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006 外国語学習履歴-高校時代

 進んだ高校は公立でそこそこの進学校。当時の偏差値にして65近く。ひとまず順調に勉強に励み始めたようにみえたが、まもなく部活動が始まり私は演劇部に入部した。演劇部は私の入学前にすでに今度の夏休みに予定されている大きな演劇フェスの出場権を獲っており、入部したと同時になかなかハードなトレーニングやら稽古やらが続いた。土日ももちろん部活漬け。毎日全力で部活に取り組んで、帰宅したら朝までバタンキュー。入学してまもなく勉強は二の次となった。秋からは地区大会。そのまま、都大会、関東大会、果ては全国大会へとコマを進める程の実力を備えることとなり、ますます部活一本の高校生活が続くことになる。
 他の部活は土日はほぼ活動がなく、基本的には「我が校はあくまでも勉強が本分」という姿勢が学校全体にはあった。そのため、中には土日も含めて夜遅くまで活動する演劇部を疎ましく思っている教師もいた。教師間で問題視されたこともあったようで顧問の先生は苦労したと思われる。しかし、それと分かれば、それに反発するように我々はさらに部活動に邁進した。3年生になって周りが受験に本腰を入れていた時期も、部活バカのようになっていた私は担任からこっぴどく叱られた。

 以上のようなことは「言い訳」でしかないことは勿論承知している。部活動に励みながら現役合格していった者も多かったのも事実で、勉強をしなかった自分が一方的に悪い。しかし、そのことを棚上げにして敢えて高校時の英語学習に絞って振り返りたい。

 1年生の英語の授業は「文法」「読解(リーダー)」「オーラルコミュニケーション」に分かれ、それぞれ担当教員も分かれていた。その中でも文法を専用にやる時間は1年時のみでこの先を考えても重要な授業である。

 中学時の英文法は基本的に「1表現に1対訳」で乗り切れるものがほとんどだったが、高校となるとそうはいかない。例えば、仮定法やら過去完了やら日本語に通常存在しない時制の概念を理解しなければならないし、それが決まった対訳に現れるわけではない。そもそも日本語にない概念なのだから決まった対訳など存在するはずもない。概念を理解して、そこから状況に合わせた日本語を探し出して訳す必要があり、その作業は慣れるまで結構な気力を要することだ。
 ちなみに、自分も後に首都圏最難関高校を受験する中学生に対して高校レベルの文法を教えることになったが、先ずはとにかく概念の理解を丁寧に促すことにかなり意を砕いた記憶がある。と同時に、決まった訳し方など存在しないことを耳にタコができるほどに言ってきた。英語が苦手な生徒はとにかく「日本語に訳す」ことで安心感を得ようとするので、決まった訳し方がないとなると一気に不安に陥る。そこを教える側が分かっていることが重要だ。そんな彼ら彼女らに根気よく付き合ってこの不安を解消するよう努める必要があったし、これに対して生徒はよく付いてきてくれた。

 以上のようなことを高校の英文法担当の教員はまったく言わなかった。言ったとしても理解できるレベルではなかったはずだ。少なくとも私の記憶には全くない。この教員は当時3年生の担任でおそらく自分のクラスの進学指導で手一杯だったのかもしれないし、今でいう主幹教諭の役割を持つ人物でもあったので学校運営の補佐もしていたはずだ。とにかくあの当時でも、1年生の授業はおまけでこなしているようにしか思えなかった。
 ある項目では板書をしてそれをノートに取らせたかと思えば、次の授業では教科書に直接書き込みをさせたり、はたまたまったくメモすらなく話を聞いているだけのこともあった。授業の進め方に一貫性のかけらもなかった。私は大いに混乱し、それが読解の授業にも大きく響いた。できる生徒は頑張って理解したのだろうけど、私には無理だった。英語の成績はみるみるうちに落ちていき、入学して半年後英語は苦手科目となった。

 部活動がハードだったことも言い訳にしながら、英語だけでなく他の科目の成績も落ちていくなか、3年生になってとある塾からの塾生応募の手紙が届いた。今はもうないようだが、偏差値の高い高校の生徒のみを対象とした小さな塾で、東京・埼玉南部を中心に生徒が集まっていた。どこを受験しようが絶対に英語はある。英語の成績を上げなければいけない。藁にもすがる思いでその塾に入塾したが、どうやら私の学力はその塾の授業についていけるほどのものでもなかったようで、自ら希望して通ったはずなのにすぐに苦痛となった。もはや「日本語力の問題」だったことに気付かないでいたのだが、あの時期にそれに気付けというのも無理な話だ。
 ちなみに今振り返ると、その塾の教授法は完全に駿台式(いわゆる構文主義)の「丸パクリ」に近かった。教材で取り上げる題材も文章内容のレベルが非常に高く、冬期講習に入る頃には分からな過ぎて思考がフリーズしていることが自分でもわかった。
 そして年を越し、現役で挑んだ受験はもちろん全敗。滑り止め受験など考えることもなく、さっさと春から浪人生活をどうするか考えていた気がする。(つづく)

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