見出し画像

作家の頭の中をのぞいてみよう(1):輝井永澄先生

 ごきげんよう、梧桐です(クマ)。サブリミナル効果を狙ってみました。

 このマガジンでは作家の皆さんにお話しを伺い、これから作家デビューを目指す方の参考になるような記事を書いていきます。どうぞよろしくお願いします。

第1回:『空手バカ異世界』作者 輝井永澄先生 


――みなさんどうもこんばんは。作家さんへの連続インタビュー企画、今回は輝井永澄先生に来ていただきました。みなさんご存じ「空手バカ異世界」の作者です。

――こんばんは、よろしくお願いいたします。

輝井永澄先生(以下、輝井):よろしくお願いします。

――まず、空手家としても知られる輝井先生は、異世界に転移したときの実体験をラノベとするという異色の作家デビューを遂げたわけですが。

輝井:あの?

――まずは転移の際の苦労話や工夫、そして空手を極める方法について、のような感じで進めたいと思います。

輝井:あの???

■少年時代と小説への出会い

――ではまず、小説との出会いと作家になりたいと思っていたあたりの話をお願いします。

輝井:そうですね。もともと、若いころ、実は本ってそんなに読んでなかったんですよね。まあ読まないわけじゃなかったんですけど、僕は1979年生まれで、中学校の頃は『ロードス島戦記』とか『銀河英雄伝説』が好きで、高校になってからは海外SFを読んでた感じですね。

――そうなんですね。私の印象としては輝井先生が好きなのは海外SFとかのイメージでしたね。高校のころ読んでいたという話が先ほど出ましたが、どんなタイプのものでしょうか。

輝井:いやもう、典型的な作品ばかりですよ。アシモフ、ディック、兄がSFファンで、本棚から借りて読んでました。

 ただそのくらいで、本にはそんな執着なくて、どっちかっていうとゲームと音楽が好きだったった感じでした。作家に対するあこがれってそんなになかったんで、学生時代からそんなに書いていたわけじゃありませんでした。
他とちょっと違う点というと、周りの中ではめずらしくパソコンがあった家で、それでプログラムでゲームや音楽作って、たまに小説も書いたりしてました。

 家にパソコンがあったオタクがクラスにたまにいた時代じゃないですか。その一人でして、それで、オタク仲間とあつまって同人誌作ってみようぜってやったりしてました。そういうコミュニティの中心にいたかな、というのは感じています。

――同人誌ですか。作っていたのは二次創作ですか、オリジナルですか?

輝井:オリジナルです。あとTRPGとかやってたから。ファンタジーとかリプレイとか作ってました。『ソードワールド』とか『ガープス』とか、当時流行だったものを使って。ほかにもTRPGのルール書いたり。それをやるのが当たり前な毎日でしたね。

――書いていたジャンルとしてはどんなものでしたか。

輝井:ミステリーとかでした。宮部みゆきとかが流行ってた時代ですからね。ただ、その頃はジャンルの縛りって明確じゃなかったじゃないですか。ファンタジーとかも他のジャンルとあまり境目がなかったと思いますね。

■作家になろうと思ったきっかけ

――作家になろうとはっきり思ったのはどんな時でしたか?

輝井:タイミングは大きく分けて3回でした。最初のタイミングが24歳くらいの、大学を卒業したころだったんですが、就職活動を黙殺してキャラクターショーで着ぐるみの中の人の仕事をしていたんです。それで今後何をしようかなと思っていました。

 その時はすぐに小説書こうとはならなかったんですけど、友達の教員とフリーターと3人でファミレスで話していた時に、自分たちの話を小説にしてみようという話になって、ふと、おもしろそうだなと思ったんですね。SFが好きだったから、地方都市で教師、フリーター、宇宙人、っていう設定を思いついて。それをいつかはと思ってました。まあその話は結局書かなかったんですけど。

――書かなかったんだ(笑)

輝井:まあ、結果としてはね(笑) 

 でもそれが最初に思い立った時だったんです。そこからいろいろあって、東京に来てゲーム会社に入って28歳くらいになった時が2回目のタイミングでした。梧桐さん、小松左京さんはご存じでしょう。

――あー『日本沈没』の。当時は星新一や筒井康隆と「SF御三家」と呼ばれてましたね。

輝井:はい。その小松左京さんが2011年に亡くなりまして。そっかあ。じゃあ小説書こう。と思いました。

――え?(笑)

輝井:はい(笑)

――まってまって、いますごい飛躍があったように聞こえたんだけど(笑)

輝井:いやそう見えるかもしれないけど、そこが重要だったんですよ!

ここから先は

7,113字

¥ 100

クマを素手で倒すためにサポートをお願いします。