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親友が結婚したらしい

 今年の年末年始は長い。街が楽しそうに賑わう9連休の2日目、ヒマを持て余した私は1人でオシャレをして、お気に入りのピアスをつけて、久しぶりに香水を振りかけて、予定もないのに電車に乗ってみた。

 三軒茶屋のカフェでふと気づく。このスワロフスキーのピアスも、ディオールの香水も、親友が誕生日プレゼントにくれた物。荷物をつめこんだサンローランの黒いバック(私の持ち物の中で一番の高級品)は、親友に勧められて一緒にアウトレットショップで買った物だ。いつからか私の生活の一部になっていた、かけがえのない大親友。彼女は一か月前に、結婚したらしい。


 彼女と初めて出会ったのは20年ほど前のこと。中学で入部した部活が同じテニス部だった。背が高くて細くて、髪がさらさらで、洗練されているように見えた彼女。流行りに敏感で、どこか大人びていて、みんなが彼女と友達になりたがった。もちろん、私もその1人。だけど私と彼女は、最初から意気投合したわけではない。私は彼女と真逆だったのだ。流行りなど分からず、Teen雑誌なんて見たこともなく、小さくてぽっちゃりしていて、友達を作るのが苦手だった。だから、自分から彼女に近づこうとはしなかった。中学の3年間、私たちはただの部活仲間という関係だった。

 2人の距離が近くなったのは高校1年生の時。中学が私立だったため、私たちはエスカレーター式に同じ高校に上がった。その頃になると、私もそれなりに今どきの女の子になりつつあった。中学3年のはじめに出来た彼氏と1年間付き合って、自分磨きを意識するようになったし、高校に上がってすぐバイトを始めたことで、自由に使えるお金もできた。持って生まれたセンスに難があるため決してオシャレにはなれなかったけど、縮毛矯正をしてみたり、渋谷で買い物をしてみたり、化粧も少しずつ学んでいたところだった。そんな私を、ある日彼女が男子校の文化祭に誘ってくれたのだ。文化祭は休日だったから、学校指定の地味な制服ではなく、制服風の可愛い格好をして行こうという話になった。私は悩みに悩んだ末、赤いチェックのスカートに白いシャツを着て、赤いリボンをゆるく襟元につけ、ナイロンのカバンを持って待ち合わせ場所に向かった。改札の前で、紺のスカートに白いシャツ、私のに似た赤いリボンを合わせた格好で現れた彼女を見たとき、とても心が躍ったのを覚えている。可愛い。私たち、きっと可愛い!

 それから、私たちはあっという間に仲良くなった。学校帰りにぶらぶらしたり、くだらないことを何時間も話し、何が面白いのか分からないことにいつまでもゲラゲラ笑って過ごした。周りの友達からも仲良しの2人として認識されるようになった。私は彼女に勧められた服を買い、一緒にエクステをつけて、誘われればどこへでも出かけた。怖いものなんてあるはずがない。そんなある日、彼女がプリクラの落書きに「親友」と書いてくれた。その時私は、初めて誰かの親友になれた気がした。物心ついたころから友達を作るのが苦手で、コミュ障で、自分に自信がなかった私にとって、これほど嬉しい出来事はない。彼女と一緒に過ごす中で、私は初めて自分に自信を持つことが出来た。だけど、最初の別れはあまりにも早く訪れる。

