生まれてしまったわたしへ
「自分は子育てに失敗した。歪んだ子育てをしてしまった。」
ふとそんなことを口にした母の苦しみは、私には知る由もない。
きっと私の苦しさも母にとっては知る由もないことと同じように。
幼い頃から、漠然と、これから生きていくのがずっと怖くて仕方なかった。
それは確か小学生の頃だったと思う。
小学生の頃、誰にも内緒で遺書を書いたり、自宅の階段から落ちようと試みたことがあった。
大人は助けてくれない。幼いながらも既にそんなことを悟っていた。たとえいじめを受けても、それはただのイジりだと私は笑っていた。親や教師は全部あなたが悪いと言い聞く耳を持たなかったし、賢くて器用な周囲には敵わなかったから。詳細は割愛とする。
内心は完全に、生きていく自信がなかった。自分は人より劣っている。常に劣等感を抱えたまま生きるのが、辛くて仕方なかった。そんな現実から逃げるように、絵を描いたり、空想の世界に浸っていた。
また,高校時代、母親の言動は虐待だと当時の担任の先生から指摘される。
正直かなりの衝撃だった。全く腑に落ちず、否定するも「時代は変わった」などと宥められた。
私は、見捨てず育ててくれた両親には感謝していた。だが、常に叱責されながら育ってきたので殴られるのも蹴られるのも全て自分が悪いと信じて疑わなかった。
「お前の”普通”は普通じゃない」と担任からまた指摘されるも、首をかしげて笑うしかなかった。通報されそうになったときも、外部に漏らしたら死んでやるなどと教師達を脅した。
そんな教師達を見て、歪んだ正義感というのは、時に誰かを傷つけ滅ぼすと確信した。何とか通報は免れた。
劣等感と生きづらさを抱えながら日々を過ごし、高校3年が終わる直前。
幻聴、ストレス、将来への不安などに耐えきれなくなり、ついに突発的な自殺未遂ののち、発達障害が発覚。統合失調症の疑いという診断も下された。生きづらさの理由がやっとはっきりしたと同時に、再び人生を悲観する。自死という選択肢が再び頭をよぎった。
深い深い霧が晴れたかと思いきや、みるみるうちに暗雲が立ち込める。そんな気分だった。
現在は、幸運にも社会で生きる居場所を見つけ、希死念慮に苛まれる夜は減った。だが、学校という狭くて小さな社会で上手く生きられなかった私をどうにか報おうと、無理をしてしまいそうな怖さはある。見捨てられる恐怖は心の根底に今も棲み付いている。
そもそも、社会で生きる居場所を見つけられたとしても、それが全て正しいとは限らない。
それだけが「幸せ」なのだとも限らない。
また、自ら望んで家庭を築く気は全く無い。幼い頃からこの考えは変わらない。自分を赦す、心から愛せるようになるまでこの考えはずっと変わらないと思う。自分の子が「死にたい」と願った時、私は口を噤んでしまうに違いないから。
誰が何を言おうと、どんなに時間が過ぎようと、両親との暗い過去は取り消すことは出来ない。そして、母親と私の苦しみを相互に理解することは難しいかもしれない。
それでも、結局、あの日母と二人で病室で泣いた空の青は、心の中でずっと澄み渡っている。
止まない雨は無い。
という常套句がある。だが、雨に打たれてる最中は、そんなこと考えられない。誰かが傘を差しのべてくれようが、怖くて目を開けられなくて気が付かないこともある。
それでも、私は、誰かが差しのべてくれた傘に気が付ける人間でありたい。
そして、傘を差し伸べられる人にいつかはなりたい。
これからは、自分自身を報うためだけではなく、大切な人のために生きたい。生まれて「しまった」のではなく、「生まれてきてほんとうによかった」と心の底から笑いたい。
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