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(漫画)『光が死んだ夏』(1〜3巻)

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、『光が死んだ夏』の1巻から3巻まで読み、思ったことを書きます。

モクモク れん著 『光が死んだ夏』 (KADOKAWA 、2022)


初めて本屋でこの漫画を見た時、タイトルに驚いた。
タイトルから、終わってる?(最終巻的な)
しかし、2巻が隣に飾ってある。

登場人物が、最初から欠けている物語?
どのように進むのだろう?
(誰かが死ぬシーン→過去から現代に物語が進み、最終巻で1巻に戻る?)

漫画のタイトルは、『光が死んだ夏』。
しかし気分転換に読み始めたのは、冬になってからだった。

この漫画の魅力は、想像を超えるものがあった。
kindle版で読んでいるのですが、文字のみなのに音が聞こえるような感覚。
実際、セミの声などがホラーテイスト(?)フォントで、大きく描かれている。
文字以外の、例えばキャラクターの表情や文字のないシーンからも、音が聞こえるような漫画だ。
この漫画は、とにかく音が多い。

漫画のタイトルの通り、最初から登場人物が1人亡くなっている。
亡くなった身体に、”何か”が取り憑いている。

なぁ、お前違うだろ?(光るじゃないよな?)

友人に、”何か”(光)は上記のようなことを言われ、”何か”は光でないと正直に言う。

”何か”は、生きていることと死んでいることの差が分からない。
光の肉体なのに、光と自分(”何か”)は何が違うんだ?と言う。
”何か”は、自分が何かも知らない。

3巻まで出ているのですが、何度読み返しても面白い。

生きていることと、死んでいること。
言われたら、確かに差があまり分からん。
医者に死亡判定されたら?
しかし、”何か”が取り憑いていると気付かない者にとって、光は以前と同じく生きている。

光じゃないのでは?と気付く人、そうでない人。
ここで、今まで私が疑問に思ってきていることが思い返された。

人が、その人であると確信を持てる理由は何か。

私の長年の疑問だ。

細胞単位で考えれば、人は何ヶ月か経過すると、まったく新たにされている。
人は、道具無しで細胞を可視化することは難しい。
それゆえに、まったく新たな細胞の塊であっても、人の認知に差し支えはないのかもしれない。

数ヶ月、数年経っても人は人を認知する。
なぜ可能なんだ?
一卵性双生児なら、人を騙すことは可能だろうか?

顔か?声か?
五感、特に視覚と聴覚による情報と過去の情報から、人は人を認知するのだろうか。
何が、人をその人たらしめるのか。
この漫画を読んでいると、頭がおかしくなりそうだ。

”何か”は、自分が何者かも分からないって。
それは、人もそうなのではないかと思う。
突き詰めて考えると、やっぱり苦しめられそう。

自分のことで考えてみる。
ある日、急に友人が流暢な沖縄弁や方言を話し出したら、好感度は爆上がりするだろう。
同時に、あなたは誰?と、ゾッとする。

漫画内で、光の友人は”何か”の入った光と一緒にいる。
もう、光じゃなくても側にいて欲しいと考えているのだろうか。
そしたら、光の人格を無視してるのではないか?
私は、そう思えて仕方ない。
または、光の友人は、取り憑いている”何か”にさえ、同情するほどお人好しなのか。

私だったら、どうだろうか。
記憶喪失などではなく、”何か”が憑いている友人を、それでも側にいて欲しいと思うのだろうか。
いや、ないな。
もう、それはその人でないから。
”何か”が取り憑いた、別の誰かだ。

これは、”何か”に取り憑かれている場合だ。
究極論で考えるなら、ゾンビであっても、その友人が好きだからと肯定することになる。
自己欺瞞だろうか。
嫌な感じだ。
乱暴な言い方をするのであれば、特定の人に対して、異常なほどの依存を感じさせるように思うのだ。
そして、この人の感情も恐ろしいと思わせられる。

光の友人。
光には、側にいて欲しい。
側にいる光の中身は、別の”何か”。
側にいたら危険な”何か”。
早くやめないと、自分にも危険が及ぶかもしれない”何か”。
生きていることと死んでいることの差がよく分からないから、正体がバレそうになれば簡単に人を殺めようとする”何か”。

人を殺めたらいけない。
光の友人は、”何か”の入った光にそんなことまで教える。
光の友人も、相互依存なのだろうか。

まだ3冊(3巻まで出ているので)。
3冊で消化しきれないくらい、考えさせられる。
どんな風に終わるのか分からないけれど、10巻以内で終わって欲しい。
読んでいると、様々な意味で苦しくなるのに、人間らしくて面白い。
終わり方が気になる!!!!


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