできない。私は「何もしない」をする赤いTシャツを着た黄色いクマのごとくベットでうつ伏せになり、何もしないをしていた。


さっき弾こうとしていたのは RADWIMPS 大丈夫 だ。


今の私が大丈夫なはずが無い。


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そんな無気力が数日続いた。

大学で友達とのランチを終えて帰宅し、ベットにうつ伏せとなった私はそのまま眠りにつく。そうして日が暮れたころに起きるのだ。

寝起きなのだから当たり前に眠気もない。ひとまず起き上がり、一応夜なのだから夜ご飯を食べようとするが空っぽの冷蔵庫。

仕方なく私は近くのコンビニへと向かった。

おにぎりを二つと肉まん一つ。飲み物はお茶を買ってコンビニを出た。

帰り道に無性に帰りたくなくなる。帰れば一人だ。もちろん帰らなくても一人ということに変わりはないのだが、部屋にいる人は部屋にいる誰かとしか空間を共有しないのだから、この広い外を共有している私が一人なはずがなかった。


と言うのはいいわけである。

一人の私は難癖をつけて家に帰らず、家の目の前にある公園へと立ち寄ることにした。ちょうどあずまやのベンチは空いていてベンチの端にはガムがくっついていたので私は反対側の端に座った。


そうしてベンチでさっき買った肉まんを食べていると足音がこちらへと近づいてくる。

私はやっと一人でいる決心をつけようというところなのだから私を二人になどしないでほしいものだ。

男はうつむきながらこちらへと歩いてきてベンチへあと数歩というところで私に気づいて少しぎょっとして、それでもそこから離れて行くのは失礼だとでもおもったのか居心地を悪そうにして私の反対側のベンチ端に座った。見るに若く、私と同じか年下といったところだろうか。髪は目の上まで伸びており、マッシュのような髪型だ。服装もいかにも大学生というような感じで、つい先日もそんなやつを見たよと言ってやりたい。


居心地が悪いのは私も同じなのだから我慢してほしいものだ。

いや、同じではないことを忘れていた。彼のほうが居心地が悪いに違いなかった。

「すみません。」

夜の公園で突然話しかけるなんてなんと恐ろしいことだと思いながら驚かせないように極力優しい声で声をかけた。

「え?あっ、はい」

と男はやはり気味悪がらずにはいられない様子だ。

「そこ、そこのベンチにガムついてましたけど、大丈夫ですか?」

そう言ってお尻を指さす。そりゃあ彼のほうが居心地が悪い。彼の座った場所にはガムがついていたのだから。


「え?あっ、うわぁっ」

そういって慌てた様子の彼はお尻を何度も掃うが、ガムがそれでとれるはずもなく、彼は立ったままうなだれる。「はぁ」と大きなため息をついた後彼は話し始めた。

「ついてないんですよ。」

私は彼が何を言ってるのかわからず首をかしげてしまう。

「あっ、ガムはもう、はい、この通りびっしりとついてるんですけど、ついてないというのは僕の運の話で、」

この一言だけで私は彼が悪い人ではないのだと決めつけてしまえた。

「彼女に振られてからとことん運がなくて。足の小指をたんすの角にぶつけたり、手の指を蚊に刺されたり、鳥に糞を落とされたり、そしていまガムをおしりで踏んずけてしまいました。なんなんですかね。」

はっと思いだした私は笑うのをこらえきれずに吹き出してしまう。笑っている私を彼は黙って奇妙そうに見ていた。

「大丈夫ですよ。今ガムを踏んだので最後です。私が約束します。」

彼は戸惑いながらもなにやらお礼の言葉を口にしていた。

根拠もなく約束をしたわけではない。これまでの不運はきっと私の呪いだ。つい先日もみた大学生とは私が呪いをかけたこのベンチに座っていた男で、それがまさにこの不運な男の正体だった。



