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文字化するというテクノロジー

文章でなら書けるけど、話すのは苦手だ。

noteにも音声で投稿する方法があるけれど、台本なしにいきなり話すのは本当にすごいと思う。

懇談会の「自己紹介を1分で」というのも、ほんとドキドキする。まず、1分ていう、話しながら時間感覚を維持する方法が分からない。

ウェビナーとかでも「お住まいの地域と動機を」とお題があるのに、他の人の話に気を取られ、忘れてしまうことが多い。そしてその後ずっと「住まい言い忘れてごめんなさい…」と心でブツブツ唱えながら参加することになる。

一方、自己紹介を200字で、などの型であれば、そういうことはほとんど起こらない。

「前の人の話」のような新しい情報で上書きされることもないし、自分が既に書いたことは目に入るので、脱線したいたり、おんなじことを2回書けばすぐ分かるからだ。

一方でしゃべりは、自分が言ったことはもう、自分の記憶以外に頼りにできるものがない。

暗闇のなか、手すりのない階段を登っていくような感じがする。

「一寸先は闇」ならぬ、「一寸後は闇」、

「言った言わない」の議論に巻き込まれたら、最後だ。

電気も電波もない、文明に頼りすぎない生活には憧れはあるけれど、

もし文字もメガネもない、文明がない世界に投げ込まれたら、真っ先に消える人間のひとりだということを、つくづく思い出したのだった。

文字よ、ありがとう。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。