 高校2年の夏、マクドナルドの店内で突然、彼女が言った。「お父さんの転勤で、中国に行く。9月に転校する」
 私は頭が真っ白になった。約1年間、毎日のように一緒にいたのに、彼女がいなくなったら誰と遊ぶの? 誰と青春すればいいの? 誰とゲラゲラ笑うの? 伝えたいことはたくさんあるはずなのに、自分の感情も分からなくて、泣くことさえ出来ない。涙が出ないから、なんとなく大丈夫な気がする。私は現実を受け入れられないまま、別れの日が近づくまで、きっと彼女を笑顔で送り出せると思っていた。だけど、私の涙腺は崩壊することになる。
 転校の日が間近にせまった頃、テニス部のみんなで、親も含めたお別れ会をすることになった。その場には、私の母親も来ていた。私は物心ついてから、親の前で泣いたことがなかった。家庭環境に悩みを抱えていたから、家族との接し方が分からなかったのだ。その影響もあって、私は人前で、特に家族の前で涙をこらえるのが得意だった。だけど、お別れ会の最後で、1人1人彼女にメッセージを伝えることになり、私の番が回ってきた瞬間に、全てが終わった。なんの前触れもなく、こらえる間もなく、泣くつもりは全くなかったのに、その場に泣き崩れてしまったのだ。あの時の不思議な感覚を今でも鮮明に覚えている。それまでどんなに辛くても人前では泣かないようにしていたのに、母親もいるのに、涙が勝手に溢れてきた。そこで初めて、私は自分がどれほど寂しいのかを知った。あの日から、たまに人前で泣くようになった。
 彼女が中国に旅立ってから、私はよく寝た。学校はただの学校でしかなくなり、長期休みに彼女が一時帰国することが一番の楽しみだった。高校3年生の時にはパスポートを取って、中国の蘇州まで彼女に会いに行った。私にとって、人生で初めての海外旅行。中国語がペラペラになっていた彼女は、さらにたくましくなっていて、慣れた様子で上海の観光名所を案内してくれた。

 私が大学に入ってしばらくしたころ、彼女が家族と共に日本に戻ってきた。だけど戻った場所は東京ではなく、大阪だった。私はさっそく夜行バスに乗って、大阪へ向かうことに。お金はないけど旅行気分を味わいたいということで、彼女の家ではなく、安いホテルに2人で泊まることにした。今考えれば本当に治安の悪い場所にある、一泊2000円くらいの危ないホテルだった。それでも彼女と過ごす大阪は、本当に楽しかった。小さな畳の部屋も、銭湯みたいな共同風呂も、道頓堀も、通天閣も、HEPも、彼女と一緒に見るものはすべて輝いて見えた。不思議なことに、大阪という街がスーッと自分の身体になじんでいく感覚がした。それから私たちは、連休がある度に年に何回も大阪と東京を行き来する生活を続けることになる。間もなく私が大学2年生になるのと同時に、彼女は大阪の名門大学に入学し、それぞれ東京と大阪の大学生になったあとも、そこらの遠距離恋愛カップルよりは頻繁に会っていただろう。20歳の9月には、2人でグアム旅行に行った。現地での3日間、ほとんど寝ずに、疲れることも忘れて遊び倒し、帰りの飛行機では気を失ったように眠りにつき、嘘みたいに一瞬で羽田空港に着いたことを覚えている。それから毎年9月の海外旅行は恒例行事になり、大学を卒業してお互いが就職してからも続いた。

 就活の時、彼女は東京の会社も何社か受けていたけれど、大阪勤務で超大手企業に内定をもらい、結局そのまま大阪で就職した。その後も大阪と東京を行ったり来たりする生活は変わらず、お互い彼氏が出来た時は必ず紹介したし、彼女は大阪で新しく出来た友達も紹介してくれた。彼女と関わる人はみんな他人の気がしなかったし、私の彼氏や家族や友達もみんな彼女のことを知っていた。2人で1つ。私には彼女がついてきて、彼女には私がついてくる、そのことをみんなが認識していた。そして相変わらず年に一回は夏季休暇を合わせて海外旅行に出かけた。私は今まで10か国以上の国を旅したけれど、そのほとんどが彼女と一緒だ。彼女との海外旅行は私の生きる活力だった。毎年帰りの飛行機の中ではもう、すでに次の旅行を楽しみにしていた。

 少しずつ変わり始めたのは、20代が後半に差し掛かったころ。私は26歳になる年に結婚を前提に同棲していた彼氏と別れ、昔から興味のあったストーリー作りを学び始めた。そして27歳の時に、5年間務めた安定企業の銀行を辞め、恋愛ゲームの編集者の仕事に転職した。その年から、居心地の悪かった実家を出て一人暮らしも始めた。仕事は本当に大変だった。銀行では当たり前に取れていた有給休暇が取れなくなり、夏季休暇も自由に選べなくなったし、残業代は出ないのに毎日夜遅くまで働き、休日も家で仕事を進めることに必死だった。何より、スクールでは褒められてばかりだったはずなのに、自分の書いたものが毎日否定され、何度も何度も書き直さなければいけない日々が辛かった。自分の力が全く及ばないことを実感するたびに涙が出た。あの頃は辛い中で頑張っているつもりだったけれど、彼女にとっては私が少しずつ悪い方向へ変わっていくように見えたのかもしれない。「あんたは才能があるから、絶対にやりたいことをやった方がいい」と、転職の背中を押してくれたのも彼女だったけれど、ボロボロになった私に「光があたってないよ」と言ってくれたのも彼女だった。私の心は壊れていたのだ。唯一の楽しみだった年1回の海外旅行にも行けず、ストレスは溜まっていくばかり。私が苦しみながら仕事をしている時、楽しそうな彼女の旅行の写真が何枚も送られてきた時は怒りを覚えた。その頃から、私は恋愛もめっきりうまくいかなくなっていた。

