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卒業旅行

春から大学生になる18才さんたちと朝から晩まで、遊び倒しました。

ドライブ、ランチ、ロープウェイ、オルゴールミュージアム、遊園地、アクセサリー作り体験、焼肉、またまたロングドライブ。

何しろ、本人たちがわたしに出会った記憶がないのです。全員、1才または2才で会いました。

リトミック、ピアノ、英語。勉強も見てあげたなー。全員、泣かせたこともあるなー。進路相談にもだいぶ乗ったなー。

ご飯なんか、何度食べたか分からない。お風呂に入れた子もいるなー。

昔から仲良しで雑談していたイメージはなくて、どちらかというとものすごく厳しく接していたと思います。

すごく大事なことを伝えたこともある。

何しろ16〜17年ですから、子どもの育ちとしては、ほとんどすべてに関わってきたと言っても過言ではありません。

1日中、遊んでも全然疲れないし、気を使わないし、友達でも親でもない。18才同志、ずーっとしゃべってる。ときどき、わたしも加わる。昔の話をして大爆笑。

お昼ご飯も夕飯もごちそうしたら、遠慮なく、気持ちいいくらい食べる、食べる、食べる!!そして「ごちそうさまー!!!」

挨拶もお礼もちゃんとできる。

いつから敬語でしゃべれるようになったんだろう。記憶もないくらいです。

進路は、3人とも、「うん、それが良いだろうね」っていうところに収まった。大学は途中経過ですから。これから何があるか、まだ分からない。

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↑それぞれで時間をかけて選んで作ったアクセサリー。どの子のも「らしいね、だよね」っていう個性が表れてる。後輩にLINEで「どれが誰のでしょう?」ってクイズを出したら、当たってました。

1日中話していて思ったことは、みんな、屈託なく、「自分はこう思う」ってことを言うってこと。へんな話の合わせ方をしない。探り合わない。負のことも言う。全部が自然。

この子たちは、わたしの次男と同級生なので、彼女たちからしたらわたしは「ママと同等の人」。でも、わたしはなんていうか、親の立場で話してなくて、自分の未熟さも含めて一緒に乗り越えてきた仲間みたいな人たち。

「あの頃、親としてはこう思ってたけど、それは違ったんだなーって今は思うんだよねー」なんて言う。すると「あぁ・・・」とか「うん・・・」とか、しみじみとわたしの言うことを聞いている。

「親とは」みたいなことを、外側から眺めて、とても客観的に意見を言い合う。

わたしはすごくがんばって親をやってきたけれども、彼女たちと話していると、どうがんばったって、親だけでは育てられない一面が子どもにはあり、それで当然なんだなと思います。

親だけで立派に育て上げて、誰からも文句を言われないような、完璧な良い子にするのではなく、足りない部分を認め、社会に一緒に育ててもらう。

そのときに、どんな社会、どんな大人に子育てを手伝ってもらうかを真剣に選び、感謝を伝え、「どうぞよろしくお願いします」と頭を下げるのが、親にできることなのかもしれないと思いました。

何故そんな風に思ったかというと、わたしが息子たちに接している姿と彼女たちに接している姿はやっぱり全然違うからです。わたしの「全然違う側面」を、誰かに担ってもらって、ようやく子育てが成立するのかもしれません。

ならいごとの先生というよりは、共に育てた気持ちがとても強い、可愛い子どもたちです。

「思いっきり世間に甘えて、続きは育ててもらってこい!!」

そんな気持ちです。

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