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イベンター歴15年の話

instagramに20代前半に知り合った友人から連絡があった。もう連絡とらなくなって何年になるんだろう。

当時わたしはバンドを組んでいたこともあって(すぐに解散したんだけどw)新宿のボイトレスクールに通っていたの。そのスクールは毎年全国の教室から代表のボーカルとグループが出て、渋谷のO-EASTで音楽祭をやっていて、新宿はグループレッスンがなかったからということで私が通っていた年に新設された。

私はゴスペルをやっていたこともあって、グループレッスンに入ったの。そのグループレッスンを受けもっていた先生が私の個人練習の先生だったんだけど、「くにえちゃんリーダーね」みたいな感じで私はリーダーに決まったんじゃなかったかなw

それで音楽祭に向けての練習がはじまった。総勢20名くらいのメンバーで、パートは3つだったかな?ドリカムの「きみにしか聞こえない」をやったような・・・。だよね?(誰に聞くw)

一番はじっこの若かりしわたしw歌はそんなにうまくないけどまとめ役。人生そんなんばっかしw

音楽祭は無事に終わって、あまりに楽しかったのでグループは存続。ただしボイトレスクールからは飛び出して、生徒じゃない人もジョインしていき、入れ替わりはあったものの、合唱グループとして独立した。

『Pastel Smile』という名前のグループで活動。

晴れて部長となった私は、変態副部長に妖怪部長と言われながらも、毎月ライブを企画したり、他の企画のライブに出てみたり、部員の喧嘩の仲裁にはいってみたり・・・(トランスジェンダーの方も多くてですね、鍛えられましたわ)ゲイバーいったり(関係ないけどw)

何年か務めた後、私はイベンターに転身するために部長を卒業したのです。

その卒業公演は、2部制でね。1部は歌、2部は芝居。歌の振り付けもセットリストもみんなで考えて、お芝居も脚本も主題歌も全部オリジナル!芝居経験者もいたので、助かりましたw

当日まで何か月練習したんだろう・・・。

その間にメンバーの中の人と付き合いだし、出向で上海にいって遠距離恋愛になり、行く前にプロポーズされて、遠距離恋愛中に婚約消滅した・・・w

そんなこともありながら。きつかったけど練習あって助かったw

私は卒業するから最後だけどみんなにたくさん楽しんでほしくて私なりに厳しいこともいいながらもいっつも考えたりひとりになってから怒り吐き出し(結果にじみ出てて怖かったと思うけどw)たりしながら、泣いて笑って、奮闘。

最後にみんなにアルバム作って。

最後の舞台なんて客席泣いてくれて。主題歌も超いい曲で。ちょっともう歌えないけどwwww

最高!!

だけど、卒業してから「くにえちゃんが強引で、やりたくないっていう人もいたのに無理やりやってるって話しがあったよ」なんてことを聞いてしまって・・・。

言えない空気作ってたんだろうなぁ。独り相撲だったのかなぁ。みんなの笑顔は嘘だったのかなぁ。なんだったんだろうなぁ。

なんて私はずっとずっと落ち込んだ。

光を当てるだけじゃ、ダメなんだよね。なんて思って。

リーダーでいることが怖くなって私は辞めたの。イベントチームも事実上解散し、私一人でイベント切り盛りして、結果、体力続かなくて。

気づいたら30歳をすぎてて、思った。

私も光に当たりたい。私だって輝いていたい。

そんな想いを胸に抱えながら、自分の内観をし続けました。そして9年。私は今また、人に光を当てる仕事をしています。強引な方法ではなく。そして影の部分も大切にしながら。

キャラコンテンツとか、マジョアカデミーとか、やり方はちょっと変なんだけどwww

私は光が当たること、影を無視してはいけないこと、そして光の当て方が人により違うことも知ってるから。

今度はもっと寄り添っていきたい。

そして、私も輝いていきたいって。そう思うんです。

あの時、私に「強引でやだった」と言ってくれたメンバーに感謝してます。あそこでへし折ってくれたから、今がある。

今日連絡のあった昔の友人は、「くにえちゃんの楽しいことが大好きっていいうところは変わってないね!」と言ってくれました。そんなことが残っていてくれて本当に嬉しい。

さあ明日も私はお客様に光を当てていきます。影も愛しながら。

くにえ

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