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【追記】魚を与えるのではなく釣り方を教えよ! カンボジア支援NPOはちどりプロジェクトで学んだこと

2016年のこと

2016年1月。ぼくはのちに旅友となるSちゃんの口利きでカンボジアでボランティア活動をしている日本人の子を紹介してもらった。当時、その子はカンボジアのウドンメンチェイ州プレイキション村の小学校で支援活動に従事していた。所属していたのはNPOはちどりプロジェクトで、代表の宮手恵さんとウクレレ歌手のHACHIさんがその小学校を2011年に建てたところだ。

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プレイキション村はアンコールワットがあるシェムリアップから車で悪路を1時間半かけたところにある。1995年に村民が住む地域の地雷撤去は終わったが、電気はほぼ通っておらず、水も井戸を掘って生活している。はちどりプロジェクトでは定期的に小学校へのツアーを行っており(そこで得たお金を様々な支援に当てている)、今度はその子の口利きで急遽ツアーに参加させてもらうことになった。

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すごく記憶に残っているのが、村に着く前に、その子から「どんなに子どもたちがかわいくても村民の人たちが優しくても、物や金銭は少量でも絶対に渡しては駄目」と厳命されたことだった。

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貧しい国や地域の人たちを支援するということは、ただやみくもにお金や物を与えるだけでは駄目だそうだ。一度それを味わってしまうと、その後もずっと支援に頼りっきりになってしまい、自分たちで自立する考えに至らないことがほとんどだという。それは長期的に見てまったくその地域の人たちの支援に繋がっていないことになる。だから、それはしてはいけない。ではどういうことが支援に繋がるのか。

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はちどりプロジェクトでは、まずは教育を基盤と考えて、村になかった小学校を建てて、先生を雇い、それまで自分の名前すら書くことができなかった子どもたちに自国語の文字の読み書きを教えた。そこから生活に必要な算数など教えていった。

カンボジアは、1975年から1979年まで続いたポル・ポト政権の原始共産主義によって、高度な知識がある者だけでなく、少しでも学がある者、果ては読み書きができるレベルの人たちすら虐殺された。一説には約200~300万人の自国民が殺されたといわれている。

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だから、その年代の子供、つまり今の小学生や中学生の親たちはまったく自国語の読み書きができない。当然、子どもたちにも教えることができない。こういった教育インフラが壊滅的に破壊されているので、カンボジアの多くの地域でいつまで経っても貧困状態から抜け出せないでいるのだ。

文字が読み書きできることを当たり前と思ってはいけない。世界では、文字の読み書きのできない非識字者は、約7億7500万人いる。これは世界人口(15歳以上) の1/6にあたる。自国の文字の読み書きができなければ、知識を得ることも金銭を得ることも難しい。知識とは生きる上で最大の武器であり防具でもある。それによって人生は確実に豊かになる。日本の義務教育も色々と悪い点が挙げられているが、それでも識字率ほぼ100%を誇る日本の義務教育には感謝しかない(ちなみにアメリカは成人の8.1%にあたる、約1600万人が文字の読み書きができない非識字者がいる。格差は日本の比ではない)

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プレイキション村の子どもたちは学ぶことに常に真剣だった。学校が終わっても家の手伝いをしながら勉強をし続ける。子どもたちはクメール語を学んでいるので当然英語はできない。しかし、日本からきたぼくとのコミュニケーションを取りたがって、魚の絵を持ってきて見せるから「さかな」って言うと、何度も「さかな、さかな、さかな」と復唱して覚える。日本に行くことがないかもしれないのに、日本語を少しでも知りたいという好奇心で溢れている姿に感動を覚えた。好奇心こそ、ひとが前を向いて生きていける原動力なのではないか。

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はちどりプロジェクトでは紙漉き工房も作ったり、ミサンガを編む場所を作ったりと、産業にも支援の手を伸ばしている。そこで作ったはがきやミサンガをシェムリアップのナイトマーケットで売るのだ。日本でも買えるので興味を持った方は下記にリンクを貼っておくので是非買ってもらいたい。

