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野傍


Twitterで募集した
#リプの言葉で小説を作ります
で頂いた単語を基に作りました。

 白い軌跡が次々と浮かび上がっていく海を、私はボーッと眺めている。船が波を切る音と大きなモーター音だけが聴こえている連絡船。旅行客と思しき人達も乗っている。
 静かな海とはほど遠いので情緒も何もあったものではないが、故郷に帰っているという実感が湧いてくる。

『四方を海に囲まれた島ではあるが、観光地としての開発が進んでいるので大きな不便はない』
 他国から日本を評したような評価がついているのが私の故郷である離島だ。満員電車に揺られるような喧騒には縁がないが、離島にありがちな過疎化問題とも程遠い。

 改めて帰郷の目的を思い出す為、鞄から一通の封筒を取り出して中の便箋を開く。

『宗助さん、お元気にされていますか。あなたの親愛なる友人の貴子です。
 SNSのメッセージにも返信を頂けないのでわざわざ筆を取らせて頂きました。
 毎年毎年帰郷をすっぽかしていらっしゃいますが、今年くらいみんなで過ごしましょう。沙梨も待ってます。
 絶対に来て下さい。口座に交通費を振り込みましたので。交通費を、振り込みましたので。ではでは」

 達筆だ。けど文末はどう見ても脅迫だよ。私はため息をつく。貴子は相変わらずだ。大吾も悠太も変わりはないのだろうか。島に思いを馳せながらもう一度便箋に目を落とす。

 『沙梨も待ってます』

 貴子はどのような気持ちでこの一文を書いたのだろうか。これを読んだ私がどのような気持ちになると想像して書いたのかが気になる。
 便箋を封筒に戻そうとした刹那、強い風が吹いて便箋をさらう。
 慌ててつかもうとした私の手をすり抜けた便箋は、少しの間ふわふわと舞った後、あっという間に海の白い軌跡へと紛れていった。


「宗助!しばらくぶりじゃんか!元気してたのかよ〜。暑いな今日も!」
 島に着いた後、出迎えてくれたのは大吾…だと思う。数年の月日は大吾を見事におじさんへと変貌させており、正直パッと見ようがじっくり見ようが判断がつかない。

「おー…その声は大吾だよな?見事にオッサンじゃんか!」
 私が応じると大吾はクシャクシャの笑顔になった。その笑顔に大吾の面影があったので、ようやく目の前のおじさんが大吾だと確信する。

「お前はホント変わらんよな〜。都会暮らしだからか?島の奴らはお前から見れば老化がエグいと思うよ」
 大吾は駐車場へと私を誘導しつつ他愛のない近況や思い出を話す。もう何年も来ていないからか、島の記憶が朧げになっており、上手く思い出せない人やエピソードがある事に我ながら驚いた。

「今回は急に帰ってきてどうしたんだ?しばらくいるのか?」
 車に乗り込むなり大吾が問いかけてくる。滞在期間か。あまり考えてなかったな。

「いや、貴子に呼ばれてさ。俺の家が住める状態ならそこでしばらく滞在予定」
 大吾は私の回答に一瞬戸惑ったように見えたが、車のエンジンをかけて冷房をつけた時には元の様子に戻っていた。

「お前さ〜、宿くらいとってから来いよ。お前の家は人が住める状態じゃないぞ」
 笑いながら言う大吾。まぁ想像はしていた。誰も住んでいない家が完全に無事とは考えていない。雨風を凌ぎつつ、少しずつ修繕をしようと考えていたのだが…。

「野宿よりはマシかと思ったんだけど、そんなにか?」
 私は空模様を気にしながら言う。雲行きが良くない。さすがに今日は宿をとらないとダメかな?

「そんなに、だな。まぁ滞在中はウチに泊まれよ。正直一日二日でなんとかなる荒れようじゃないし…」
 大吾は少し黙ってからまた口を開く。

「“あれ”も出る。お前も知ってるだろ。この島がいくら観光だなんだって栄えていっても、“あれ”だけは消えてくれない。夜に外に居るのはやめとけ」
 大吾の言葉を私は苦い思いで受け止める。忘れていたわけではないが、この島では“あれ”がいる前提で生きていかなければならないという感覚は忘れていた。

「…世話になるよ。家族は大丈夫なのか?」
 こんなに貫禄があるんだ。家族がいるのではないかなと、勝手な想像をする。

「いやー、お前が来ない間に結婚も別れも経験してるんだわ。今は一人暮らしだから安心しろ」
 豪快に笑う大吾。こういう時にかける良い言葉を知らない私は「じゃあ安心だな」という見当違いの相槌を打ってしまったが、大吾は特に気にする素振りもなかったのが救いだ。

「そうそう、喫茶店に寄って行こうぜ。面白いのが出来たんだよ」
 大吾はそう言うなり左折して喫茶店に入る。確かに前には無かった喫茶店だ。看板に黒猫の絵が書いてある。cafe 『YU』か。なるほどね。

