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累計8000万部突破の社会現象! 41歳のおっさんも泣いた『鬼滅の刃』は最高の癒やしコンテンツ

最近になって友人の薦めで、今や社会現象となっている『鬼滅の刃』のアニメを見た。歳をとってくると「社会現象になっている」ってだけで、「どうせこんな感じだろう」とかこれまでの経験が仇となり、つい手を出さなくなっていってしまう。これはひとの本能的なものでもあるし、自分も歳を取るにつれてどうしても物事に対してそう感じてしまうことが多かった。だからぼくは感性が似ている友人から面白いと薦められたものはなるべく見るようにしている。

そしたらまんまとドハマりして笑、コミックスも既刊まですべて揃えた。そして、今度の7月3日に最新刊の21巻が発売されるので、まだ見たことないよってひとに向けて、41歳のぼくがハマった点と、なぜここまで世間で受けているのか、ぼくなりに考えてみた。もう数多くの著名人たちが分析しているので、深掘りはその方々にお任せするとして、軽くさわりでも『鬼滅の刃』の魅力をニワカのぼくでも紹介できたらなと思う。

ぼくの結論から言うと、タイトルのまんまだが、最高の癒やしコンテンツだと思う。これまでのジャンプ漫画のバトルものの主人公と違い、鬼滅の主人公・炭治郎は「オラは宇宙最強になりてえ」とか「おれは海賊王になる!」みたいな競争社会の中で勝ち上がりたい、成り上がりたいといった野心を持つキャラクターではない。鬼となってしまった妹の禰豆子を人間に戻すために、本当は戦いたくないのに努力を重ね戦いに赴くのだ。

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物語は雪山の中、鬼に家族を襲われて唯一生き残った瀕死の妹を担いで助けを求めるところから始まる(上記参照画像は物語最初のページ)。もう理不尽な災いが降りかかり逃げる事もできない絶望的な状況からスタートなのだ。

そして鬼滅での鬼とはいわゆるバンパイアの事で、血により鬼化してひとを襲う。禰豆子も鬼の血を浴びた事で鬼化して炭治郎に襲いかかり、そこに鬼を殲滅する鬼殺隊の富岡義勇がやってきて禰豆子を殺そうとする。しかし、妹を命をかけても守ろうとする炭治郎や、鬼化しても義勇から炭治郎を庇おうとした禰豆子を見て義勇はなにか特別なものを感じ、妹を助ける為には鬼に勝つ力が必要として炭治郎を鬼殺隊の訓練へと導く。

それからもとにかく厳しくて辛い世界が描かれていくんだけれど、それって今の社会を表してないかと。ブラック企業で過労死寸前のひともいれば、貧困に喘ぐひと、ひととの絆から外れ孤独に苛まれているひと等など。日本は毎年、紛争地帯並みに年間の自殺者が出る国になってしまっている。新型コロナによってこれからもっと厳しくなるかもしれない。

炭治郎は、そんな辛い世界においても努力できるのは妹との家族愛の絆、仲間やメンターとの義理人情である。そういったものが崩壊した現代を生きるぼくたちにはこれはとても尊く感じる。

また、炭治郎自体がとても優しい人格者で、ひとを殺す鬼を許さない気持ちを持ちつつ、どんなに残虐な鬼であってもそうなってしまった哀しみをみな背負っていて、倒したあとになんともいえない切ない慈愛の表情を鬼に見せる。単純な勧善懲悪じゃなく、きちんと鬼には鬼の事情や背景がモノローグで丁寧に描かれていて、鬼側にも感情移入できてしまう。誰しもが弱さを持っているからこそ、力に頼ってしまう哀しさもわかるし、実際、登場する鬼のようなひともいるだろう。

たとえば那田蜘蛛山の累という鬼は、恐怖と暴力でほかの鬼に家族の絆を無理やり強いている。それってまさにDVや児童虐待しているひとそのものではないか。炭治郎の危機に身を呈して代わりに切り刻まれた禰豆子の行動を見て「これこそ家族愛だ」と感動した累は、「その妹をくれれば命は助けてやる」と言う。しかし、炭治郎は「恐怖や暴力で他人を従えても本当の絆なんて手に入らない」ときっぱりと断わる。

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そんな累も倒される刹那に、自分が鬼になる前に実は温かい両親からの家族愛を自分の手で壊してしまったことを思い出すのだ。そして、それを悔やみ悲しみながら朽ちていく。しかし、さっきまで死戦を繰り広げていたそんな鬼であっても炭治郎は、「自らの行いを悔いている者を踏みつけにはしない。醜い化け物なんかじゃない。悲しい生き物だ」と優しく温かい手を伸ばす。まるで仏さまのような安らぎが伝わってくる。

