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016 結果主義と言うけれど、


学生と社会人の違いは過程が
評価されるか結果主義かだとか、

どれだけ頑張っても
結果が伴わなければ意味がないとか。

世の中やっぱり結果主義だと、
この四文字を聞くことが多い。

確かにその通りです。

一生懸命頑張っていれば
誰かが見てくれているとか。

それもそうかもしれないけど、
ぬるい。甘えでは。

結果に拘らなければ意味がない。
私もそう思います。

じゃあ、なんで学生のうちは
過程を評価してもらえるんだろうか。

結果良ければ全て良しで、
幼い頃から過ごしていると
正しい努力の仕方が身につかない。
未成年、親の扶養に入っているうちは
外的要因が大きくて、
結果主義にするとあまりに不平等。

こんなところでしょうか。
正解は分かりませんが、
なんとなく分かりますよね、、

成績が良ければ学校を休んでもいいのか
とかそうゆう問題になってきますよね。

じゃあ次に、社会人になった途端
結果が要求されるのはなぜか?

お金を貰い、ある程度保証された場所で
働くからには利益を生まなければとか。
役職や報酬が絡んでくる以上、
目に見える評価基準が必要だとか。

上手く言葉にできませんが、
まあこれもなんとなく分かります。

では社会人として、
やはり結果が求められるとして、
その結果は何で測られるんでしょうか。

先月仕事で、全員共通のお題で
取り組みを実施、結果を報告する。
こんな場面がありました。

それぞれに与えられた環境下で取り組む。
それなのに、課題は共通。
環境によって結果が異なるのは当然です。
ここで何を基準に見ているんだろうかと。

確かに、取り組み実施前の実績と比較。
その結果出てくる数値を割合で比較。
同じ尺度で測れないこともない。

でも、評価する側は大ベテランなわけで、
同じ尺度で測ることが見当違いだという
事実にもちろん気が付いている。
全部のデータを並べて比較されましたが、
話し方からしてもデータが重要ではなさそう。

としたら、プロセスを見ているのか。
というと、そんなことはやっぱりない。
あくまで結果主義。

実際、私の置かれている環境では
圧倒的不利な課題で、実績は最下位レベル。

なんとかプレゼンでカバーできないかと
仮説検証を繰り返し、
与えられた課題に対しての成果としては
見せられるものが少ないが、
別の分野での数値に影響する可能性を述べて
報告を終えました。

顔色を伺いながら話しましたが、
まずまずの反応。きっと悪くない評価。

だとしたら、何かしら結果を残したことが
評価されたのでしょうか。
これも違う気がする。

しばらく考えて、
私はこの課題で見ている結果というものが
全くの別の場所にあることに気が付きました。

共通の課題が与えられた背景に
別の課題が存在していて、
その別の課題に対する結果が評価基準だと。

文章で書くとなかなか難しいですが、
あらゆる会社組織に置き換えても
ヒントになるような答えが出てきた。
そんな気がします。

社会人として日々働いている人の殆どが、
利益を生み出すことを考えて
働いているかと思います。

所属している部署でこれだけの実績を、
実店舗ではこれだけの売り上げを、とか。

当たり前のことですが、
利益を大きくするという共通の課題を
抱えているとも言い換えられますよね。

そして、利益を大きくするという課題の
背景には、それぞれの環境ごとの課題が
あるのではないでしょうか。

その答えは、その環境の問題点を見れば
自然に出てくるものだと思います。

利益を上げて何がしたいのか。
ここに集約されるかと。

だとしたら、その利益が利用される場所に
ダイレクトにアクションを起こして、
成功すれば、正解なわけです。

結果主義の最終形態と言いますか、
課題に対しての結果。だけでなく、
その背景まで見据えての結果。
これが大事なのでは、と思ったのです。

まあでもこれも、
当たり前と言われれば当たり前かも。

ただ、行き詰まった時に、
思い出したい事実だなあと。

結果主義。結果に拘る。
これに尽きると思いますが、
本質を見失わないようにしていきたい。

と、そんなお話でした。
私の頭に浮かんだことを書き連ねた
備忘録的noteになりましたが、

今日も今日とて、この辺で。


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