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①そして、バトンは渡されたー親子関係と「そして」

『そして、バトンは渡された』瀬尾まいこ 3/5

主人公・優子の高校生活と3人目の父・森宮さんとの共同生活の描写を軸に、2人の母と3人の父との暮らしが始まる経緯とその様子が回想として所々に挟まる構成。

裏表紙には「大人達の都合で次々と親が変わり」って書いてたけど、完全にこれは2人目の母・梨花さんの都合でしかない。でも、その都合も1度めは裕子にピアノを与えるため、2度目は自分の病気で、ってどちらも優子を想っての決断のように見える。

10歳の優子が実の父とブラジルに行くことを選んでたら、2年我慢すれば日本に帰れて、その後家族がころころと変わることもなかったし、梨花さんと日本に残ることを選んだとしても、梨花さんが父からの手紙を隠したり会わせるのを拒んだりしなければ再び3人で生活できたのに、って思うけどそういう恨み言や「たられば」を考えない所に表れる、現実を淡々と受け入れる優子の芯の強さ。実の親であっても手紙が返ってこなければ、もう過去の人として割り切って、今一緒にいる親との時間の方を大切にしようとする潔さ。

ラストシーンでバージンロードを一緒に歩く父親に実父ではなく森宮さんを選んだこと。「私が帰る家はこれからも森宮さんの所だけだよ。」「今までの親は私から去っていったけど森宮さんだけは私の親であり続けてくれた。」架空の親選手権で最下位になることを恐れていた森宮さんにとっては最高に嬉しい言葉やろうし、彼の心情を思うとうるっときて泣いてしまった。

「子どもがいると明日が2つになる。自分の明日と、もっと大きな未来を持った明日が毎日やってくる。」梨花さんの言葉。子どもを持つってこんな感じなんやろうか。この気持ちが分かる時が自分にも来るんやろうか。

『そして父になる』は一緒に過ごした時間<血の繋がりを優先させるラストやったけど、これはその真逆を行く小説。親子関係を描いたこの2作品のどちらにも「そして」の語が入ってる。「それから」でも「こうして」でも「その後」でもなく、「そして」。「こうして」やと、「父になった」り「バトンが渡された」りする前の段階に焦点が当てられてる感じ。「それから」「その後」やと、ある出来事があってその後に急に変化が起こる感じで、映画の中で福山雅治が少しずつ父としての自分を省みる過程にそぐわない。「そして」は長いスパンで物事が変化していく感じ。一朝一夕では築けない親子関係を表現するのにぴったりな言葉。


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