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ひとは誰だって誤ちをおかすことはある。その罪を認め反省している者をこの作品では一切責めない。それどころか「どんなに辛かっただろう」と慈愛で満たしてくれるのだ。いわばこれまでの少年マンガが競争や勝利を追求していた男性性だとするなら、『鬼滅の刃』は苛烈なバトルものに母性的な安らぎが隅々まで浸透している。そこがぼく及び多くのひとを魅了した最大の特徴なのではないだろうか。いかに周りを出し抜いて自分だけが勝ち残るか。そんなバトルロワイヤルにぼくらは心底疲れ果ててしまったのだ。あまりにも周りを思いやる気持ちを忘れていたし、周りも殺伐としていて母性的な感性が失われていたのだと思う。

それから、この作品のもうひとつの大きな魅力として、ひとの炭治郎と鬼の禰豆子が力を合わせて鬼に立ち向かうところだ。最初の元ネタは『デビルマン』だと思うけど、バンパイアものは基本的に同族殺しが作品のキーとなってくる。『吸血鬼ハンターD』も『吸血姫美夕』も人間を守るために同族を殺す。『吸血姫美夕』は少女マンガで耽美的で鬼滅と同じく母性を感じさせるものではあったが(テレビ版の性格の場合・性格はメディアによって異なる)、それは敵に対してではなく、敵に大切なひとを殺された人間に対してで、もう苦しまないようにと永遠の安らぎを与えるのだ。

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そして『鬼滅の刃』も同族殺しを受け継いでいるんだけど、さらに面白いのは、妹を守るために戦う炭治郎がピンチの時に、逆に禰豆子が鬼の力でお兄ちゃんを守り抜く強さが描かれているところだ。

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ただ守られる弱々しいヒロインではなく、逆に主人公を守る強さを持つヒロイン。これは昨今のトレンドとも言える。今、Netflixでずっと視聴数ランキング1位を取り続けているNetflixオリジナルの大人気韓国ドラマ『愛の不時着』という作品がある。

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これは、韓国の財閥令嬢のヒロインがパラグライダーをしていたところ、突然の竜巻に巻き込まれて38度軍事境界線を超えて北朝鮮に不時着。そこで北朝鮮の高官の息子の軍人の主人公と出会うところから物語はスタート。この作品についてもめっちゃ語りたい事があるが、それはまた別の機会にするとして、なんでこの作品を挙げたかというと、北朝鮮内にいる時は主人公の軍人がヒロインを命をかけて守るのだが、逆にとある事情で韓国側に主人公が来た時はヒロインが命をかけて守り抜くのだ。守られるだけのヒロイン像は今となっては古く、男女がお互いを助け合い愛を深めていくというのが、世界的にも受けているのではないだろうか。

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自己啓発本界隈も鬼滅ブームにのかってこんな本が出ているのを見かけたが、これまで『鬼滅の刃』とは、他者への思いやりや相手の悲しさ辛さを自分のことのように受け取ってともに生きていく事、ひととの温かいつながりや絆の尊さ、お互いを尊重し助け合うところが魅力だと語ってきた。

これまでぼくらが「自分、自分」と個の欲望だけを求め、周りへの思いやりを無くした「鬼」として頑張ってきたのに、勝ち残れるのはほんのわずかで圧倒的多数の敗者が生まれた。そんな現代社会に疲れきってしまった事、もしくはその過程で手放してしまった尊いものに対して、『鬼滅の刃』という作品は安らぎを与えてくれた。だから、「強いメンタルを作る」というものと鬼滅の作風とはそもそも真逆のものだと感じる。もう、そんなものはとっくにみんな試しているのだ。それでも駄目で、どうにかこうにかしてなんとか生きてきましたって段階にきてる。『鬼滅の刃』を読んで「ひとに優しくなろう」と思うひとは多いと思うが、「負けないメンタルを作るぞ」と思うひとは少ないのではないだろうか。

まあ、作品をどのように受け取るかは個人の感性なので、そういうひとがいてもいいと思うけど、ぼくは『鬼滅の刃』を読んで癒されたし、ひとの思考や行動は変えることはできないのを理解しつつ、他者に寛容でやさしくありたいと思った。そしてこれからも誤ちをおかしていくとは思うけど、そこで立ち止まらず前を向いて歩いていきたい。

ちなみにぼくが好きな女性キャラクターはしのぶさんですよ(・∀・)

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