「いらっしゃい。って宗助!本当に全然変わらないね!」
 そこにはやはり悠太がいた。少し老けているが、大吾よりは断然昔の面影が残っていたので一目で分かった。

「悠太もあまり変わらないな。それにしても本当に久しぶりだ。マジで店を持ったんだな」
 私はカウンターに座って周りを見回す。内装のセンスが洒落ており、雰囲気も良いのに他に客はいないようだ。

「お前があまりにも来ないからよ、コイツ今日店を貸し切りにしたんだぜ?びっくりするだろ」
 大吾がニコニコしながら横に座る。びっくりして悠太を見ると、悠太はこちらを見て微笑んでいた。何となく悪い事をした気分だ。

「悪かったよ。忙しかったんだ。ていうか貸し切りとかホントに大丈夫なのか。喫茶店は今の時間がピークだろ?」
 私は少し心配になる。悠太は昔から料理が好きで、自分の店を持つのが夢だった。苦労して構えたであろう店のティータイムを貸し切るのは、さすがに気が引けてしまう。

「喫茶店じゃなくてカフェね。カフェ。喫茶店と違って料理が幅広く出来るからカフェにしたのに、大吾はいつも喫茶店って言うんだよ」
 悠太は大袈裟に眉をひそめて大吾を見る。大吾は笑顔で目を逸らした。
 カフェと喫茶店の違いなんてあまり気にした事がなかったが、そういう違いがあるのか。恐らく「へー」という表情をしてそうな私に悠太は笑顔で続ける。

「次から貸し切らないでも良いくらいの頻度で来てよ。ほら、アイスコーヒーでも飲んで」
 悠太はカウンター越しにアイスコーヒーを渡してくる。シロップとミルクを入れている内に悠太は私の隣に座り、エクレアを乗せた皿を渡してきた。

「甘いのがあった方が良いでしょ。うちのエクレア、食べてくれたお客さんには結構評判良いんだよ。あまり注文されないけどね」
 悠太はcafe『YU』のInstagramを見せてくる。そこには美味しそうなハンバーグやパスタの写真が載せてあった。
 エクレアの評判を見せてくれる流れじゃなかったのかな?と思いながら食べたエクレアは、自慢するだけあってカスタードクリームの味が濃厚で美味しい。

「美味しいじゃんか。今まで食べたエクレアの中で一番美味いかも」
 素直に褒める私を見て悠太は嬉しそうに微笑んでいる。

「俺はここのメニューでは海老の生春巻きが好きだね。チリソース付けて食うんだけど、めちゃめちゃ美味いんだこれが」
 大吾が手で生春巻きを食べる様子を再現しながら言う。マスクを外した大吾を見ると、改めておじさんになったなーと思うが黙っておこう。
 生春巻き。全くカフェらしからぬメニューだが、話を聴くだけでも美味しそうだ。興味が出てきたのでメニュー表を開いて眺めると、想像以上に美味しそうな料理名が並んでいる。

「夕飯は食っていきなよ。有り合わせにはなるけど腕を奮うからさ。あまり遅くなるようなら店に泊まってもらうしか無いけど…」
 悠太の表情が少し曇る。”あれ“が出るからか。実際、今の”あれ“はどんな感じなのだろうか。様子を聴こうとした瞬間に店のドアが勢いよく開き、私は驚きながら振り返る。

「やー、ごめんごめん。遅くなっちゃった。もう宗助来てるじゃん!本当に久しぶりね〜」
 ドカドカと入って来るなりそのまま荷物をゴソゴソしているのはきっと貴子だ。顔こそ見えないが、動きが相変わらず力強いので何となく分かる。
 パッと顔を上げてこちらを見た貴子に昔の面影はない。メイクが変わっているから当然と言えば当然か。貴子は私を見て少し驚いたような顔をしている。

「…あんたびっくりするほど変わってないわね。羨ましいわ」
 みんながみんな変わらないと言って来るのだから、良くも悪くも私は余程変わっていないのだろう。誇らしいような寂しいような、複雑な気分だ。

「私にもアイスコーヒーとエクレア頂戴。それと、夕立が来てるけど洗濯物大丈夫?」
 貴子が悠太の方を見ながら言うと、悠太は慌てて立ち上がる。

「それ最初に言ってよ!コーヒーとエクレアは勝手に取ってね!」
 そう言いながら慌しく外に出て行く悠太を見守った後に視線を戻すと、貴子が自分の分のアイスコーヒーとエクレアを準備している。まるで自分の家のようだ。

「今日はもう暗いし、ここに泊まりね。まだちょっと時間あるだろうから、二人とも車に荷物があるなら取ってきなよ。私は鏡を準備しとくから」
 貴子はそう言って店の奥へといなくなる。鏡を準備、か。悪い意味で本当に帰ってきた実感がわく瞬間だ。

