『め生える』
やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、読んだ本の感想記事を書きます。
高瀬隼子著 『め生える』 (U-NEXT 、2024)
斬新で、残酷だ。
今回は、ルッキズムを中心に感想を書いています。
あらすじ
ある時を境に、急に人類がハゲる。
最初は、感染症なのかと恐れる人もいた。
しかし、5年ほど経ち、ハゲている人が圧倒的多数になると、恐れる人は少なくなる。
16歳以上、20歳以上。
ハゲるタイミングに多少の差があるものの、「結局みんなハゲる」。
美容室が次々と倒産し、ウィッグが流行る。
みんなハゲているのだからと、何もしない人がいる。
一方で、ウィッグをつける人がいる。
化粧やアクセサリーが、派手になる人がいる。
頭皮にタトゥーを入れる人がいる。
あえて、ウィッグをつけようとしない人がいる。
みんなハゲているのだから、ウィッグをつけない状態を意図的に見せる人がいる。
しかし一方、髪の毛が生えてくる人がいる。
たまに、ハゲることのない人がいる。
感想
ハゲた後に、髪の毛が生えてきた真智加。
彼女は、まだ世の中の人がハゲる前、薄毛を周りからネタにされてきた。
世界中がハゲた後も、本物の髪の毛が生えてきても、彼女は、いつも息苦しい。
話の後半、真智加は彼女の友人の、元彼に偶然会う。
彼は以前、真智加と友人とあった際に、もともとハゲていたので、世の中みんながハゲて良いと言っていた。
その彼が、真智加の髪の毛が本物であると知った時の発言は、狂気じみている。
髪の毛の話しかされていないはずなのに、平等じゃないと言う。
コンプレックスは、その人全体を覆うのだ。
架空の話だからと思いつつ、外見の平等とは何かと思った。
(この人の平等定義とは)
本書の話は短いながら、斬新で残酷だ。
架空の話でありながら、現実的。
最後、真智加は、温浴施設で周囲の視線を感じながら、自分の本物の髪の毛を洗って風呂に入る。
ここを読み、私は「レッテル」を思い出した。
レッテルを、私は「ラベル貼り」とも呼んでいる。
人の言葉が書かれたラベルが、自分に貼られていく。
自分の本物の髪の毛を、ウィッグで隠さずに洗った彼女は、きっと周りから貼られたラベルが剥がれ落ちているのだろう。
人の外見。
知らない間に比較が始まり、人は誰かを羨む。
それだけじゃなく、勝手に誰かと比較されることもある。
真智加は髪の毛が薄いことをネタにされていたが、いじめと呼べるほどに目立ったことでもなかった。
それは、世界が変わっても、髪の毛が自分だけ生えても、いつまでも彼女の心を傷つける。
人の言葉でラベル貼りされた状態は、本当に居心地悪いものだ。
クラスの誰かや、芸能人なら、血の繋がりもないからマシかもしれない。
私は色々気にしている自分自身を、ある時、本当にバカらしいと思った。
そして、私の今がある。
なぜなら、私は本当は気にしていなかったからだ。
周りの言葉(レッテル、ラベル貼り)によって、自分の本当にありたい姿さえ、誤魔化して見えなくなってしまっていた。
息が詰まる。
鬱陶しくてたまらない。
この話の中では、髪の毛のことだけが書かれている。
しかし、見た目(顔、体型)や思想、肌の色など、様々なことが、常に人を脅かす。
外見のほとんどは、先天性/後天性のものであったり、自分自身で理想選ぶことは極めて困難だ。
しかし、人は比較することをやめることなく、傷つけ、傷つく。
かっこいい
可愛い
きれい
こういうことを言われること自体、嫌な人もいる。
正直、私は履歴書の写真などは、レントゲン写真で良いと、随分前から思っている。
(外見を売りとする人以外は)
ある程度、基準になるかもしれないが、時に人は他者を必要以上に見ていないだろうか。
この本を読んで、心底バカらしいと笑うことが出来る時がくるように願うばかりだ。
おすすめの1冊。
読んでくだり心から感謝します。 サポートいただけたら、今後の記事に役立てたいと考えております。 スキしてくだるのも、サポートもとても喜びます!!!!