 超優良企業で働いていた彼女は、口癖のように「早く結婚して会社を辞めたい」と言っていたけれど、その言葉とは裏腹に辞めることなくキャリアを積んでいった。東京と大阪の移動も、私がいつまでも夜行バスを利用するのに対し、彼女は飛行機を使うようになった。彼女が上品なカバンや服に身を包み、だんだんと大人の女性になっていくそばで、私はいつまでもミニスカートをはき、若い格好を好み、ストーリー作りに対する弱音を吐いた。それでも彼女との縁が切れることはなかった。私が転職して2年経ち、ついに会社をやめてフリーライターになった時には、久しぶりに海外旅行にも行った。そこには変わらない彼女がいたはずなのに、やっぱり何かが違う。私が違ったのか、彼女が違ったのか、それは分からないけれど、両方だったのかもしれない。私はだんだんと、彼女の言葉が気になるようになってきた。もっと大人っぽい服を着ろと言ってくることや、必死で自分を変えようと頑張っているのに何も変わっていないと言われることに気を悪くするようになった。旅行に行っても、たまに意見が割れる。それまで旅行中は楽しすぎて、怒りを感じるヒマなんて1秒もなかったのに。何かが違う。何かが違う。何が違うの……?
 
 彼女も彼女で、たくさん悩みを抱えていた。誰よりも結婚を望み、専業主婦を希望していた彼女は、何度も結婚につながる恋愛をしようとして、失敗していた。そんな中で、体調を崩しながらも責任のある大変な仕事をして、苦しんでいたのかもしれない。気づいたら2人とも30歳を過ぎていた。同じテニス部の友達ももう半分以上が結婚し、みんなで集まるときは子供たちで賑わうようになった。私も恋愛がうまくいかないままいい年になり、焦る気持ちはあったけれど、誰よりも結婚願望の強かった彼女の方が悩みはうんと大きかったと思う。
 一方私は、31歳になる時に一度ライターという仕事に見切りをつけ、一般企業に就職した。幸い、とてもいい環境に恵まれ、ボロボロだった心が回復していくのを実感した。そんな中、31歳の11月に久しぶりに彼氏が出来た。久しぶりに本当に好きになれる人と付き合うことが出来て、とっても幸せだったのに、恋愛にブランクのあった私は空回りをして、3か月も経たないうちにフラれてしまった。本当に辛かった。気づいたら、その頃には昔ほど連絡を取らなくなっていた彼女に、失恋の悲しみを相談していた。あの頃もそうしていたから、心が自然と彼女の言葉を求めていたのだ。彼女なら、きっと私の心を晴らしてくれるはず。きっと何かいいことを言ってくれるはず。あの頃のように……。そう思って相談したのだけど、彼女の言葉は想像と違った。

「自分が悪い」
「暗いオーラを持った人に、明るいオーラを持った人は近づかない」
「これが最後の苦しみだなんて思わない方がいい」
「自分で自分を苦しめている」

 闇を抜け、毎日楽しく過ごし、久しぶりに恋愛をしようと、せっかく前向きな行動に出た矢先の出来事で、この言葉だったから、私はあまりにも傷ついた。あなたに何が分かるの? 最近の私を全く知らないくせに、ずっと大阪にいるくせに、何が分かるって言うの? 私の何を見てきたの? 色んな感情があふれ、私は彼女のことを嫌いになってしまった。それからなんとなく彼女を避けた。だけど元々連絡を取る回数も、会う回数も減っていたから、彼女は私が避けていることに気づいていなかったと思う。
 そのまま数か月が過ぎ、失恋からも完全回復すると彼女への怒りも少しずつ収まってきたけれど、それでもまだ心の中がモヤモヤして、今まで通りには接することができなかった。何度か会ったりもしたけれど、彼女のことをまた「親友」と呼ぶ気になれないのが正直な気持ちだった。昔のような、キラキラした気持ちはどこにもない。一緒にいるだけで、同じ空気を吸うだけで楽しかったあの頃は戻ってこない。そんなの、大人になったから当たり前なのだけど、自分の中の大きな何かが欠けたみたいで、なんとなく悲しかった。