「宗助、荷物取って来ようぜ。今日は悠太の家に泊まりだな。夕立とは運が悪いけど、みんな集まってるから最悪ではないよな」
 大吾が外へのドアを開けながら少し引きつった笑顔で私に話しかける。そういえば大吾は“あれ”に恐怖を感じていた節があった。非常に良くない事だが大丈夫、まだ空は明るい。

「パッと取ってサッと戻ろう。まだ全然暗くはないし余裕だよ」
 私が少し早足で大吾の車に向かいながら話しかけると、大吾も「そうだな」と少し明るい笑顔になった。歳を重ねても、やっぱり大吾は大吾のままなんだ。不思議な感覚だ。

 車から荷物を取り出して店に戻ると、姿見がたくさん用意されていて一瞬ギョッとする。姿見は全て窓の方を向いており、ドア用のものは後から設置する様子だ。

「おかえり。鏡の方は準備出来たよ。悠くんがそろそろシャッターも下ろすから、ライトも点けてある」
 貴子はアイスコーヒーを片手に私達を迎える。貴子が言い終わるのとほぼ同時に、店中の窓にシャッターが降り始めた。

「え、全窓全自動でシャッター降りるのか?便利だな」
 私が感心していると、いつの間にか戻ってきた悠太が苦笑いしていた。

「便利だけど高いんだよこれ。業者も島外から呼んだんだけど、ウチの他にも数軒やってったよ。なんでこの島で全自動シャッターが人気なのか不思議だったろうね」
 肩を竦める悠太を見て大吾も笑いながら頷いている。貴子は幸せそうにエクレアを食べつつ、時折アイスコーヒーに口をつけている。あまり話を聴いていなさそうだ。

「美味しいじゃんエクレア。名物って謳えばいいのに。オムライスとかスコッチエッグみたいな卵料理も美味しいけどさ。あんた料理もお菓子もいけるって凄い事よ」
 貴子は絶賛する。この様子だと結構来ているんだろうな。

「いやホントそれな。何食っても美味いのってすげーよマジで。今日の夜ごはんが今から楽しみだわ」
 大吾も手放しで褒めている。悠太は目指していたものになれたんだな。…羨ましいよ。私は少し目を細めて悠太を見ていた。

「ありがと。けど契約農家が凄いんだよ。材料が良ければ自然と作ったものも美味くなるっていうのが僕の座右の銘。今日はスタッフもいないし、あまり凝った料理には期待しないでね」
 悠太は恥ずかしそうに、そして嬉しそうに言いながらキッチンで作業を始める。夕飯の準備をしてくれているのだろう。包丁の音や水の音が聴こえてくる。

「ねぇ宗助、明日が何の日か覚えてる?」
 しばらく料理の音を楽しんでいると、急に貴子が私に問いかけてきた。貴子はアイスコーヒーを見ており表情が見えない。大吾が気まずそうに目を逸らしたのが視界に入った。

 若干日付が曖昧なので壁掛けのカレンダーに目をやると8/13に丸が付けてあり、『宗助 貸切』と書いてある。そうか明日は…

「…沙梨の命日だ。忘れるわけないだろ」
 やはり私を呼んだのはその件か。貴子の手紙の文章を思い出す。

「もうすっかり忘れちゃってるのかと思ったわよ。…命日とか、随分綺麗な言い方をするのね」
 貴子はアイスコーヒーのグラスを置いて私を見る。笑顔が消えた表情からはどんな感情なのかが読み取れない。

「おい、貴子。宗助が帰ってきて早々それはないだろ。悪いな宗助、貴子はお前があまりに帰って来ないもんだから拗ねてんだよ」
 慌てて大吾が割って入ってくる。気付けばキッチンの作業音も中断されているので、悠太も様子を伺っているのだろう。

「…そうよ、ぜーんぜん帰って来ないんだもん宗助。嫌味の一言くらい言わせてよね。島を出てから全然連絡も寄越さないし、有名人か大金持ちになって島を忘れたかと思ったんだから」
 貴子の表情が戻り、大吾がホッとしたような表情になる。悠太も夕飯作りを再開した様子だ。

「富も名声も得てなくて悪かったな。単純に忙しかったんだ。しかし貴子にそんなに寂しがり屋な部分があるなんてね。思い返せば小学生の時の遠足とかさ…」
 私もその空気に乗っかって昔話に花を咲かせる。貴子も大吾も楽しそうに話し、たまに悠太も相槌を入れるような時間を過ごしている内に夕飯が出来た。

 腕を奮うとは言っていたが、シーザーサラダ・スパニッシュオムレツ・海老の生春巻き・鶏の唐揚げ・ポークソテー・ローストビーフ等々多国籍な料理が簡易なビュッフェスタイルで用意されている。凝ったのは作れないとか言ってた気がするんだけど…。

