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「見せパン」は下着です

浜松市で0歳から大人まで通う音楽教室をやっています。

音楽に合わせて体を動かす「リトミック」を教えています。

4歳くらいになると、スカートを履いてくる女の子が増えます。わたしは、スカートでの参加を禁止にしています。リトミックはある種、運動でもあるので、スカートだと動きにくいということもありますが、もっとも重要な理由は、下着が見えるということです。

小さな子どもは、お気に入りの服ばかり毎日着て、洗濯していなくてもこっちの都合なんておかまいなしに「あれじゃなきゃ嫌〜〜〜」なんて泣くことがありますね。そのようなこだわりで、「リトミックにスカートを履いていくの!」と言うことがあるかもしれません。

ですが、ここは、「お気に入りの服がいい」ということとはまったく違うテンションで、厳しく「だめです」と禁止して欲しいのです。

だめなものはだめと、泣こうが暴れようが、それは貫いていいと思うのですが、もし、どうにも言うことをきかせることができず、スカートで来たとしたら、わたしは「今日はレッスンには参加できません」と判断します。「意思を貫く」ことで起こるもろもろを経験させることも大切です。

昨今、「子どもの意思を尊重する」とか「言い分を聞く」「納得させる」というような子育て指針がとても有名になり、なんでもかんでも、「子どもがこうしたい言ったから」と尊重してしまうケースが増えています。

なぜ、この件は厳しく「だめです」と言って欲しいかというと、4歳の子に理解できようができまいが、命に関わることだからです。見せパンがあること、もしくは「一見、スカートに見えてキュロット」みたいな服を着ていることで、女の子が足を広げてゴロゴロしても大人が注意せず、そのまま大きくなってしまうと、10歳を超えても、なんなら高校生になっても、「下着が見えるよ」と言うと「見せパン履いてまーす」とか「ほら、見て。大丈夫」とスカートを捲り上げて見せることがあります。10歳〜18歳の女の子が、たとえ下がキュロットになっているとはいえ、見せパンを履いているとはいえ、大勢の前でスカートをまくり上げて見せる姿を想像してみてください。「なるほど、見えても大丈夫」と思えるでしょうか。

見せてはいけない、見えてはいけないということを教えるとき、理不尽で良いと思います。親なんだから、ときには「なぜか分からないけど、ママがいつもとは違う顔でだめと言った。何かあるのかもしれない」と、理解できないままに言うことをきかせるということも大切だと思うんです。

わたしは、性教育は「自分を大切にするための教育」だと考えています。

自己肯定感の低い子(本当に低い子です。たとえば、リストカットを繰り返すような)は、高校生になっても男子の前で平然と着替えることがあります。とても無頓着です。「恥ずかしくない」というより、「自分なんか隠すほどの存在じゃない」と思っているように思います。まるで小さな子どものようです。

こういう子でなくても、前述した通り、ショートパンツやキュロットのように一見スカートに見える服を着ているときに「ズボンにして」と言うと、中高生から「見せパンだから大丈夫」という返事が返ってくることがあります。「見せパンだから見せてもいい」ということです。「見られてもいい」と思っているのかな。

「見せパン」は下着です。見られてはだめです。「何歳からだめ」ではなく、何歳でもスカートの中は見られてはいけません。見せパンやキュロット型スカートは、親も「見えても大丈夫」と思っているのではないかと思います。そのまま15歳になります。

「好きなファッションをする権利」とは、わたしは違うと思います。少なくとも、未熟な子どもには教える必要があります。

一見、スカートに見えて、めくると実は二股に分かれている服、ショートパンツの周りに巻きスカートのように布が巻いてあってスカートに見える服など、子ども用にもさまざまなファッションがあります。「見せパン」や「見せブラ」もあります。

「ファッションの自由」の前に、大人は、子どもの命を守る役目があります。子どもを性被害から守らなくてはいけません。

「見せパン」は下着だし、「スカートに見えて実はキュロット」がめくれて下着が見えるのは、「セーフ」ではありません。「まだ子どもだから」じゃなくて、子どものうちに「なんか知らないけど、怖い顔で怒られた」という理屈のない記憶が、中高生になったときに「相手が誰であっても警戒する」という自己防衛につながっていくと思います。そして、それは「怖い人がいるから」ではなく、「自分が大切だから」です。


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