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ある病者の祈りの言葉

こんにちわ 佐倉です。
近頃、放置していたアメブロに日常の些細なことを、普段の私の言葉で書くようになりました。
日記のようなものですが、始めると面白いです。
飽きるのが早いので、いつまで続くかな〜と今から思ってたりします。

さて、こちらでは少し真面目に精神の世界、私たちの内側の世界についてお伝えしてまいります。

私たちは二つの世界を生きています。
一つは外側の世界。
私たちが現実と呼び、問題を抱えながらなんとか生き延びている世界です。
そしてもう一つが内側の世界。
表に出ない感情や思考を含んだ、精神的な世界のことです。

自分を取り囲む世界はこのように二つあるのだと認識することって、実はともて、とても、とても大事です。
なぜなら、私たちが生まれた理由を知るためには、この世界観が必須だからです。
もちろん興味がない人もいてはるし、それはそれでそういう世界を今回は選んだんやなと言うだけのことで、いいも悪いもありません。

さてさて
この二つの世界をまとめていくのが「本当の私」と言われる「第三の目」なんですが、この説明は本一冊分くらいの情報がいるので(だから本を書いたんだった)ぼちぼちお伝えすることにして。

今日はその第三の目で世界を見るための方法の一つとして、有名な祈りをご紹介したいと思います。 

この祈りは、自分は「本当の自分じゃない」と言うことを理解し、この世を生きるための全ては「自分」ではない存在が用意していくれているという謙虚さを表現したものです。

私たちが求めている幸せというものはなんなのか。とかね。

なんだかよくわかんなくても
口に出して、または頭の中で読み込んでいくと、この祈りの持つ力というかエネルギーみたいなもので「ハッ」と気づくことが出てくるだろうと思います。

この祈りは、ニューヨーク大学のリハビリセンターの壁に、一人の患者がき残した歌だと紹介されています。


ある病者の祈りの言葉

大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと求めたのに
謙虚さを学ぶようにと弱さを授かった

偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
思いやりを持てるようにと
病弱さを与えられた

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった

賞賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった

人生を楽しもうと
たくさんのものを求めたのに
人生をよく味わうようにと
平凡な人生を与えられた

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いは全て聞き届けられた

私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されていたのだ


ありがとうございます。


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