「いや、美味しそうだし嬉しいけど、いくらなんでも多いだろこれ…」
 大吾もあまりの量に呆れている。予想外の反応をしたのは貴子だ。

「全部食べていいの?久しぶりにお腹一杯食べれそう!おつまみにも丁度良さそうじゃん」
 目を輝かせた貴子は大盛りに盛り付けた料理をガツガツと平らげていく。私も美味しく食べてはいるが、貴子のフードファイターのような食べっぷりは側から見てても面白い。

「貴ちゃん凄く食べるんだよね。あそこまでいくと餌付けしてる気分になるよ。ああ見えて美味しくないもの出したら食べないんだから、ちょっと自信がわくよね」
 悠太も貴子を眺めながら食事の席に着く。作る人の視点に立つと、そういう見方もあるのか。私は妙に納得してしまった。

「もうそろそろ宵の口だし、アルコールも出すよ。ワインとビールと芋焼酎を置いとくから適当に飲んで。冷蔵庫にクレームブリュレも入れてあるから」
 悠太は驚くほど如才なく立ち回っている。年の功というやつだろうか。凄い事だと思う。美味しそうに食べ続ける貴子も、生春巻きを片手にヨダレを垂らしている大吾も良い歳の取り方だと思うけど。

 ドンドンドン

 その時不意にドアが叩かれる音がした。
誰だろう。観光客が迷い込んだのだろうか。みんなで一瞬固まってドアを見た後、目を見合わせる。外から続いて声が掛かる。

「すみません、お店開いてますか?」
 若い女性の声だ。ホッとして立ちあがろうとする私の肩を悠太が強く抑えつける。驚いて悠太の顔を見ると、険しい表情をしていた。

「…遮光シャッターだ。漏れてる灯りだけで開店してると判断する人はいないと思う。ちょっと様子をみよう」
 私はハッとする。全部の窓にシャッターが降りているのに、開店してると思うわけがない。

「すみません、本当に困ってるんです。観光してる内に迷っちゃって。なぜかどの家も入れてくれないんです」
 泣きそうな声だ。この島の住民は“あれ”を警戒している。開けなくても不思議ではない。本当に観光客だったらどうしようか。そう逡巡していると、貴子と目が合う。

「思い出して。“あれ”の事をみんな“あれ”って呼んでたじゃない?正式には“のぼう”って言うのよ。野原の野に、隣に居るって意味の傍らって書いて。誰も気にしない、意味を持たないという名前よ」
 貴子は静かに私に声を掛ける。意味を持たない、野傍か。あるべき名前だと思う。

 “あれ”を想像してはいけない。“あれ”を恐れてはいけない。“あれ“に意味を持たせてはいけない。この島では伝統的に受け継がれている教えだ。”あれ“を生み出すのは人の心だからだ。

 ハッとする。私が野傍を観光客にしたんだ。ドアが叩かれた時、私が観光客だと想像
してしまった。けど本当に観光客ではないのだとうか。

「開けてください……なんで開けてくれないんですか」
 声のトーンが一気に低くなり、ドアノブをガタガタと回す音とドンドンと叩く音が交互に響き渡る。恐怖のあまり固唾を飲んで見守っていると、急に音が止んだ。

 なるほど、店を自動ドアやガラス戸などで設計していないのはこういう理由なのか。と少し冷静さを取り戻して周りを見回すと、大吾が頭を押さえてガタガタと震えているのが見えた。

 落ち着かせないとマズいかもしれない。足音を殺して大吾に近付く私に、あり得ない音が聴こえてしまう。

 カチャカチャ カチャカチャ

 鍵を開けている…?ドアを押さえようと駆け出した私の腕を、誰かが掴む。振り向くと貴子が首を横に振っていた。

 ドアに視線を戻すと既にドアは開いており、背の高い女性がこちらを瞬きもせずジッと見ていた。思わず息を呑む。女性は私から目を逸らし、ゆっくり周りを見回した。

「勝手に鍵を開けてごめんなさい…。ここはどこなのでしょうか」
 女性は私に問いかける。どう答えるのが正解か分からない私が黙っていると、後ろから悠太が歩み出た。

「あなたはどちら様でしょうか。まずは鏡をご確認下さい」
 悠太は姿見を女性に見せている。女性は鏡で少しの間自身の姿を確認している様子だったが、急に酷く苦しみ出す。

「私は…」
 女性が何かを言いかける前に悠太は姿見を砕く。すると女性の姿は瞬く間に消えてしまった。久しぶりの事で私が唖然としている間に大吾が入口に走っていき、ドアの鍵を締める。

「いや、ホントいつになっても慣れないね」
「勘弁してくれ!俺嫌いなんだよこういうの!」
 悠太と大吾が順に言ったのを見てホッとする自分がいた。

「悪い、俺がドアのノック音を聴いて観光客だなんて思ったからだ。すっかりこの島での過ごし方を忘れてたよ」
 私が素直に謝ると、悠太が苦笑いしながら手を振る。

「いや、今回は話の通じる人で良かったよ。覚えてる?中学生の時に変な生き物とかめちゃめちゃ怒ってるお爺…」
 そこまでで悠太が口を抑えて黙る。貴子が怒りながら口をチャックするジェスチャーをしている事に気付いたのだろう。この上化け物なんて出られたらたまったものではない。

