2022/08/03 雨の雑記

「雨は透明なのにどうして目に見えるの?どうすれば絵に描けるのだろう?」

登山で「山頂ですよ、今私達は雲の中にいるんですよ」と話す引率の先生に、

「雲はどうして掴めないの?白くて甘い、わたあめじゃなくて残念だったよ。」

と言った幼少期の私に、大人になった私が、その現象を科学的に説明してあげることが出来たなら。

当時の私は喜んだだろうか。どんな顔をしただろうか。

しかし、私にはそれは出来なかった。

理系分野の知識を理解する頭が、足りなかったようだ。

多分、とはいいつつも、ほぼ間違いなく、私は知的好奇心旺盛な子どもだった。
本を読んで、知らない世界を知ることは何より楽しかった。
辛い現実を忘れて生きる術でもあった。

どこもかしこも、人の悪口を言い合って楽しむような人間ばかりだった。裏で傷つけ合うだけの偽りの脆い友情関係なんて何が楽しいのだろうか。そんな下らない人間に染まるくらいなら、1人でいた方がよっぽどマシだった。

本は、私にとっては血を流し続けて壊れる直前の心を守るための、盾のような存在だった。

学校は嫌いだった。

興味や成績の凹凸が激しいし、人と上手く関われなくて、毎日泣いてばかりいた。

それでも、勉強はしたかった。

体が丈夫ではなかったから、他人とは違う、劣等感で、苦しみたくなかったから。

全部、諦めたくなかった。

後に、発達障害(自閉症スペクトラム)の確定診断が下される。

理系分野の教師から、「どうしてこんな簡単な問題も解けないのか」「今まで君は何を学んできたのか、頭おかしいのか?」と叱責される。晒し者にされてクラスメイトからは馬鹿にされる。教室は戦場だった。自宅に帰っても、両親からは「何度同じことを言わせれば理解できるんだ、ふざけるな」と怒鳴られる。まぁ、出来損ないの自分が全て悪いから、仕方の無いことだが。

その反面、文系の教師たちは違った。
作文を提出すればコンクールの代表に選抜してくれたり、お手本作品にしてくれたり、「あなたは文章の才能があるから、絶対に文章を書くお仕事に就くのよ」「作家になったら?」「あなたは、理系は苦手でも本当は聡明な子なんだよ」などと声をかけてくれたのだ。
小学生からずっと人間不信に陥っていた私は、素直に教師の褒め言葉を聞き入れることは出来なかった。

有難いことに、作文で賞を頂くこともよくあった。少しは頬が緩んだ。学校も両親も普段は叱責ばかりのくせに、鼻高々と喜んでくれたから。
尤も、私自身はというと、表彰状や壇上で大人からチヤホヤされることには一切興味はなかった。
賞金や、副賞の図書カードさえあれば、それで良かった。わざわざお呼ばれした表彰式では、何の本を買おうか、ああ、あの作家さんの新刊欲しいなぁとか、ぼうと考えていた。拍手や何やら偉い人たちのお話は、何も耳に入ってこなかった。

そして歪んだ人生観と強い自己否定を抱えて成長した私は、
大好きな絵も文章も書けなくなるという、地獄のような寝たきり生活と、闘病を経験している。

白い天井と点滴を眺めるだけの生活を送り、全身の痛みに泣き叫んで、死にたいと喚き、愛する両親を、泣かせた。最低だ、私は。

よく、夢が”潰えた”という言い方をしてきたけれど、”潰えた”とか”叶わなかった”のではなかった。
もともと私は、夢を叶える”努力”すら許されない人間なのだと、障害が発覚して、精神の病気が悪化してから気づいた。

医者、教師、両親に
「あなたはもう、これ以上無理しなくていいんだよ」

と告げられても、「無理をした」という自覚がまるで無い。私は、頑張りたかった。不器用なりに、周囲の人より少しでも多く頑張って人並みになりたかっただけ。

夢を見ることも許されず、頑張ることも努力も無駄になって、心身ともにすぐ悲鳴を上げて倒れて、医療費だけが嵩んで、増える薬を眺めて。

もう、永遠に目を覚まさなくてもいい。と願って泣き叫んだ夜を何度過ごしただろう。

入退院を繰り返し、薬を調整し、現在は副作用と闘いつつも何とか寛解に近づいている感覚はある。だが、いつ酷くなってもおかしくは無い状況である。

今、どうにか社会で生きる私を、元気で立派な大人の振りをする私に対して、手のひら返ししてきた大人たちは、いまだに信用出来ない。怖い。大人は、人は、怖い。

でも、小説や歌集を沢山読んだり、ぬいぐるみを愛でたり、庭に出て花や緑を見たり、一時期辞めた絵を描きだしたりしている、最近の私を見た大切な人が、

「生き急いでるってことはつまり、それはちゃんと生きる理由を探してることだよ」
って言葉をくれた。

泣きながら漸く分かった、私が死なない理由。

最近、夢をひとつ叶えたんだ。唯一、ずっと憧れている絵描きさんに、依頼して、初めて絵を描いてもらった。

「絵」という芸術に救いを見出すことが出来た。

私の住む家の庭に、向日葵が咲く頃、私は心から笑えているか、分からないけれど。今まで泣いた分、少しは私は私自身のことを好きになれたらいいな。

私は、向日葵が好きな、絵描きのあなたのこと、いつまでも応援している。あなたにしか出せない色彩を、唯一無二の絵の表情を、愛してる。

あなたから描いて貰った絵を抱きしめながら、今日も、空を眺めて息をする。

これはただの私の勝手のエゴでしかないけれど、
何度でも言いたいの、生きていてくれて、ありがとう。



そういえば、向日葵の花言葉は、

「憧れ」

「あなただけを見つめる」

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