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母の日の大発明。

昨日は撮影の仕事だった。

帰り道、雨が降り始めたので機材を濡らす前に帰ろうと急いだら、

「5時半までは帰ってこないで!」

と子どもたちからのLINE。

ハテナ?

いつもは早く帰ってきて欲しがるのに変なのと思いつつ、時間を潰そうと乗り換え駅で店に入ったら、花屋の前に行列ができていた。

行列の向こうには、赤い花がたくさん陳列されているのが、チラチラと覗いている。

ああ!今日は母の日か!

すっかり忘れていたことに気づき、気づくんじゃなかったとちょっと後悔しながら、これで知らんぷりしつつ、うっかりがっかりな反応をしないよう心の準備ができるな…

って、もしも、ただバレたくない遊びでなにかやらかしたのを、片付けるのに待ってほしいというだけだったら、完全にぬか喜びになる…

と、期待を押し殺し、想定外のショックを想定の範囲内に収めた。

ダイソーで先日買い忘れた単四電池を買って帰ったら、ちょうど5時半。

ピンポンすると、

「おかえりなさいませ〜!わたくし、執事のアレクサンドルスと、メイドのアイでございます!」

折り紙のちょび髭と髪飾りで着飾った子どもたちに出迎えられた。

そして、回転椅子に座らされると、後ろから押されてリビングに移動、ぬいぐるみが並べられたテーブルへゴール。

「母の日、おめでとうございま〜す!」

と、子どもたちが作ったという料理の数々と紅茶が運ばれ、手紙を手渡されたのだった。

なんと、なんとも…。

テーブルの上には、お昼に食べるようにと置いて行った食パンと、朝食べようか迷って最後の一個だからとやめた卵を使った料理が並ぶ。

食パンを、

ちぎって、コップに詰めたもの。

型抜きして小さなサンドウィッチにしてお皿に散りばめたもの。

小さく切って輪切りにしたソーセージと一緒に炒めたもの。

食パン尽くしの皿がいくつも出てくるかと思えば、

「これね、オムライスにしようと思ったら、ただの炒り卵になっちゃったから中に隠したの。『さかさオムライス』でーす」

ケチャップライスのなかに煎り卵を隠した、あたらしいコンセプトのオムライスが現れ、

「パイのみを二つ並べた、おっぱいでーす」

「こちらは、ずっと冷蔵庫にあったものに、冷蔵庫に落ちていたものを乗っけましたー。毒味はしてあるので大丈夫でーす」

と料理の枠を超えたメニューが並んだ。

お手紙には、有効期限一年の、

かたたたきけん、マッサージけん、1日ケンカしないけん、しゃしんとるけん、サロンけん、ごはんつくるけんがついていて、

「何回でも使えまーす!」

「1日ケンカしないけんも?」

「…それは、毎日は困りまーす!」

「しゃしんとるけんはどういう券なの?」

「おかあさんの、しゃしんをとってあげまーす!」

「サロンけん、って何?」

「メイクと髪の毛をしてあげまーす!」

どこかパルプンテ感がただよう券も混じっている、伝統的なかたたたきけんに止まらない、バライティ豊かな券の数々を受け取ったのだった。




13年目の母の日。

こんなふうに、あるもので遊びながら暮らす。

で、

さかさオムライスとか、1日ケンカしないけんとか、

偶然、あたらしいものをつくっちゃう。

うちの文化が結晶したようなおもてなしを受けて、

「子どもは親が言ったことはやらない、親がやっていることをやる」

っていう、いつもは耳が痛い教訓を、ほとんどはじめて、うれしい意味で思い知った。

遊びと偶然が生み出す、思わぬ発明。

それは、もうどこかにあるかもしれないけれど、失敗から転じて「自分でひらめいた」ってところが一番大事で、

だから、わたしはこれがもう、どこかにあったかどうかググらないで、子どもたちの大発明として、大事に贈り物として受け取っておこうと思う。

文化の境界が解けて、どんどん世界はなめらかになるけれど、

2023年5月14日 長女が、さかさオムライスを発明する
        および、はじめて1日けんかしないけんが発行される

家族の歴史として刻んで、

20年後くらいに、「たかはし家の歴史検定」とか作って、一緒に遊びたい。

母の日に、おめでとう。
母の日を、ありがとう。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。