「…じゃ、飲み直そうか。野傍の話は明るい時にしようぜ」
 大吾が笑顔で呼び掛ける事で、自然と元のような空気感での食事の席に戻った。貴子が鏡の後片付けを買って出てくれたので、私はのんびりワインを飲んでいる。

 鍵を開けたよな、さっきの女性。今は野傍を忘れたいのに、どうしてもそこに思考が巡る。そういう野傍は見た事がない。野傍がそういう進化をしたのだろうかと一瞬考えたが、そんな島になんか住んでられない気がする。

『勝手に鍵を開けてごめんなさい』

 さっきの女性はそう言っていた。何らかの形で鍵を手にしていたのだろう。もしくはドアにささっていたか。誰もそれに言及しない事も、その理由も気掛かりだ。
 酔いが回ってきたのもあり、私は答えに辿り着く事なく眠りについた。

 その夜は久しぶりに夢をみた。明晰夢というものなのか、不思議と自分が夢の中にいる事が分かる夢。
 木漏れ日の中を歩く私を、きみの目が優しく見守ってくれている。
 何か他愛のない事を話しながらお互い笑い合っていた。そんな、穏やかな夢だった。

 涙を流しながら目が覚めたのは早朝だった。泣き顔を見られていないか慌てて周りを見るが、悠太と大吾が眠りこけている姿があるだけだ。貴子は?貴子の姿を目で探している間に、微かに線香の香りがする事に気付く。

 起き上がった私は手で頭を触り、寝癖がない事を確認する。あんなにあった姿見は、いつの間にかどこかに片付けられていた。
 線香の香りを辿ると、店の奥にある居間に辿り着いた。悠太が普段寝泊まりしている、もしくは住んでいる場所だろうか。貴子が正座し、何かに向けて一心不乱に手を合わせている。

「貴子…?何してるんだ?」
 私の問いかけにハッとなった貴子は慌てて立ち上がり、こちらを見てバツの悪そうな表情を浮かべる。

「今日、沙梨の命日でしょ?ちょっとでも一緒に居てあげたくて。とか言ったら天国の沙梨に怒られるかもね」
 なるほど。けどここは…悠太の家だ。何に手を合わせるのだろうか。私の怪訝な表情を察したのか、貴子は少しの間俯いた後、手を合わせていた場所へ私を招く。

「手帳?と…爪…?」
 予想もしていなかった物が簡易な祭壇に祀られており、私は戸惑う。そこには見る影も無くビリビリに引き裂かれた手帳と…見覚えのあるネイルがあった。

「いつも亡霊のように跡形もなく消えるのに、沙梨の時は爪と手帳が残ったの。今日が何の日か覚えてるんでしょ…?」
 貴子は震える。私は祭壇の上の爪と手帳から目が離せない。

「今日は沙梨の命日なんかじゃない。沙梨の形をした野傍を…私達が殺した日よ」
 あのネイルも手帳も、あの日の残滓。皆、勿論私も含めてあまりにも無知で純粋だった。あの時は誰にも罪は無かったと、私はそう思っている。


 沙梨が亡くなったのは高校二年の時だ。交通事故で帰らぬ人となった時、崩れるように泣いている貴ちゃんと沙梨の棺を見つめて動かない宗助を、大吾と僕は呆けたように遠くから見ていた。

 僕が料理を好きになったきっかけは、調理実習の時に沙梨が手放しで褒めてくれたからだ。あの時褒めてくれた沙梨と同じ笑顔が、今は遺影になっている。僕にはあまりに辛すぎて、現実を直視すら出来なかった。

 当時の僕は宗助や大吾ともたまに会う程度の仲だった。中学までは貴ちゃんと沙梨も含めて五人で仲良くやっていたが、宗助と沙梨が付き合い出してから少しずつ距離感が変わっていった。

 沙梨の事が好きだった節があった大吾も、宗助の事が好きだった節がある貴ちゃんも、二人が付き合い出してからはパッと切り替えていた。それくらい宗助と沙梨は仲が良かった。

 “あれ”を使えば沙梨が生き返るのではないかと言い出したのは確か宗助だったと思う。貴子も同じくらい本気だった。
 今になって考えればあの時点で止めるべきだったかもしれない。けど僕も儚い希望にすがってしまった。

 なぜ“あれ”を鏡に映すのか。なぜ“あれ”を消さなければならないのかを僕達は全く理解していなかった。
 沙梨の親がなんで“あれ”を使って娘を生き返らせないのか。なぜこの島にも大切な人を亡くした人がいるのか。少し考えれば当たり前に出て来る疑問が、この時誰の頭にもなかったのだと思う。
 沙梨を生き返らせた後に親元に帰す事が出来ない事を想定し、色々な準備をした。沙梨を”あれ”として呼び出したのは二十歳の時だ。

