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DIOは部下思いの良いボスだからこそ悪のカリスマである ジョジョ第6部「DIOの日記」を読んだ感想

今、好評配信中&放送中のアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン』。ジョジョシリーズとしては第6部となり、第3部の主人公、承太郎の娘・徐倫が主役となる話である。

この第6部は、第3部のラスボスDIOの親友プッチ神父が、彼が残した日記に記載されていた「天国に行く方法」を探求。それを阻止しようとする徐倫たちとの死闘が繰り広げられる。なのでこれまでのジョースターの血統とDIOの因縁に決着をつける総決算となる作品だ。

第3部でDIOは、不死身の吸血鬼であり最強のスタンド使い、圧倒的な悪のカリスマだった。ひとを妖しい術かなにかで惑わせて自分の思惑通りに動かし、時にはそんな部下すら平気で使い捨てるような吐き気をもよおす邪悪として描かれていた。少なくとも承太郎たちからはそう見える。だから、ぼくらはそんな凶悪なDIOを承太郎が最後に完膚なきまでにぶちのめしたことで、「そこにシビれる!あこがれるゥ!」となったわけだ。しかし、本当にDIOはひとの心も通わない鬼畜だったのだろうか(吸血鬼だよというツッコミは無しで)。親友がいたというのは第6部の後付けと言えるかもしれないが、実は第3部の時点でもよくよく読んでみると「ん?」となる点が多いのだ。その回答をくれたのが DIOの日記『OVER HEAVEN』だった。

上に立つ者は下の者たちのがんばりをきちんと理解し讃えなければ組織は成り立たない

なにか巨悪をなす者というと理解が及ばない存在に違いないと、ぼくらはある種の憧れを抱く。凶悪犯罪を犯す者というのは、とてつもなく知能が高く、それでいて血も涙もない冷酷な人間なのではないかと。たとえば『ダークナイト』に登場するジョーカーは、味方の部下に対してもなんの躊躇なく平気で銃をぶっ放して撃ち殺す。『羊たちの沈黙』のレクター博士はものすごく頭が良いのに殺人することに躊躇いがない。というより殺人そのものを愉しんでいる。

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しかし、一部の例外を除き、現実の凶悪犯罪者という存在は意外と普通の動機から殺人を犯す。スターリンが身近な側近でも殺しまくったのは極度の疑心暗鬼から来たものだった。軍幹部も粛正しまくったことで、第二次世界大戦の独ソ戦では軍の統率が取れなくなってあやうくナチスドイツに敗北する寸前だった。

つまり現実では、『ダークナイト』のジョーカーみたいに平気で味方を殺しまくるやつは、当たり前だが部下から慕われることはない。あれは敢えて露悪的に描くことで正義のバットマンとの対比を明確にしているだけである。本当に悪のカリスマとなるには、かなり人としての魅力や下のものに対する尊重がないと配下はついてこないのだ。

DIOは自分の細胞から作った肉の芽というもので強制的に花京院やポルナレフを洗脳していた。しかし、それ以外の部下に対して肉の芽を使ったり恐怖で従えていた描写はほとんど出てこない。むしろンドゥールやバニラアイスはそういった強制的な恐怖ではなく、本人の意志で忠誠を誓っている。また、ホルホースなんて2度も敵前逃亡して、さらに自分を暗殺しようとしたやつなのに、殺さずホルホースの良さを見出す器の大きさを見せている。このようにDIOは第3部の描写時点でも、たしかに親友がいてもおかしくない人望の持ち主なんだなということが伺える。

ただ、唯一の例外はエンヤ婆が肉の芽で殺されたことだった。バニラアイス以上に忠誠心を持っており、そもそもスタンドの使い方すら指南したエンヤ婆はなぜあんな殺され方をしたのか。秘密を知りすぎているから?いや、それだったら同じようにDIOのスタンド能力を知っていると描写されていたダービー兄も肉の芽が埋め込まれていたはずだ。もちろん、そんな描写はない。漫画だから作者の意図でいくらでもそんな事実なんて覆せる。特にジョジョは最初にあった設定が消えたりすることの多い作品だ。でも、なんとなくモヤモヤが残る。それがDIOの日記『OVER HEAVEN』を読むと、きれいに納得できる。

『OVER HEAVEN』とは?

第6部で承太郎はホワイトスネイクの攻撃を受けて、記憶とスタンド2枚のディスクを抜かれ、再起不能となってしまった。娘・徐倫の決死の行動で承太郎の身体はなんとかスピードワゴン財団の元に送られたが、生命反応はないままであった。そこでスピードワゴン財団の研究者のひとりが、承太郎の復帰の鍵が「DIOの日記」にあると考え、東方仗助のクレイジーダイヤモンドの力を借りつつ、なんとか復元したという設定で書かれたのが、この『OVER HEAVEN』である。

これは、2011年にジョジョ25周年を記念して発表された小説プロジェクト『VS JOJO』の第2弾として、西尾維新によってノベライズされた。

本作が出版された当時もぼくはジョジョが好きだったけど、外伝の小説は別にいいかと思っていた。あくまで荒木飛呂彦の描く漫画原作だけで十分だと。しかし、ここ最近になって西尾維新が書いたその小説が、まさかあの「DIOの日記」そのものだったと知り、興味が湧いてAmazonでポチッた。届いて即読破したのはいうまでもない。

