8回目 玲ちゃんがさくみみで発した言葉の裏側

玲ちゃんがさくみみで発した言葉の裏側

#28 さくみみの土生ちゃんとのやり取りの中で玲ちゃんが言った「平和」への思いを聞いて涙がこぼれた。

ブログで「昔いじめに遭って居てエキセントリックで救われた」と見た時に興味が湧いて検索したら出身地は鹿児島。ネットで書かれてる事が本当なら鹿屋市らしい。

「鹿屋ってなんか聞いた事あるな……。(20分位後に) あ、あの鹿屋市?」ってなった。
十数年ぶりに靖国神社の資料館に行った時の事を思い出した。

鹿屋市には第二次世界大戦の当時に鹿屋海軍航空基地という所が有って、その基地が最も多く特攻隊員を送り出した場所だった。
それを知るきっかけは、幼い頃から飛行機が好きだった自分を小学6年生の時に日帰り家族旅行で靖国神社の資料館に連れて行ってくれた時だ。

特攻隊の母と呼ばれた「鳥濱トメ」さんの写真を中心にして、その両隣に沢山の特攻隊の白黒の写真が有ったのを覚えてる。自分より少し年上の16歳から18歳位の人が飛行機に乗って死んでいった事を目の前にして衝撃だった。学校で習う事以上の現実がそこに有り、いろんな事を考えた。

その当時、友達に戦争の話をしても「よく分からない」とか「ふーん。そうなんだ」という反応だったから話すのをやめた。

まぁ友達からしたら、まさに変わり者(エキセントリック)だったと思う。
でも、もっと良く知りたくて図書館とか行ったり、毎年8月になると戦争の事がテレビで放送するから好奇心で見ていた。
その番組を祖父母と同居だったので一緒に見ている事が多く当時の話を祖父母から聞かされた。
祖父はその後認知症になるが戦争の話をすると正常に戻り、話が終わると元に戻るという事が何度も有った。

その位戦争の事は祖父の中で大きかったのだと思う。

祖父を天国に見送って10年後の去年の8月
祖母といつものように戦争の番組を見ていた時に「国防婦人会」の象徴の白割烹着で、千人針を縫ったという話を聞いた。その会話の中をする中で自分が小学生の頃から聞いていた祖母の兄の話になった。

祖母の兄は戦闘機のパイロットになる為に志願して戦地へ行ったが肺活量が足りず整備士になった話を聞いていた。その祖母との会話の途中、配属先を知らない事に気づく。祖母に尋ねると「鹿児島だ」という。もしかして鹿屋かと聞くと「そうだよ」という答えが返って来た。

櫻坂のメンバーと一度も話した事のない祖母の兄が繋がった瞬間だった。祖母の兄は整備士になるも肺結核になり19歳になる前に亡くなってしまっていたから。

繋がった瞬間に「あの子が有名になる事で平和に近づくのかな」と「だから世の中に出てきたのかな」とふと思った。

大園玲推しには特攻隊の基地が有ったって事を知っていて欲しいような…。

でもこっちの勝手な思いを大園玲推しに背負わせるのも…。って気持ちもある。

でも、伝えていかないと世代が越えられないのも事実。って思いつつ書いたこの文章は半年以上寝かせてたりする。前記の葛藤の為に。2月頃にUPするつもりだったんだけど、ねぇ…。


その戦争の話をした4ヵ月後、祖母は92歳の生涯を閉じた。だから亡くなる前に鹿屋の話をできた事は本当に良かったと思う。

祖母が認知症にならずに生涯を閉じた事と、欅坂にハマった事はもしかしたら世代を越えさせるという事だったのかなと。

戦争を伝えていく事にはいろんな切り口が有っても良いんじゃないかとおもって初盆前にまとめてみようかと思いここに書く。


終戦記念日だか敗戦記念日だがどちらが正しいかは判らないが


8月15日は祖母の誕生日である。