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給料3万円😱タイでの現地採用時代

こんばんは。
ネリヨガの三浦です。

このnoteは、ネリヨガを作った時の私の経験をお伝えすることによって、皆さんの働き方だったり、考え方の選択肢が増えれば嬉しいなと思って始めました。

24歳くらいの時、思い立ってバンコクの出版社に就職しました。
その頃、出版社でネイル雑誌のアシスタントをしていて、仕事のほとんどが編集長の手伝い。
このまま続けていても、編集長になるには5年以上かかる。私は今編集長になりたい!バンコクでなら、日本人女性編集者は少ないから編集長になれるに違いない!と思い立ちました。

ネットで調べて、バンコクの日経出版社にメールを送り、社長が日本に一時帰国したタイミングで面接。
「3ヶ月後にこれる?給料3万円だけどいい?」と言われて即決でした。
そして3ヶ月間タイ語を猛勉強。
無事、バンコクの日系出版社に就職して、バンコクに住むことになりました。私の仕事は、現地に住んでいる日本人駐在員向けのハイソな雑誌の編集。仕事は高級ホテルのレストランや、エステなどの取材がメインでした。会社には、おじいちゃんの社長と私しか日本人がいないから、もちろん私が編集長。
取材で関わる日本人は、駐在員の奥さまたちでしたね。

当時、バンコクには私みたいな現地採用組の女子と駐在員の奥様(駐妻)がいて、貴族と平民くらいの生活レベルの違いがありました(笑)。
駐妻さんは200平米のマンション暮らし(お手伝い付き)で、私は平均的なタイ人が住むワンルームのアパート暮らし(水シャワー)。
この格差に苦しみながらも、最終的にはバンコクで駐妻向けのフリーペーパーを立ち上げたから不思議です。

…と、私の若い時の話でした。
あの頃は日本人がいない海外じゃないと好き勝手できないと思ったけど、今考えると日本ででも自分で始めれば編集長になれましたよね。

20年前くらいの日本では起業という考え方が浸透してなかったから思いつきませんでした。

今は良い時代になったなぁと思います。
ママでも、若くなくても、練馬ででも、やりたいと思ったことはできちゃうんです。
ちょっとの勇気があれば。

私はすでに40代半ばですが、これから練馬で何ができるか、まだまだ将来が楽しみです♪

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