はちどりプロジェクトの理念として、最終的にははちどりプロジェクトは村を撤退して、村が完全に自立した形になることを掲げている。支援団体がいつまでも居座っていてもいけないのである。

中国の諸子百家のひとつ、老荘思想の老子の言葉に「授人以魚 不如授人以漁」というものがある。これは、「ひとに魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける」という考え方だ。そう。貧困地域への支援というのはこういうものを指す。

もちろん、今病院に行かないと死んでしまうとか緊急の際には四の五の言わずにお金が必要だが、長いスパンで考えるとお金を直接渡しても自立していくことには繋がらない。これは実際、昨年自分がトラウマの後遺症で苦しみ、金銭的にもかなりきつい状態に陥った時でも、行政の支援員さんたちの指導や医師の診断、友人たちの支えなどで、少しずつだが立ち直ることができた。もし、単にお金を与えられながら寝たきりとかだったら、ここまでの快復は絶対にしていない。

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ただ、多くのひとに頼ることは自立を妨げることにはならない。むしろ多くのひとを頼りつつ、気力体力を快復させていくこと、リハビリしていくことが自立へと繋がる。

話が逸れたが、そういった感じではちどりプロジェクトでは物を直接与えるということを一切してこなかった。しかし、2016年9月に初の卒業生が誕生したことで、プレイキション村の子どもたちはとなり町の中学校へ通えるようになった。ただ、歩いていくと数時間かかってしまう距離にある。灼熱の中、毎日そんな距離を子どもたちに歩かせるわけにもいかない。そこで、初めて自転車を卒業生たちにプレゼントすることになった。あとで聞いた話だが、これも物を与えていいのかどうかを何度も何度も議論したそうだ。

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ぼくも2016年9月の卒業式に招待させていただき、初の卒業生たちを祝った。そして自転車代も支援させてもらえることになった。日本に帰国してから約2ヶ月後くらいだっただろうか。はちどりプロジェクトから手紙が届いた。なんでもぼくの支援金で購入した自転車はパオちゃんという子が使うことになり、その子からのお手紙が同梱されていた。

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ぼくはクメール語の単語をいくつか知っているくらいで読めないのだが、丁寧にはちどりプロジェクトの方の訳文も添えられていた。

「自転車ありがとうございました。とても優しくて、きれいな自転車をありがとうございます。本当に助かりました。私たちはいつまでも勉強することを忘れません。自転車はこわれないようにいつまでも大切に使います。私たちだけではなく、これからの後輩たちも自転車を使えるようにできたらと思います。本当にありがとうございました」

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パオちゃんは今はきっと高校生になっているだろう。そう。魚の釣り方を教えてもらえれば自分で食べていくことができる。その最初の衝動はなんといっても好奇心だ。好奇心とは未知のものに対して興味を持つこと。40、50代となっても勉強することに遅いということはない。ぼくらも常に好奇心を持ってさえいれば、何歳からでも人生を再スタートできる!

見て欲しい、この子たちの勉強にかける熱意を。好奇心に溢れた感情を!

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【追記】宮手恵さんご本人からその後のご連絡をいただきました

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パオちゃん、今はバイクで高校に通学していて英語も使えるようになっているなんて…。

しかも、文中で書いたはちどりプロジェクトの理念通り、わずか3年で自転車支援も終了して村の人たちの力だけで子供たちを中学校に通わす事ができている。本当にすごい!

こういった支援活動は綺麗事だけではないので、宮手さんたちの汗と涙のにじむ努力、そしてその熱意に応えた村民の人たちの力が合わさって生まれた結果だと思います。

本当にすごい!すごすぎる!

この報告を受けてマジで胸が熱くなりましたし、逆にこちらがものすごくパワーをもらいました。ぼくも今はリハビリやその他諸々、一進一退を繰り返すような日々ですが、それでも一歩一歩前へ進む、進んでやる!と心を新たにしました。本当にありがとうございました!



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