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映画初体験から月日は過ぎて

 昔から映画ばかり観てきた。父が映画好きだったので完全に彼の影響だ。初めて連れて行かれた映画は確か『スター・ウォーズ帝国の逆襲』だったと思う。当時小学低学年の私は人形で遊んだり外で走り回ったりしていたのだが、そんな子供にいきなり外国の字幕SF映画だ。少し無理がある。一体父は何を考えていたのだろうか。字幕が読めず外国語なので意味もわからなく、途中で出たいと駄々をこね「なんだよ?こんな面白いのに」と言われた記憶がうっすらある。とにかく記憶が曖昧であまり覚えていないが、大きな画面に砂漠と宇宙船が写っていたのと、映画館を出た時の眩しい太陽を覚えている。その次に観た映画は『ゴジラ』だ。こちらは日本語だったので意味がわかった。映画館の左後ろの方の席で、なぜか肩車をしてもらって観ていたと言う記憶なのだが、そんなことあるだろうか。しかし上映年代を調べてみると確かに時系列があっている。…とこれを書いている最中、偶然飲み屋で「昔は映画を立ち見で観たりした」と話している人がいて、アッ!と思い出したのだが、人が多すぎて立ち見なので画面を見るために肩車をしてもらったのだった。他人の記憶、ありがたい。とまぁ少し話しがずれたが、2度目の映画の時点では俳優の大きな顔やゴジラや音楽に胸躍らせて観ていたと覚えている。父の蒔いた種は少し芽吹いていた。

 父は映画好きが高じて、田舎で自主映画上映をしていた。映画グループ《シネマ鴉》の仲間を集め、上映する映画を決め、チケットやポスターも自分たちでデザインし「フェイド・イン」と言う名の映画批評小冊子を自主販売までしていた。この話はまた別途詳しく書く予定だが、当時にしてはこのグループはかなりマニアックであった。しかし、そんなわけで、好き嫌いに関わらずしょっ中グループの人達が家へ来て次回作やチケットデザインの話などしているのを見聞きしていたので、映画は私にとってかなり身近なものだったのだ。中学になる頃にはハリウッド映画に夢中で、透明下敷きの間に「スクリーン」や「ロードショー」といった映画雑誌の切り抜きを入れて喜んだり、映画館へ3本立てを観に通ったりしていた。その頃父はと言えば、お?娘が映画に興味を示しているではないか、と言わんばかりに、これを見よ!と白黒の黒澤映画や内田吐夢に野村芳太郎など、ハリウッドキャッキャの中学生から見たら相当渋い映画を勧めてくるのであった。当時は本当に楽しめるのか半信半疑、渋々黒澤映画を観ていたのであるが、知らぬ間に後ろにいる父が「少女が布団から起き上がると彼女の瞳に光が当たるから見てるんだぞ?」だの「ハイドンの音楽に合わせて彼女が動くところが凄い」だの「歩いている人を上からカメラで撮るこの構図がカッコいいんだ。どうやって撮っていると思う?」だの「ここで侍が通り過ぎると、はいっ!人物の位置からこの映像に切り替わるのだ、スゲェだろ?」など逐一言うので「うるさい、あっち行って!」と怒っていた。今となっては完全にそのせいで、全てを吸収してしまう中学から大学生時代に沢山の良い映画を(時には解説付きで)観ることになり、今ではどっぷり映画好きになってしまったのである。余談であるが、高校時代、父と弟と映画館へ『七人の侍』(特別上映)を観に行ったことがある。そこで侍が農民を怒るシーンがあるのだが、それが全く父の叱り方と同じだったので、弟と顔を見合わせ、なんてふざけた父親だ!ものすごく怖かったんだ!と腹を立ててたら、父がイヒヒヒと笑っていたことがあった。これもある意味日常生活に知らず知らずのうちに入りこんでいた映画エピソードである。

 私は1997年からパリに留学していたのだが、留学1年目、遠い国のインターネットもない時代の慰みといえば映画であった。幸運なことに滞在していた家のすぐ近くに毎晩作品が変わるミニシアターがあり、また1本の値段が安いので週に3日は通っていたと思う。当時はあいさつとありがとう、ウイ、ノン、数字、くらいしかフランス語が話せなかったので、フランス映画や異国映画を観ても内容は映像からしかわからなかったのだが、クストリッツァ監督の地下に住む人々や飛ぶ花嫁、カラックス監督のポンヌフの恋人たちと蝋燭で見るルーブルの絵画、花火のシーンなどで胸がいっぱいになったりしていた。また、映画を見る人々というのには国境がなく、同じ気持ちの人たちが集まっているように感じ、外国暮らしの寂しさも紛れたのであった。

 そんなこんなで月日は流れ、日本へ戻って14年目、パリ滞在くらいの年月が過ぎた。私と言えば相変わらず映画を観ている。パリでは映画が安く、気楽に映画館へ行っていたが、日本の田舎へ帰りしばらくすると最後の映画館が潰れ、今では2時間かけて隣県まで出かけ、時間的にも物質的にもコストをかけて映画鑑賞する羽目になった。そのせいなのか映画感想がやや辛口になった気もするし、好きな監督やよほど気になるものしか行かなくなった。しかし、小さい頃に刷り込まれた「映画は総合芸術」の洗脳はなかなか解けそうにないし、やはり映画を観るだけでこことは違うどこかへ連れて行かれる感じが大好きだし、真っ暗に一本光が差してくるとワクワクする。それに寂しくなったって、映画館へ行けば映画好き達が座っており、孤独になりようがない。映画を好きで良かった。これからも映画はやめられないだろう。これが今の私の現状だ。そんなわけで最近は父に感謝である。




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