燃える「夏休みの親は大変だ」論争
最近X化した某所を散歩していると、
なんか、子どもが夏休みになると給食がなくなって大変だ、どこかに連れて行かなきゃいけなくて大変だ、子どもの宿題のケアが大変だ、
と親の悲鳴と、「じゃあ子どもなんか産むなよ」というヤジがセットでコメントされる様に遭遇する。
燃えたいわけでも、燃やしたいわけでもないから、外野でこっそり書くけど、
これ、「自分のしてあげたい水準のケア」が自分のキャパでできる限界を超えていて、でもなんとかできる限りのことをしてあげたくて「大変」なんだよ。
子どものせいで自分のクオリティライフが侵害されている=子どもが邪魔
なーんて、話じゃない。
コメントしている人は、「だから自分は子どもはいらない」と選択している、すなわち真っ当であるということを示したいのかもしれない。
それはその通り、真っ当に生きていらっしゃると思う。
ただ、こちらもまた、自分の選択した道を、出来る限りまっとうしようとしている。
夏休みは、その限界にアタックする季節。
だれだって、自分の選んだ道の限界に挑戦するシーズンはあると思うけど、親になる道を選んだ人にとって、それが夏なのだ。
自分の持てる財力と時間、精神的リソースを、子どもから、あるいは自分の内側から聞こえて来る「よそんちいいなあ」「みんな行ってる」「なんでうちだけ」のジャブをかわしながら、「うちの夏休み」を汗だくで生き抜く。
宮崎駿だって名作を「めんどくさい」と言いながら作る。
わたしたちも、「大変だ」と言いながらはたらく。
それだけのこと。
お互い、後悔なんかしていないはずだ。
今の瞬間していたとしても、それもまた旅路の味わいのひとつ。
燃やすなら ネットの言の葉より、己の夏。
お互い、それぞれの夏を、ガンガンいこうぜ。
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。