 彼女が妊娠したと聞いたのは今年、2人とも32歳になっていた9月のことだった。たまたま彼女が東京に来るからご飯を食べようということになり、落ち合った新宿の小籠包屋さんで話を聞いた。「まだ安定期にも入っていないからあんたにしか言ってない。どうなるか分からない」浮かれた様子もなく、サラッとそう言ったのは、きっと32歳になってまだ恋愛に苦戦している私への配慮だったのだろう。それでも、嬉しそうな顔は隠しきれていなかった。それから、親友は無事に安定期に入り、他の友達にも妊娠と婚約を報告し、その年の11月22日、いい夫婦の日に入籍した。相手は1つ年上の歯科医で、話に聞く限りとても優しそうな人だった。送られてきた2人の写真は穏やかで、夫婦の貫禄があった。大人っぽい彼女はすでにお母さんの表情をしていた。
 
 親友が結婚したらしい。高校2年の夏、転校すると突然言われたあの時のように、私は自分の感情が分からない。よりによって、心にまだモヤモヤを残している時に、そんなにめでたいことを言われても。だから一生懸命考える。私にとって、親友とは。あなたとは。あなたの結婚とは。

 私の部屋に飾られた、あの頃の写真。無邪気に笑った2人の写真。2人でいれば、怖いものなんてあろうはずがなかったのに、今は違うね。仕事で悩み、恋愛で悩み、傷つくたびに、怖くなっちゃったよね。歳をとるのも、次の恋愛をするのも、夢を抱くのも、全部怖くて、予防線を張ってしまうね。はしゃごうと思っても、体が先に疲れてしまうね。私たちは、同じスピードで歳を取っているはずなのに、昔からずっと、あなたの方が少しだけ早く大人になっていたのかもしれない。
 20代後半から感じていた、小さな違和感。それは、私の成長だったのではないかと思う。若いころ、私はあなたに頼りすぎていた。ファッションも、恋愛も、あなたのアドバイスを参考にして、旅行中の行き先なんかも、全部あなたに任せてしまっていた。あなたが連れて行ってくれる場所はいつも楽しいから、それでいいと思っていた。だけど、私もやっと、私になったみたい。自分の行きたい場所がある。自分の着たい服がある。自分のしたい恋愛がある。自分のやりたいことがある。そんな当たり前のことを感じるのが、あまりにも遅かったから、何かが拗れてしまった。私がいつまでも子供だったから、あなたがマイナスなイメージを持つのも当然のことだった。

 今なら言える。ありがとう。いつも誰よりも正直に、私の考えの間違いを指摘してくれてありがとう。うじうじして、傷つくことから逃げて、弱音をはいていた私を叱ってくれてありがとう。現実から、自分の本心から、私がいつも目を逸らしていたことに気づいてくれてありがとう。これからは、恐れない。恥ずかしくても、滑稽でも、傷ついても、私は自分のしたいことを、やっていくよ。思えばあなたと私は、元々全然違った。いつも誰かに囲まれていたくて、家でじっとしていることが嫌いなアクティブなあなたと、1人の時間がないと壊れてしまう私。流行に敏感で、オシャレや可愛いモノが大好きなあなたと、そういう類のものに疎い私。友達思いで、性格がマメで、サプライズが大好きなあなたと、面倒くさがり屋で薄情な私。こんなに違うのに、あなたが私の性格をすべて受け止めてくれたから、私は幸せな青春時代を過ごすことができた。本当にありがとう。これからは、ゆっくり私のペースで、自分のなりたい大人になっていくよ。

 親友が結婚したらしい。心からおめでとう。

 あなたなら必ず、幸せな家庭を築ける。かわいい赤ちゃんが産まれたら、会いに行くね。結婚しても、お母さんになっても、おばあちゃんになっても、あなたの親友でいさせて。

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