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日曜日は、鍋曜日

毎週日曜日は、畑サークルの作業日。

朝9時から午後にかけて、収穫したり、苗を植えたり。

収穫物が多い時期には、共同圃場と自分の圃場、それぞれの恵みが溢れすぎて、帰ってきてからも一仕事になることが多い。

里芋は種芋になりそうなものを籾殻に埋め、傷みそうなものはさっさと蒸して、残りは新聞紙にくるむ。

ハヤトウリは、傷ついたものは早々に浅漬けにして、残りは里芋と以下同文。

八丈豆は日向に干して乾燥させるので、ベランダへ。

そして、葉っぱ類は早急に食べたいので、夕食は鍋物と確定し、足りない材料があれば、買い出しに行く。

日曜日は、もはや人間の方が、野菜によってコントロールされている状態なんだけど、

これは、畑に限らず食材を管理している家庭人はみな、幾分か同じなのではないだろうか。

所有するということは、管理するということだ。

でも、管理するということは、実は、そんなに主体的な行為じゃなくて、所有されるものの方から支配されることでもあるわけで。

野菜に支配されて今日も、ひたすら手を動かしている。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。