「みんなどうしてそんな老けてるの?」
 “あれ”になった沙梨が僕達を見て最初に言った言葉だ。嬉しかった。宗助も貴ちゃんも、大吾だって嬉しくて泣いていた。
 僕達は沙梨が混乱しないよう、ゆっくり状況を説明した。沙梨が亡くなった事、僕達が“あれ”として呼び出した事、その準備に時間がかかってしまった事。
 沙梨は取り乱す事なく、現実を受け入れている様子だった。その後数日は特に何事もなく、平和な日々を過ごした。

「沙梨、生まれ変わった感想はどう?」
 貴ちゃんはある日、ずっと用意していたであろう言葉を言った。みんなが揃っているタイミングだった。

「凄く言いにくいし、多分我慢は出来るんだけど……」
 沙梨は何かを言い淀む。頷きながら笑顔で次の言葉を待っていた僕達は、彼女の目にどう映っていたのだろうか。沙梨は申し訳なさそうに、そして苦しそうに言った。

「みんなが、凄く美味しそうに見えるの。ごめんね…」
 僕達はその時初めて、取り返しのつかない事をしてしまったと悟った。この時の沙梨の悲しそうな表情を忘れる事は、きっと僕には一生出来ないだろう。


 宗助と貴子が居間で何かを話しているのが微かに聞こえる。恐らくあの爪と手帳についてだろうな。
 悠太も既に起きており、物思いに耽っている様子だ。今日は沙梨を俺達の手で消してしまった日だ。みんな思う所はあるんだろう。俺は口元の煙草に火をつける。

 手帳は沙梨が“あれ”になった時に持っていたものだ。なぜ手帳を持っていたのか当時は分からなかったが、今は分かる。家族が葬儀の時に一緒に焼いたんだ。
 あの手帳に沙梨は“あれ”として生きた証を日々懸命にメモしていた。最後の日に自分でビリビリに引き裂くまで。
 なぜ沙梨が消えた今も残っているのかは分からない。貴子も悠太も飾って拝んでいるが、俺には沙梨の怨念のように思えて正直怖い。

 俺は煙草を灰皿に押し付け、目を閉じる。
宗助、お前にも思い出して欲しい。お前も俺達も等しく罪人だ。今日を沙梨の命日と言ったな。貴子じゃないが、それは違うだろ。

 昨日の野傍には悪い事をしたと思う。手筈通り悠太がこっそり鍵を挿したままにして店の中に誘導し、そして消した。
 宗助はこの島を離れる時、まるで別人のようになっていた。沙梨の事を忘れたかのようだった。けど、お前は戻ってきた。戻ってきてくれたんだ。すまない、宗助。


「沙梨はもう限界だと思う。せめて私達の手で消そう」
 野傍になった沙梨を殺さなければならないと判断したのは私だった。悠太も大吾も猛反対したけど、沙梨が人としての理性を保つ限界が来ているのを感じていた。

「ねぇ貴子。私がみんなの事を美味しそうに見えるのは、本当に異常な事だと思う。だから”あれ“ってすぐ消されてたんだね」
 沙梨が私と二人きりの時、俯きながらこう言っていたのをよく覚えている。かける言葉が見つからなかった私に、沙梨は言葉を続けた。

「その内、感覚が人間じゃなくなるんだと思う。本当に怖い。今すぐ死んだ方が良いって頭では考えて鏡を見ようとするんだけど、結局見れないの。いざって時は絶対殺してね」
 沙梨に野傍である自覚をさせてしまったのが原因なのか、それとも野傍の宿命なのか。どこで間違えたのか、何を間違えたのかも全然分からないまま時間が過ぎていった。

 しかしある時から突然、沙梨の様子が一気に変わった。こちらを黙って観察してる事が多くなり、はっきり命を狙われていると思う事が増えてきた。だからこその提案だった。

「…悠太、大吾。俺も沙梨を人のまま死なせてあげたい」
 宗助に一番反対されると思っていたので意外だった。宗助のこの一言で、沙梨を消す計画は進む事となった。

 後の祭りではあったけど、“あれ”は人の世に滞在する時間が長い程、鏡に対する抵抗が強くなる。私達はそれを肌で体感する事になった。
 鏡という鏡が見せる前に割られるので非常に苦戦したが、風船の破裂音を利用して反射で鏡を見せる作戦が決定打になり、沙梨は恨み言を言う事もなく消えて行った。

 私達が、殺した。沙梨は私達の自己満足で“あれ”にされたのに、私達の自己満足で殺されたんだ。沙梨には謝っても謝りきれないと思う。


「ねぇ、宗助。昨日はなんで沙梨の命日なんて言ったの?私達の事忘れてたからじゃないの?」
 貴子は私を問い詰める。“沙梨”を殺した日を命日と呼ぶのがそんなに許せない事なのだろうか。