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過去を補完するという意味では、『Fate/stay night』に対する『Fate/Zero』のような立ち位置の作品かもしれない。しかも『Fate/Zero』は虚淵玄という鬼才シナリオライターによる二次創作だったので結果、大傑作となった。『OVER HEAVEN』は西尾維新という天才作家による二次創作である。当然、面白くないわけがない。実際に読んでみると、緻密な伏線を回収しつつ、DIOとジョースターの血統との違いを「奪う者」と「受け継ぐ者」といった概念を取り入れ、そこにキーワードとして「母親」の存在を入れることで、普通に面白い小説としてしまうのはさすがである。

また二次創作では、書き手の趣味が原作に加わることで原作とは違った面白さを増す。『Fate/Zero』であれば、虚淵玄の銃やメカニックといった魔術師の戦いとは一見ほど遠いものが混じりあって原作とかなり趣が変わった作品となった。(※『Fate/Zero』で自身の魔力で魔改造したバイクにまたがるセイバー↓)

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この『OVER HEAVEN』も、西尾維新という作家の真骨頂であるコミカルかつ緩急ある場面転換がふんだんに活かされている。

今まさにジョースター一行が自分を殺しにきているという状況下、DIOは呑気に日記を書いており、しかも本人は至ってまじめというシュールっぷり。仲間となる花京院の次に承太郎たちに最初へ仕向けた刺客、タワーオブグレーが倒された時は、「わたしの次に速いスタンドがやられるなんて!」と驚愕した。日本でスタンド使いの護衛もない空条家で寝込んでいる承太郎の母、ホリィを暗殺して彼らの士気を落とす作戦をエンヤ婆が持ちかけてきた時は「このディオではとても思いつかないくらい、陰湿な案だ」とか「そういった下衆なところが好みなので、もう少し若ければ彼女と子供をもうけたいくらいだ」と褒めているんだか、貶しているんだかわからないことを考えていたりも。また、プッチ神父が読むと思ってプッチに宛ててちょっと感傷的に書いた文章を読み返し、「これではまるで遺書ではないか!」とひとりツッコミをしたり、ポルナレフを勧誘して断られた時は、めっちゃ落胆してたりと、もう何度も笑い転げてしまうシーンがあった。

それとは逆に、自分の母親に対する拗れた愛情の吐露が合間に何度も挟まれていて、そこはなんとも読んでいて切ない気持ちになった。そして配下に対しても、ひとりひとりの考え方を尊重しており、独断で動いたことも咎めたりせず、身の安全を心配する。ダービー弟に対しては逃そうと考えていたくらいだ。あのヌケサクですら、妙な愛着を持っていた。そしてそういった部下たちとのコミュニケーションから「天国への行き方」のヒントを得ていたのだ。

そして、ぼくが第3部で感じた大きな違和感、エンヤ婆になぜ肉の芽を植えていたのか。それも事細かく記されている。

エンヤ婆は息子を失ったことで精神崩壊を起こしてしまう。DIOは多くの部下をまとめていたエンヤ婆がそうなってしまったことで苦悩する。「あのような魔女でも息子が死んだら悲しむのか。どうにかしなければならないあの『母親』を」と。

ジョナサンの妻で高潔な精神を持つエリナを聖母と呼んだり、DIOは「母親」という存在を大きく感じていた。そして組織の統率をエンヤ婆に任せていたこともあり、精神安定させるためにエンヤ婆に肉の芽を刺した。しかし、それも一時凌ぎにしかならず、DIOに相談も報告することもなく憎しみでジョースター一行の元へ向かってしまったことを、DIOは心底落胆する。そして案の定、負けてしまったエンヤ婆の始末を粛々とダンに任せるのだ。組織が崩壊したことで、DIOは考える。自分の目的は世界征服ではなく、天国へ行くことだと。そこでジョースターの末裔たちとの和解ができないものか、また自分が逃げることも冷静に思考している。

しかし、ジョースターの血統は「受け継ぐ者」であり、自分は「奪う者」だと。これは水と油のようにわかりあうことは絶対ないと判断。そして、いくら自分の娘や母親であろうと、たった一人の女を助けるためにジョースターたちは25人の部下の生命を踏み躙ってきた。悪党の命は聖なる女ひとりに比べて安いとでもいうのかと。たとえ部下に秘密にしている崇高な目的があったとしても、自分だけおめおめと逃げることは散っていった部下を裏切ることになる。そう覚悟を決めてひとりで戦う選択を取るのだ。

どの視点で描くかで「事実」が異なった「真実」となる

『コードギアス反逆のルルーシュ』という人気アニメ作品がある。この作品では主人公のルルーシュの視点から描かれることで、どんなに彼が悪逆に振る舞っていても、実は様々な葛藤や苦しみといったルルーシュの内面を描くことで、視聴者もルルーシュに感情移入できた。もし、内面をまったく描かなければ単なる極悪キャラとしか見えないだろう。

ジョジョ第3部のDIOも、あくまで主人公側からしか描かれていないので、このように単なる邪悪のようにしか描かれていない。以下のポルナレフの台詞がそれを端的に表している。ただそれは勧善懲悪の少年マンガとしては王道でいいのだ。

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ただ大人になって改めてDIOの評価を考えると、そんな単純には読めない。ぼくは今回『OVER HEAVEN』を読んで、DIOがどんなに露悪的に振舞っていても内面では悪党なりに部下への深い情や道理、気高い責務を持っているところにこそ、真に悪のカリスマであると感じた。そして、ここまでDIOを魅力的に描き上げた西尾維新はやはりすごい。

しかし、承太郎の復帰の鍵となるかもと、復元を試みたら、DIOさまの部下や敵には見せられないプライベートな日記で、草葉の陰から顔真っ赤にしていることだろう。この日記は真に友と呼べる相手にしか見せられないというのもわかるものだ(笑)。

『JOJO’S BIZARRE ADVENTURE OVER HEAVEN』 西尾 維新


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