黒魔術とわたりあう覚悟
写真を通した社会とのつながり方を、新しくしようと準備している。
自分が何を提供できるかを、SNSなどインターネットを通じて自分の取り組みをまず認知してもらう一歩を踏み出すためのあれやこれやを考えている。
この、ネットを通したPR施策は長女が小学生に上がった頃にも一回試みていたことがある。
そのときは、ありとあらゆる情報ソースを収集して、嫌悪感を必死で無視しながら、まずは黙ってやってみなはれと片っ端から試していた。
「ネガティブ感情を刺激せよ」から
「相手に脳を働かせる隙を与えるな」みたいな、
もはや黒魔術にしか見えない不都合なマーケティング手法の真実への嘔吐感もいったん飲み込んで、
本業とはつなげないアカウントも作ってキャラ付けしてTwitterやインスタ、ブログで、いろいろ実験していた。
結果、たしかに反応もあるし、それなりに伸びもしたんだけど、そのどれもが「まずは100投稿」まで続けることができなかった。
法に触れるようなことはしてないし、誹謗中傷や炎上商法にも手を染めていない。
それでも、自分で自分を奴隷に貶めているというか、地獄への通じる穴を掘っているというか。
とにかく「今の流行り」を、「感情を揺さぶる」言葉で、「先を見ずにはいられない」構成で、「とりあえず100個投稿できる程度の」でまとめるのは、苦痛でしかなかった。
与えられた仕事をしているよりずっと、人間でなくなったような気がして、しんどかった。
自分の体験、本当に共感することを、少なくともその瞬間の自分には違和感が感じないような表現に仕上げることは、片手間にできることじゃない。
写真アカウントの意地もあってか自前の写真を使おうとしてたこともあり、毎日投稿どころか、いろいろ重すぎて続かなかった。
でも。
でもですよ。
やっぱりね。
この黒魔術飛び交うバトルフィールドから逃げて、せっかくの娑婆を味わい尽くせるか!っていう、つまらぬ根性みたいなものもあって。
「とりあえず投稿」でもない、「自分が本当に表現したいこと」でもない、
別の軸でもう一度チャレンジしてみたいと思っている。
アカウントを新たに作るのか、ガラリとリフォームするのか、まだ決めなきゃいけないことはたくさんあるけれど、
家族を養いつつ、持続可能に社会とのつながる道へのゲートをひらいていこうと、ふつふつと感じている。
自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。