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⑪TUGUMIー変わらないもの、その大きさ

『TUGUMI』吉本ばなな 5/5

病弱で生意気な美少女つぐみ。彼女と育った海辺の小さな町へ帰省した夏、まだ淡い夜のはじまりに、つぐみと私は、ふるさとの最後のひと夏をともにする少年に出会った―。
少女から大人へと移りゆく季節の、二度とかえらないきらめきを描く、切なく透明な物語
中公文庫『TUGUMI』背表紙

この世で一番好きな作家、吉本ばななさんの小説の中でも個人的ベスト3に入る。

何回も読み返しているけれど、その度に風景や心理描写に「ああいいなあ」と思う。物事に対する捉え方の層が深い。

人の感情には少しずつ種類の違う層があって、普通はその違いが認識できないかうまく言語化できないから全ての層をひとまとめにして、いっしょくたにひとつの言葉で言い表してしまうけれど、TSUGUMIの描写は、その何層にも重なったベールを一枚一枚剥いで、その透き通った繊細さのまま提示してくれる。
だから、ひとつの感情を取っても今までにない程細かい機微が書き込まれているし、海や光や雨の描写もそう。
人のざわめき、四方八方から響く物音を「海鳴りのように遠く近く響いていた」と書ける感性が大好き。

そうやって、ベールの一枚一枚をいっしょにせず丁寧に剥がして取り上げているから、つぐみの芯にある熱くて真っすぐなエネルギーの源泉が純度高く書かれていて、その輝かしさ、危なっかしさに惹きこまれる。「意地悪で口が悪い嫌なやつでありながら、その魅力に惹きつけられざるを得ないキャラクター」というすごく難しい人物描写を見事にやってのけている。


まりあにとっての「海」は、それに対する思いの濃さでは敵わないけれど、私にとっての「川」だと思う。いつでもそこにあって変わらない、圧倒的に大きなもの。いつも目にする風景の一部になっているもの。
地元には隣の市との境界に大きな川が流れていて、高校に通う時や遊びに出かける時はいつもその川を電車で渡っていた。その川が、自分にとっては地元と「それ以外」を隔てる境界で、地元を離れた今では帰省で新幹線のある駅から電車に乗りその川を渡る時に、ようやく帰ってきたことを実感する。

大学があった街も中心部に大きな川が流れていたし、東京に来た今も大きな川まで徒歩圏内の場所に住んでいる。川の上は当然だが何も建物がなく、街中に突如現れるそのぽっかりあいた空間では空が広く感じられる。とめどなく流れる水に映る光を見て、水音を聞いているとふっと心が緩む。
特別に意識したことはなくても、気づけばどの土地にいても川は身近にあった。

自分の生活がどれだけ変わっても、ずっと変わらずに存在し続けてくれる大きなもの。


「この瞬間は後から思い出した時に強烈な懐かしさになるだろう」と実感しながら過ごす時間の、胸がつまる程の幸福と切なさ。
終わってほしくないと強く思いながらも、終わりが来ることは確信していてだからこそ余計に楽しく切なくなる感じ。覚えがある。
まりあが陽子ちゃんと歩くバイト帰りの夜道や、チンピラに海に落とされた犬の権五郎を助けた後の浜での焚火は、まさにそういうシーンだと思った。

あとは、自分がそこから離れても一切変わらず回り続ける大きな流れがあって、一時的に離れて戻ってきてもすぐその流れに溶け込んでいける感じ。大勢の人が一緒に生活していて、常に家のどこかに他者の気配がある賑やかさ。
これはつぐみとまりあの実家である旅館「山本屋」の描写だけれど、ばななさんの短編『あったかくなんかない』の和菓子屋もこの大きな流れについて書きたかったのだろうな、と思う。

これも、大学時代に過ごした寮での生活を思い出す。その寮について先輩が言っていた言葉がある。

ここは川だよ。川が流れ続けるように、常に人が入れ替わっているけれど、全体としては変わらない。入れ替わり立ち代わり住み続ける住人は水の一滴で、その暮らしの歴史が集まって川になっている。

ここにも、川。
まさにこの先輩の言う通りで、寮はその時々の住人によってもちろん雰囲気は変わってきたけれど、大きな意味では変わらなかった。留学で1年離れた後でも、安心して帰ってこられた。

共同キッチンから聞こえる誰かの鼻歌。隣の部屋の掃除の音。部屋まで響く階下のロビーでのどんちゃん騒ぎ。ロビーで食べていたらいつの間にか人が増えていく夜ご飯。机を並べて勉強したテスト前。カウンターでだらだら喋りながら更けていった夜。ヨガをした朝。うたた寝しながら聞いたピアノの音。

他者と暮らす、ということの面倒さと温かさをいっぺんに教え込んでくれた3年半だったと、住んでいた当時から思っていたし今でもそう思う。今年のお正月に遊びに行った時も、まるで同じような生活があの場所で続いていて、それが寂しくて、嬉しかった。これも、自分の生活がどれだけ変わっても、ずっと変わらずに存在し続けてくれる大きなもの、の一つだったんだと、そう思う。


読んでいたら、過去も未来もなく今だけだった子どもの頃の感覚、変わらない毎日がずーっと続いていく感覚を追体験した。
ひたすらに情報を供給し続けるネットがない時代だから、”暇”がきちんと存在していて、ぼーっと景色を見たり、ふと生まれた感情の中に深く潜っていくことが許される。人間としての自然な姿だと思ったし、自分もこうありたいが、どうしても脳は刺激を求め続けて、果てのない情報供給から解放してあげられない。
どうしたらいいんだろうね。

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