日常会話について

2024/06/04
突然だが私は、日常会話(以下、会話)が苦手だ。
というより、正直しないならしないで一向にかまわないと思っている。
議論・ディスカッションなら割と好きな方なのだが、会話となるとどうすればいいのかわからなくなる。
ただ、他の人と関わるうえで日常会話はやはり避けては通れないものでもある。そこで、自分なりの会話への立ち向かい方を考えてみようと思い、今パソコンを打っている。

まずそもそもなぜ私が会話を苦手としているのか、解明していきたい。
まあ、うすうす感じていると思うが、私は友達がそれほど多くはない。定期的に連絡を取り合っている仲の人なんて、もしかしたら片手で数えられるほどであろう。そのためそもそも経験が少ない、と言うのも一つ上げられるところだと思う。この経験が少ない自分がどうにかこうにか会話への耐性を付けるためにどうするかを考えるのが、このページの目的だ。
それ以外でパッと思いつくところだと、自分の話を聞いて誰が得するのか、という意識かもしれない。自分が誰かの話を聞いたとき、何か感心したり、なるほどと思ったりするときも多々あるが、それを聞いてどうするの、と思うときも少なからず存在する。
例えば友達と休日何をするのか、について話をするとして、「ヨーロッパに旅行に行くんだ。」と言われたときは、話を広げやすいだろう。「どこに行くの」「お金かかるよね」「僕も行きたいな」みたいな。ただそれを聞いてなんだというのだ。最終的な帰結・要約としては「いいね!」だろう。何も得ることがない。(そしてたいていの場合、次の日になったらほとんど覚えていない。)もしかしたら話す人がヨーロッパに対し並々ならぬ熱意を持っていて、ヨーロッパの歴史について話し始めるかもしれない。その時は確かに新たな知識を得られ有益だろう。しかし一般的に会話とはそういうものではない。「いいね!」で終わることが、私の経験上ほとんどである。そう感じることが多々あるので、自分から話すということに対しても「だから何だというのだ」という意識が働いて話せなくなってしまう。

こう考えてみると、何も「目的・意義」がないところが、私が会話を苦手としている理由なのかもしれない。議論には解決すべき課題があり、目的がある。しかし会話の最終的な「目的」とは何だろうか。最後には目的など考えない方が良い、と言う話もするが、今はまじめに会話の目的について考えていきたい。

一般的に聞くところだと、「相手を知ること」だろうか。確かに相手を知ることは有益だ。自分とは違う視点を持っているので、それを理解することは自分の世界を広げる一つになる。であるならば、相手に聞く質問は「相手の経験・経歴」と「その意義・理由」だろうか。初対面ならそれで良い。「貴方は今まで何をしてきて、どんな経験を積み、何を考え、今私の目の前にいるのか」それを聞くことで得られるものは、年長者であればあるほど有益だ。そして(あまり気は乗らないが)自分のことを話すことで、信頼だったり心理的距離を縮めることができるのだと考える。

余談だが、「聴くこと」についての本を開くと、「基本的に人間は話したがる生き物なので、遮らずに聞いてあげましょう」みたいなことを書いている本が多くあるように思える。正直私は自分の話はできる限りしたくない。それは会話だけでなく議論においても同じで、「聴くこと」に専念していたい人種だ。だから自分が話すことを強制される会話が苦手だ。

さて、初対面の人との会話における「目的」は理解できた。だが2回目は?10回目は?1回目で全部聞けなかったとしても、会話と言うのはそういうものだけではないだろう。例えば先に挙げた「ヨーロッパ旅行」の話では、どうだろうか。「相手を知る」という観点だけを目的と考えると、「相手はヨーロッパが好きなのだな」とか「歴史的な建造物が好きなのだな」ということを知れたところで、終わってしまう(少々強引で浅いかもしれないが)。ここでの目的は何に設定すればよいのだろう。

これがわからないから、私は会話が苦手なのだ。この答えは、未来の自分に託すことにしよう。

最後に少し前に読んだ本の内容と関連付けて、会話をとらえてみる。「センスの哲学」という本だ。
ここでは、誤解を恐れずに言うと「センスとはリズムだ」という話から始まり、「日常生活にあふれるすべてを、リズムとしてとらえ、そのリズムを楽しむこと」を提案している。そこで中心に位置する概念は「脱意味化」である。絵や音楽、文章の意味を考えるのではなく、そこから脱してそれをそのままリズムとしてとらえ楽しむ。これは会話でも同じことなのかもしれない。つまり、話している内容が大事なのではなく、会話のリズムをただ純粋に楽しむ。あえて目的と言う言葉を使うならば、会話の目的は「楽しむこと」だ。それも意味もなく。
相手が話し、自分が話し、少し誰も話さない時間が過ぎて、ふと思い出し可のように自分が話し出す。そこに意味も理由もなく、ただリズムがあるだけ。そう考えると、会話の「壁」が少し低くなったように感じる。
ただ注意したいのは、相手がそれを目的としない場合、脈絡のないことを話す変な奴に見られてしまうことだ。

これは誰かに向けたもの、誰かに読ませるために書いているわけではない。
誰かに共感してほしいとも思っていない。
異論も反論も認める。
これはただの自己満足にすぎない。
自分が考えを整理するためのメモ帳だ。
そのことは留意してほしい。

以上。

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