「…俺の中では沙梨が死んだのはあの日なんだ。命日だよ。それ以外の表現がない」
 私の言葉に貴子は何かを言い返そうとしたが、結局は何も言わなかった。私は改めて爪と手帳を見る。消えなかった“沙梨”の一部がそこにあるというのは不思議な気分だ。

 これに手を合わせるというのは、どういう感覚なのだろうか。貴子や悠太が計り知れない罪悪感と共に生きていた事を考えると、私一人島外で島を忘れて暮らしていたのはきっと受け入れがたい事実なのだろう。申し訳ない気分になった。

「悪かったよ。みんなの事、本当に忘れてたわけじゃないんだ。新しい人生を歩むのに必死だったんだよ」
 これは嘘ではない、本当の気持ちだ。私の言葉を聞いて貴子は少し目を伏せた。

「…私も言い過ぎたよ、ごめん。悠ちゃんと大吾もそろそろ起きてるだろうし、あっちに行こ」
 貴子はそう言って店の方へと歩き出した。私も爪と手帳に一瞬目をやってから、貴子について行った。

「おはよう」「おーっす」
 店では大吾がくつろいでおり、悠太がサンドウィッチとコーヒーを用意して待っていた。二人に「おはよ」と手を挙げて応え、私も席に着く。
 少し歓談した後、私はスマホをしばらく見ていない事に気付いた。昨日は見る必要がなかったが、誰かから連絡が来てるかもしれない。慌ててポケットを探したがやはり見当たらなかった。

「ヤバい…スマホ家に置いてきたかも?」
 私はそう呟いた後、ある事に気付いた。ゆっくり腕を組んで考える。

「一応、連絡船に忘れ物がないか連絡しとくか?」
 大吾が心配そうにこちらを見る。私は大吾を見ながら少し固まる。大吾は既に連絡船の事務局に電話をかけている様子だ。

「宗助、どうかした?」
 悠太の言葉にハッとした私は、大吾を見ながら慌てて手を合わせてお願いのポーズをとる。大吾は指でOKを示しながら去って行った。

「いや、今日会社から連絡来る日だったって気付いちゃったよ」
 そう言って俯く私。貴子と悠太はそれぞれ
「バカね〜」「大丈夫なのそれ?」などと反応してくれたので、笑顔で応対する。

「ダメだ、無いってよ」
 肩を落としながら帰って来た大吾に礼を言いった後、少し考えた後に私は思い切って聴く事にした。

「俺の家、どうなってるか見に行って良いか?」
 三人は一瞬固まったように見えた。しかしすぐに悠太が答えてくれる。

「行っても良いけど、結構ひどい荒れようだよ?大吾が泊めてくれるし、まずは墓参りしようよ」
 悠太の言葉に他の二人も頷いている。なるほど、やっぱりそういう事だったのか…。

「なぁ、教えてくれ。俺は何年前に死んだんだ?」
 思えば姿見は一度もこちらを向いていなかったし、時間が分かるものも店のカレンダー以外になかった。私は今、恐らく“宗助の野傍”として存在している。

「…やっぱり野傍を知ってると騙しきれないものね。四年前よ。島に帰ってくる途中で事故に遭ったの」
 貴子は観念したように言う。悠太も大吾も俯いていた。なるほど、島に来る途中に死んだから大きな認識差異がなかったんだ。

「送った手紙が遺品から出て来た事で貴ちゃんに連絡があったんだ。その時、三人で宗助の死を無かった事に出来ないか考えた」
 悠太が説明する。なるほど、だから手紙もカバンに入ってたんだ。私は努めて冷静に考える。どうしても拭えない疑問があった。

「何で俺を呼び出したんだ?旧交を温めるって理由じゃないだろ」
 そう、三人とも私に気を遣い過ぎていた。もっと言えば仲が良い事を見せつけるようなパフォーマンスが目立っていた。今の私達はこういう関係性ではないはずだ。
 島を出る時、三人に言われた言葉を今でも覚えている。

『もう二度と帰って来ないでね。沙梨も私もあなたを許さないから』
 貴子は“沙梨”を消した時に大きく心を病んでしまった。私に全責任を押し付けないと心の均衡を保てないほどに。

『宗助は良いよな。島を出れば全部忘れて生きていけるんだから。俺はこの島でずっと罪人のような気持ちで生きていくよ』
 大吾は島を出る私への羨望と、残らなければならない自身への絶望をぶつけてきた。今考えれば仕方ない嫌味だとは思うが、当時の私はとても傷付いた事を覚えてる。

『宗助、君は島の事を気にしないで生きて欲しい。僕は料理の腕を磨いて、いつか店を持つよ。みんなが何もかも忘れた頃に、宗助にも食べに来て欲しいな』
 悠太は別に嫌味な感じはなかった。けど裏を返せば、みんなが忘れるまでは帰って来るなと捉えられる。この言葉も結構私の頭を悩ませた。

