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007 外国語学習履歴-浪人時代

 現役受験に全敗した翌月から10ヶ月ほど、私は代々木界隈の人間となった。「浪人生」という存在が当たり前だったおそらく最後の時代。湘南新宿ラインが開通する前、赤羽駅で乗り換える埼京線はこの世のものとは思えない殺人級の混雑。大学時代に至るまでこの列車にほぼ毎日乗り続けたがよく考えたら、高校時代の日比谷線も、社会人になってからの千代田線も同じようなものだった。まあ、田舎から上京してきたわけでもないので特段驚くこともなく瞬時に慣れてしまったが、関西にいる今、再びあれに乗れと言われたら何とかして回避する方法を模索すると思う。

 ちょうどあの時、世の中では「カリスマ」ブームが起きていた。美容師やシェフやショップ店員だけではない。予備校にはカリスマ講師なるものがいた。私がレギュラー授業を受けていた「63B」という大教室にはキー局のテレビカメラが度々入っていたのを思い出す。私のクラスはすべての授業にその予備校を代表する看板講師が充てられていたため個性が非常に強かった。授業中に熱唱する英語講師、元暴走族トップの古文講師、神主の格好をした日本史講師など…。500人入る教室はいつも満杯。毎日が刺激的で楽しい日々でもあった。

 英語の授業は文法、構文解釈、長文読解、作文、志望校別総合の5つですべて担当講師が違っていた。予備校によっては同じ教科の講師が集まって予めベクトルを揃えることで、どの講師に教わっても差が出ないようにしているところもあるが、私が通っていた予備校はこういうことがほぼなかった。むしろその逆。読解法ひとつとっても「構文主義」「パラグラフリーディング」「ロジックリーディング」とか主張する方法論はバラバラ。他の講師が何を主張していてもお構いなしで、中にはその方法論を巡り罵り合い叩き合う講師まで…。衛星中継のカメラが入っている授業で敵対している講師のことを「殺すぞ!」と叫んだ講師もいた。ちなみに少々(?)荒っぽい言動があったこの講師だが、教え方は至極正統派で分かりやすく、フリートークも面白いので私は最後までけっこう好きだった。結局は各々自分に合った方法論を軸にしながら進めていたと思う。
 なお、生徒側にその方法論の選択をさせることが適切か否かは議論の余地があるが、今その話はやめておく。

 そんな受験に特化した濃密な環境下でもがきながら、どん底だった私の学力は徐々に上がっていった。英語に関しても基礎の立て直しに成功し、最終的には難関レベルまで引き上げることが出来た。それでも一度苦手意識がついたものを好きになることはなかなか難しい。今も英語は「苦手ではないが決して好きでもない」。
 そんな今となっては貴重な経験をして、私は大学生になった。(つづく)

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