「ここ、よく来るんですか?」

男が私に問う。公園に入ることはほとんどないのだが、家の目の前なのだから来るといえばきている。

「まぁ、たまに。」

「ピアノ聞いたことありますか?ここにいるとたまにどこからか聞こえるんです。夜に。それが気に入っちゃって、それで今日も来たんです。」

「へぇ〜」と言ってみるが十中八九私のことである。


「あまりに気に入ってそれからピアノの音を聴きながら寝るようになったんですけど、YouTubeでピアノの演奏を調べてたらちょうどここで聴いた曲があって。それを聞いてたんです。」


「ピアノいいですよね〜」

と言ってみるが、YouTubeと聞いて気が気じゃない。

「その間も何度かここに足を運んでたんですけど、気づいてしまって。ここで夜に聴く曲が次の日にYouTubeにアップされてるんですよ。凄くないですか?ここにいるとYouTubeに出る前の曲を聴けちゃうんですよ。」

それはもう私に違いなかった。

「流行りの『YouTuber』ってやつですかね。」

かと言って急に私だとは言えるわけがない。

「きっとそれです。でも最近ですね、そのピアノの音が聞こえないんですよ。たまたま弾いていないくらいならいいんですけど、この前、弾いている途中でプッツリ途切れたことがあって。それ以降メッキリ聞こえなくなってしまいました。それで少し心配で。」


「それは何かあったのかもしれませんね。」

私はその何かを知っている。想いを寄せていた彼に彼女がいると知ったあの日だ。


「勝手に盗み聞いて勝手に心配して気持ち悪いですよね。」

「そんなことないですよ。誰かの想いの片隅にあるのいうのは悪い気はしないはずです。」


本来なら「少し気持ち悪い」とでもいってしまいそうだが、彼を信用しきっている私はそんなことは言わない。

「そうですか?そうですよね!」といって嬉しそうにする彼は少し馬鹿なのかもしれない。そんなところも可愛らしく思えた。

「僕、この間振られたって話をしたじゃないですか。それで悩んで眠れない夜があったんです。それでたまたま散歩をしてこの公園にきてそのピアノを聞いたんです。そうしたらここで寝てしまって。」

「ここでですか?」流石に驚いて聞き返してしまう。彼は照れ臭そうにして「はい」と答えている。


「その日からここにくるようになって、流石にもうここでは寝てないですけど、ここで聞こえてくるピアノが好きなんです。」

誰に聞かせるでもなく弾いていたピアノであるから、こんなふうに褒められたことなど滅多にあるものでもなく、照れてしまいそうなのを隠して力強くいった。

「大丈夫ですよ、きっとまたすぐ復活します。」


もちろんこれも根拠がないはずがない。私が弾けばいいだけの話だ。


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ここまで褒められれば悪い気はしない。悪い気はしないなんてまだ控えめに言っている方だ。私は彼の話を聞いて報われたような気さえした。

誰のためでもなく自分のために弾いていたピアノではあったが今日この瞬間始めて誰かのために弾こうと思った。


食べて寝るだけの生活を送っていたここ数日のことなど棚に上げ、家に着くなり私はピアノを弾いた。


あの日弾けなかった曲。

今の私ならもちろん大丈夫だ。


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「あの例のピアノの人!復活したんですよ!」


大学ですれ違ったとき、突然そう言われた。

始めは変な奴が絡んできたと思ったが、話しかけてきたのは以前私に呪われた彼で、もちろん彼は少し変な奴ではあるのだけれど、再開というのはそれほど悪い気はしなかった。


その日はすぐにその場を後にしたのだけれど、それからこの男とよく話すようになった。彼は絵を描いているようで同じ芸大の1つ下の学年だった。意識をすればそれなりに学校ですれ違いもして、それから話す機会も増え、私が音楽科でピアノを弾いているという話などもした。

彼の描いてる絵を見たりもしたが、まだ目の前で私がピアノを弾くのは聞かせたことはない。

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もともと友達の多くない私は彼と2人で出かけることも珍しくなくなり、仲良くなるまでにはけして時間はかからなかった。



彼は相変わらずYouTubeで私のピアノを聞いているようだが、それでも私ということは知らないでいる。

あの羊のポシェットを身につけて私があのピアノを弾いている人の正体なのだと彼の目の前に現れたら驚くだろうか。


私が彼にそれを伝えるのはまだ少し先の話だ。


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