「…取り繕っても無駄よね。正直に言う。あなた島外で大成功してたでしょ。富も名声も得て無いなんて言ってたけど、富の方は結構あったはずよ」
 貴子は本当に取り繕わないでほぼほぼ要求を言ってきた。少し呆れていると、悠太が申し訳なさそうに付け足す。

「僕の店、結構認知されて来てるんだ。けど恥ずかしい話、時代も悪くて経営的が少し厳しい。大吾と貴ちゃんはそれぞれ離婚して大変みたいなんだ」
 事情は大体把握出来た。やっぱり罪悪感を背負わせているという負い目は少しある。どうせ死んでしまってるのだし、お金の面で苦労してるなら渡しても良い。

「俺がNoっていったらどうするつもりなんだ?」
 気になっていた事だ。明らかに勝手な理由で生き返らされている。“沙梨”の件から何も学んでいないのだろうか。そこで今まで黙っていた大吾が口を開いた。

「正直に言うよ。別の野傍で何回か試したんだけど、野傍は消してさえしまえば、何度呼び出しても同じ状態で呼び出せるんだ。簡単に言うとリセットだよ」
 大吾はそれ以上口を開かないで欲しいと思うような、おぞましい事を口にする。何をするつもりなのか、よく分かった。

「脅してるつもりは無いの。これだけは信じて。私達は宗助をまだ一度も消してないし、消すつもりもない。本当に切羽詰まってるのよ」
 貴子は慌ててフォローする。これは恐らく本当の事だろう。私はあまりにおかしくて思わず笑みをこぼす。三人とも私の笑顔の意味を捉えかねているのだろう、怪訝な表情で私が何を言うのか待っている様子だ。

「良いよ、お金はあげるよ。貴子の言う通り結構溜め込んでたし。悠太は今後も飯奢れよな」
 私の言葉に三人とも安堵の表情を浮かべる。間が抜けているのか、それとも私などいつでも消せると甘く見てるのか。

「もちろんだよ。いつでも歓迎する」
 悠太は心の底からという表情で私の言葉を受け入れる。野傍は人を襲う。忘れたわけでもないでしょ。

「三人とも何で野傍が姿を鏡に映して割る事で消えるのか考えた事ある?人を襲う理由を考えた事は?」
 私は三人に問いかける。三人とも一瞬目を見合わせたが、貴子が答えた。

「鏡に映った野傍を消す方法が採られているのはそれなりに最近よ。昔はそれこそ直接殺すしか無かったんだけど、日が経つごとに強くなる野傍に苦戦してたみたい。鬼の語源だって俗説もあるわ」
 貴子はよく調べているらしく、ハキハキと答える。こういう所は昔から凄いなと尊敬する部分だ。

「鏡割りは、水に映った自分の姿を見た野傍が酷く苦しむのを見て考えられた方法だって聞いてる。理由は諸説あるけど、野傍になった自分を認識したからと言うの共通ね」
 諸説あるんだ。けど野傍になった自分を認識したからというのは、きっとその通りだと思う。

「人を襲う理由は分からない。それこそ諸説あるから。宗助はやっぱり私達が美味しそうに見えるの?」
 貴子はずっと気にしていたであろう事を私に聴いた。もうちょっとオブラートに包んでくれてもいいと思う。

「それに答える前に一つ言わなきゃならないんだけど、聴いてくれる?」
 私の問いかけに対して三人は揃って頷いている。やっぱり何も気付いてなかったんだね。私が演技派だったのかな。

「私は宗助じゃなくて沙梨なんだよね。宗助を食べたから。鏡で映しても無駄だよ。この姿は私じゃないから」
 三人は怯えた顔で鏡を取り出し、叩き割る。無駄だって。お金もちゃんとあげるよ。生かしてあげるとは言ってないけど。


「沙梨、大丈夫か」
 野傍になってからしばらく経ち、そろそろ誰か食べなければ狂ってしまうと考えていた時、真夜中に突然宗助が訪ねてきた。

「いまは、こないで…」
 宗助だけは食べるわけにはいかない。みんなが私を消す算段を整えているのは知っているし、それも仕方ないと頭では考えてる。
 けど心のどこかで思ってしまう。こんな状況になっているのはみんなのせいだ。みんなを食べても許して欲しい。けど、それは宗助じゃない。

「俺を食べろ、沙梨。こうなったのは俺の責任だし、沙梨には絶対生きて欲しい」
 宗助が近付いてくる。飢えが頭の中を満たす中、私は頭を振って必死に飢えに抵抗する。

「宗助!今はどこかに行って!」
 私の悲鳴を聴いても宗助は止まらず、私を優しく抱きしめた。

「俺、この島の外に出た事ないから代わりに見て来てよ。出来ればお金持ちになって幸せになって欲しいかな」

 木漏れ日の中を歩く私を、きみの目が優しく見守ってくれている。
 何か他愛のない事を話しながらお互い笑い合っている。
 そんな穏やかな日々を、一緒に過ごす事を夢見ていた。

 宗助、私は本当にあなたを愛してた。

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